「わが国が侵略国家だったというのは、濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」という懸賞論文を書いて、シビリアン・コントロール(=文民統制)違反として田母神俊雄前空幕長が更迭されたのは、自衛隊首脳陣の文民統制違反としては第2号である。30年も前に第1号違反があった。1978年、当時の制服組トップの栗栖弘臣統幕議長がいわゆる「超法規発言」で解任された事件である。 その栗栖氏は2年後の1980年参院選(東京地方区)に立候補し、「ソ連脅威論」を訴えたが、落選した。当時その敗戦の弁をまとめた私(安原)のインタビュー記事をこの機会に紹介したい。解任後も2人は持説を頑固に主張しているところが共通している。しかし2つの解任には、日米安保の変質を背景に質的相違があることを見逃してはならない。
▽栗栖氏が説いたソ連脅威論と有事法制
栗栖氏は陸上幕僚長を経て、1977年第10代統合幕僚会議議長に就任、翌78年7月「わが国が奇襲攻撃を受けたとき、自衛隊は現行の法律が不備なため超法規的行動をせざるを得ない」と発言、シビリアン・コントロールへの挑戦として更迭された。 同氏が1980年参院選で強調したソ連脅威論の台本となったのが同氏の著作『仮想敵国ソ連 ― われらこう迎え撃つ』(講談社、1980年刊)で、その中でつぎのように指摘した。
まずソ連の日本への侵攻コースとして、北海道東部地帯または同北部地帯へ上陸、津軽・室谷の2海峡の制圧、東北の三沢・八戸航空基地への急襲、日本海沿岸への強襲 ― の5つをあげている。 さらにいざというとき、米軍は頼りになる存在ではないとして、有事に備えて割り当て、配給、言論統制などを含む国家総動員体制を研究しておく必要を強調した。
以上の著作で説いたソ連脅威論は1990年代初めのソ連崩壊によって消えたが、有事法制の方はその後整備されてきた。なお同氏は2004年84歳で死去。
私(安原)が28年前、参院選落選直後に行った栗栖氏との一問一答の内容(要旨)はつぎの通り。その主見出しは「敗軍の将 兵を語る」(毎日新聞1980年7月7日付夕刊=東京版から)。
▽「敗軍の将 兵を語る」(1)― 参院選で拒まれたソ連脅威論
― まず敗戦の原因は何だと考えていますか。ソ連脅威論を唱えたわけですが、それが受け容れられなかった? 栗栖:それが直接受け容れられなかったのかどうか。反対派が私を軍拡論者、徴兵制論者といった。これが先に浸透して、私の変なイメージが出来上がった。こちらの方が大きかった。
― 落選して、自衛隊の人たちは何といっていますか。 栗栖:私を支持してくれたOBの人たちは残念がっています。今度の落選は、2つのことを教えてくれたといっている。一つは、軍拡、防衛力増強が最近ブームのようになっているが、これが国民に受け容れられなかった。もう一つは、だからこそ防衛問題に本腰を入れて取り組まなければならない。しっかりしなければならないぞ、と。
― ところで著書『仮想敵国ソ連』では、ソ連軍の日本への侵攻コースとして5つあげてある。たとえば北海道では北部コースと東部コースの2つを指摘しているが,当の北海道では迷惑に感じているという話も聞きます。つまりどの程度可能性があるか分からないのに、いたずらに危機感をあおっている、と。 栗栖:そこの感じが違うんですよ。私はソ連とは仲良くしようという論者だ。その前提としてソ連の能力を知らねばならない。現実に目をつむるな、といっている。
― しかし仲良くするということと、侵略のコースを想定して検討するということは(矛盾していませんか)― 。 栗栖:各国みなそうですよ。ヨーロッパだってソ連と仲良くしている。しかし彼らはソ連を仮想敵国だとはっきりいっており、いざというときにはミサイルで攻撃するぞ、といっている。これが現実の世の中で、お互いに相手の弱点、長所を認め合って仲良くすることが必要だ。日本だけですよ、こういう世界の常識から外れているのは。そこを訴えたい。
▽「敗軍の将 兵を語る」(2)― スイス型の国民総抵抗は疑問
― あなたの立会演説会、街頭演説会も聞きました。国を守る気概、心構え、そして祖国防衛を強調された。この点に関連して日本ではスイスがよく引き合いに出される。あの国は中立だが、武装している、と。しかしスイスでは予備役に編入されると、みな小銃、弾丸を自宅へ持ち帰って保管している。これこそ祖国防衛、国民総抵抗の精神の表れとはいえませんか。あなた方が侵略ではなく、祖国防衛を本気で考えるならスイスのように国民一人ひとりに銃を持たせたらどうですか。 栗栖:国民の抵抗意志はそういうものだとは考えていない。たとえば国内治安を維持するのに、みんなお巡りさんになる必要はない。みんなが生業にしっかりつく。しかし25万のお巡りさんに治安維持をしっかり頼むよ、という意識を持つことが重要だといっているわけで、みんな鉄砲を持てというのではない。
