麻生太郎政権の迷走が続いている。安倍元首相、福田前首相につづいて3人目の政権投げ出しとなるのではないかという事態も取り沙汰される始末である。そういう政治行き詰まりの背景は、大きな災厄をもたらし、世界金融危機とともに破綻した新自由主義のつぎの新時代をどうつくっていくか、その設計図立案能力を失っているからだろう。 米国に劣らず、日本もまた新たな変革に直面している。その変革の核となるのは、新しい平和すなわち、従来の「平和=非戦」を超えて、「平和=非暴力」という21世紀型平和をどう実現していくかである。この一点を見据えないで、目下の行き詰まりを打開することはできない。来年09年に先送りとなった衆院総選挙で日本国民がどういう進路選択をするか、恐らく世界注視の的となるだろう。
▽「コスタリカに学ぶ会」の定例学習会にて
「コスタリカに学ぶ会」(正式名称は「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」=中山武敏・児玉勇二共同代表、杉浦ひとみ事務局長)は08年11月30日、東京・江東区東大島文化センターで第20回定例学習会を開いた。参加者は同会会員のほか、平和・市民運動などに取り組んでいる人たちを含めて約30人。テーマは「衆院選挙の動向と平和のあり方」で、私(安原=「学ぶ会」世話人の一人)が以下のような柱を中心に問題提起を行った。その趣旨を紹介したい。
1 衆院選挙の行方は? 2 平和とは? ― 平和観の再定義が必要 3 日本列島はすでに「戦場」となっている 4 「平和=非暴力」の日本を創っていくためにはどうするか? 5 総選挙での国民の選択―中米の小国コスタリカに学ぶこと
▽衆院選挙の行方は?
総選挙は来年度予算を09年3月までに成立させて、その後にという見通しも話題になっている。麻生太郎首相の評判はがた落ちで、自民党内の支持も薄れつつあり、総選挙前に安倍、福田首相に続いて3人目の政権投げ出しに追い込まれる可能性もないわけではない。小沢一郎民主党代表流にいえば、「4人目の新しい首相にお祝いを言うことになるかもしれない」(11月28日の党首討論会で)という皮肉も聞こえてくる。
いずれにしても自民・公明の保守政権は政権担当能力を失っている。幕末の政治状況は「幕府は薩長に倒される前に自壊していた」といわれるが、今日、それと同様の出口のない混迷状況に陥っている。 なぜそういえるのか? 新自由主義路線が破綻したにもかかわらず、そのつぎの新しい時代を創っていく能力を失っているからである。新しい政治、政権に求められているのは「平和」を創っていく能力、その営みである。
▽平和とは? 平和観の再定義が必要
問い:日本は平和なのか? 憲法9条(戦争放棄、非武装、交戦権否認)のお陰で、日本は戦争をやっていないし、平和だと思っている人が少なくない。本当に平和といえるのか?