― 国民総抵抗という発想を経済界の人たちにぶっつけてみると、それでは国内秩序が保てなくなるという答えが返ってくる。つまり、下手に国民に銃を持たせたら、それがいつ、だれに向けられるかわからないという懸念を抱いている・・・。 栗栖:そういう話なら、お巡りさんの場合だって同じでしょう。いつピストルをだれに向けるかわからない。
― あなたはソ連脅威論の一つとして、ソ連は国論の分断をねらってくる、いま日本の国論は分裂しており、その背景の一つに汚職があると指摘しています。そうであれば、ソ連侵攻を説く前に、汚職など腐敗をなくすことが先決とはいえませんか。 栗栖:それはその通り。しかし私が汚職のことを今度の選挙であまりいわなかったのは、汚職が悪いことはみんなわかっているからです。私は、みんなが知らないことを訴えたかった。
▽「敗軍の将 兵を語る」(3)― 米国要求の防衛力増強では国民は遠のく
― 少し長期的にみて、日本は防衛力増強への道を歩むと・・・。 栗栖:大平内閣は今年度(1980年度)予算編成のとき、財政再建が急務だからあまり増やせないといいながら、米国から要求されると、途端に防衛費を増やす。大平さんがカーター米大統領に会いに行くと、防衛力増強を約束してくる。こういうやり方は、民主主義とは逆だ。私は自衛官OBだから、防衛費を増やしてもらうことはうれしいが、日本全体としてはマイナスだと思う。国民がまだ防衛意識を持っていないのにカネだけをつける。そうすると、国民はますます遠のく。何だ、アメリカの方ばっかり向いて勝手に防衛費を増やして、と。
― いまの段階でいたずらに防衛力を増強することは、兵器メーカーに利益を与えるだけで、国民からはむしろ不信の目でみられる、と。 栗栖:そう、その危険性は大いにある。米国から防衛費増額の要請があったら、その必要性をまず国民に説かねばならない。それをやらないで防衛費を水増しするようなことはすべきではない。政府は仮想敵国がどこだとはいえないので、せめて私がソ連だといい続けたいと思っている。
― しかしその考えが(参院選挙では)支持されなかった。天の時、地の利・・・に恵まれなかった、と。 栗栖:まあ、そういうことでしょう。
〈安原の感想〉― 「世界の中の日米同盟」への変質と文民統制違反 28年も昔の1980年のインタビュー記事をいま読み返してみて、やはり今昔の感に堪えない。当時は米ソ冷戦の最中でソ連脅威論一色に塗りつぶされていた。当時の自衛隊制服組のトップ、栗栖氏の思考範囲もソ連脅威論とそれに備える有事法制で占められていた。祖国防衛という感覚も存在していた。これは日米安保の対象が極東地域に限定され、わが国の安全保障のあり方として専守防衛の枠組みがまだ生きていたのと照応している。 それに10年後の1990年代初めにソ連崩壊という事態が生起するとは夢想もしなかったのだろう。
通常は「敗軍の将は兵を語らず」(中国の『史記』=戦いに敗れた将軍は兵法を語る資格はないという意)だが、あえて語ってもらった。私の率直な質問にもそれなりに丁寧な答えが返ってきた記憶がある。確信的タカ派ではあったが、これが軍拡路線を走り始める前の「軍人、制服組の気概と節度」ともいえるものなのだろう。
しかし1982年中曽根康弘政権の登場とともに事態は急速に変化していく。当時の中曽根首相のキャッチフレーズ「日米運命共同体」、「日本列島不沈空母」がその変化を物語る。その後、軍拡への衝動が強まり、日米安保体制下での日米同盟の質的変化へとつながっていく。その画期となるのが1996年の日米首脳会談(橋本龍太郎首相とクリントン大統領との会談)で合意した「日米安保共同宣言 ― 二十一世紀に向けての同盟」で、「地球規模の日米協力」をうたった。
この「安保宣言」を足場に小泉純一郎政権時代(2001〜06年)に従来の「極東における日米同盟」から「世界の中の日米同盟」へと急旋回していく。「安保の再定義」といわれる日米安保の変質が憲法9条の解釈改憲と同じ手法で進行する。祖国防衛、専守防衛はどこかへ吹っ飛んで、米国に追随する海外派兵が中心テーマとなり、テロ対策、人道支援の名目で前面に登場してくる。
そういう状況下で今回の田母神前空幕長の文民統制違反が生じた。表面的には同じ違反であっても第1号と第2号との間には大きな質的差異があることを見逃すわけにはいかない。今回、解任された田母神氏は「日本の侵略戦争と植民地支配」を肯定する歴史観に立っているところをみると、海外派兵を正当化させ、その方向で自衛隊員を教育しようという意図が歴然としているのではないか。そこには制服組としての節度は消え失せて、歪められた気概、つまり戦争への意気込みだけが突出しているような印象さえある。 これを陰に陽に助長しているのが、米国版軍産複合体と連携する日本版軍産複合体(タカ派の国会議員・官僚、自衛隊幹部、兵器・情報などの関連企業、保守的な研究者・メディアなどを主要メンバーとして構成)であることも指摘しておきたい。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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