ここで平和学の世界における第一人者、ノルウェーのヨハン・ガルトゥング教授著『構造的暴力と平和』(中央大学出版部、1991年)に学びたい。そこから従来の平和観「平和=非戦」を超えて、今日的な新しい平和観「平和=非暴力」を引き出す必要があるだろう。いいかえれば平和とは、大量の人命殺傷、資源・エネルギーの浪費、自然環境破壊をもたらす「戦争」がない状態であることはもちろん重要だが、それだけでなく、「構造的暴力」=内外の政治、経済、社会構造に起因する多様な暴力=もない状態を指している。
構造的暴力の具体例はつぎの通り。 *人間性やいのちの否定、破壊が日常的に存続している状態、例えば自殺、凶悪犯罪、交通事故死、失業、貧困、病気、飢餓、人権侵害、不平等、差別、格差などが存在する限り、平和ではないということになる。 *貪欲な「経済成長追求」による地球上の資源・エネルギーの収奪・浪費、それにともなう地球環境の汚染・破壊(地球温暖化など)がつづく限り、平和な世界とはいえない。
▽日本列島はすでに「戦場」となっている
「平和=非暴力」という今日的な平和観に立って日本列島を見渡すと、すでに参戦しているほか、多様な「構造的暴力」が日常化している。つまりいのちを奪い合う事実上の戦場になっている。 具体的には以下の諸点を指摘できる。
(1)日本は米軍主導の戦争にすでに参戦している 日本は戦後、日米安保体制下で何度も米軍の侵略戦争に協力してきた。湾岸戦争、ベトナム戦争、現在のアフガニスタン・イラク戦争などがそうである。 在日米軍基地は米軍の出撃基地として機能している。手厚い「思いやり予算」によって米軍基地の戦闘能力を手助けしているのが日本政府である。
日本自身も事実上参戦している。 特に昨今の米軍主導のアフガニスタン、イラク戦争では「対テロ戦争」「人道支援」という名の自衛隊の海外派兵、さらに新テロ特措法によってインド洋で米軍などに実施している石油補給も参戦である。石油補給という後方支援がなければ現代戦は遂行できないからである。
(2)これまでの新自由主義路線(小泉政権時代に顕著になった規制廃止・緩和、民営化、自由化と大企業の利益・効率優先さらに弱肉強食のすすめ)を背景に構造的暴力が日常化している ・多発する凶悪犯罪(秋葉原での17人の無差別殺傷事件など「誰でもよかった殺人」、元厚生省次官らの殺傷事件ほか) ・年間3万人を超える自殺 ・年間6000人の交通事故死(多いときは年間1万7000人の死者を出した。累計の犠牲者数は50万人を超えているのではないか。まさに交通戦争死といえる) ・生活習慣病など病気の増加 ・300万人前後の失業、雇用不安、非正規労働の増加、企業倒産の増加 ・貧富の格差拡大、長時間労働、人権抑圧など
(3)日本の地球温暖化防止への努力不足からも分かるように資源・エネルギーの浪費、それによる地球環境の汚染・破壊に手を貸している。これも構造的暴力。
(4)行政(官)と民間企業(民)のごまかし、偽装、不祥事の続発が上記の暴力を増幅させている。
これでも日本は平和といえるだろうか。軍事力を行使して戦死者を出す修羅場のみが戦場ではない。多様な暴力によっていのち、安心、平穏、平和が破壊されている日本列島上の地獄のような現実も、「戦場」と呼ぶ以外に何と呼べばいいのか。
▽「平和=非暴力」の日本を創っていくためにはどうするか?
「平和=非暴力」実現のための必要条件としてつぎの2点をあげたい。 (1)憲法の空洞化している平和理念を取り戻し、生かし、実現させていくこと (2)世界金融危機とともに破綻した新自由主義路線の根本的転換をめざすとき 世界金融危機は新自由主義の破綻を示している。平和を創っていくためには世界金融危機にみるような新自由主義の破綻を好機ととらえたい。
中長期的展望も含めて具体策としてつぎの諸点が考えられる。 ①憲法前文の「平和共存権」と9条の「戦力不保持」の理念を生かすこと 前文には「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。恐怖とは戦争という暴力であり、欠乏とは貧困、飢餓などの暴力である。 「前文の平和共存権」と「9条の戦力不保持」を生かすためには何が必要か。 世界レベルでみれば、核兵器廃絶と大幅な軍縮が不可欠であり、日本としては日米安保体制(=軍事・経済同盟)の解体を中長期的視野に入れる必要がある。日米安保体制は諸悪の根源といえる。なぜか?
一つは「軍事同盟」としての安保体制をあげることができる。日米安保条約は第3条(自衛力の維持発展)、第5条(共同防衛)、第6条(基地の許与)を定めており、それを根拠に今では「世界の中の安保」をめざして、地球規模での戦争のための巨大な暴力装置として機能しているからである。しかも第3条(自衛力の維持発展)が憲法9条(戦力不保持)の理念を骨抜きにしている。 もう一つは、「経済同盟」としての安保体制を指摘できる。第2条(経済的協力の促進)は「自由な諸制度を強化する」、「両国の国際経済政策における食い違いを除く」、「経済的協力を促進する」ことをうたっており、これを背景に安保体制は米国主導の新自由主義(=市場原理主義)を強要する暴力装置となっているからである。 こういう日米安保条約は互恵平等を原則とする新たな「日米友好条約」へ切り替えるほかないだろう。
②憲法25条の「生存権、国の生存権保障義務」の実現を図ること 周知のように25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」となっているが、新自由主義路線によって失業、貧困、格差の拡大、病気の増大、医療の質量の低下、社会保障費の削減 、税金・保険料負担の増大 ― などによって生活の根幹が脅かされ、いのちがあまりにも粗末に扱われている。 この25条と9条は表裏一体の関係にある。軍事力の保有によって9条が空洞化、すなわち骨抜きになっているからこそ25条の生存権も骨抜きにされている。この現実を変革するためには軍事費を削減し、非武装・中立を展望すると同時に新自由主義路線の根本的転換が不可欠の課題である。
③憲法27条の「労働の権利・義務」の実現を図ること 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とあるが、現実には失業者のほかに非正規労働者があふれている。新自由主義のため、適正な労働の機会を保障しないのは、「労働は権利、義務」という憲法規定からみて憲法違反とはいえないか。
いずれにしても旧来の「平和=非戦」、「守る平和」観、つまり「現在日本は平和だ」という平和観にこだわる限り、現実を変革し、未来への展望を切り開くことは難しい。ここは21世紀型の「平和=非暴力」、「つくる平和」観に立脚点を置き換えて憲法の平和理念を生かす方向で、新自由主義を克服し、新しい平和を創っていくときである。
安保解体後の新たな変革課題を列挙すると―。 *非武装中立・日本への道を目指すこと *防衛省を平和省へ、自衛隊を非武装「地球救援隊」(仮称)へ全面的に改組すること *日本版軍産複合体の解体し、平和産業・経済への転換を図ること
▽総選挙での国民の選択―中米の小国コスタリカに学ぶこと
衆院選挙の動向が今後どういう曲折をたどるにせよ、遅くとも09年9月には現衆院議員の4年間の任期切れのため自動的に総選挙を迎える。何が争点になるのか。
選択肢としてつぎの3つが想定できる。 (1)新自由主義の一部手直しと消費税増税路線 新自由主義は大筋で維持しながら、目先の景気対策によるてこ入れで一部手直しし、一時的に飾り立てる手法で、近未来に消費税増税が待ち受けている。一方、日米安保=日米同盟の堅持、国連軽視の路線を推進する。 (2)国民生活重視を前面に掲げる路線 国民生活重視の政策を掲げる。一方、日米同盟も国連も重視していく。ただ新自由主義からどこまで離別していくのかが明確ではない。 (3)新自由主義からの根本的な転換と〈平和=非暴力〉をめざす路線 国民生活立て直しのために財政、税制を大幅に組み替える。軍事費などを削減する一方、消費税は引き上げない。大企業・資産家への優遇制度(税制面など)を廃止するか、見直す。地球温暖化防止など地球環境問題打開に重点を置く。外交面では国連を重視し、日米同盟は中長期的視野で解体し、日米友好条約に切り替えていく。〈平和=非暴力〉の実現をめざす。
「コスタリカに学ぶ会」としてはコスタリカの先進的な政策にいかに学ぶかという視点を重視したい。 コスタリカの国是として知られる3本柱はつぎの通りで、軍事費に財政資金を浪費しないため、その浮いた資金を環境保全、教育、医療など国民生活の充実に回すという財政資金の「平和=非暴力」的な良循環が定着している。 *非武装中立 *自然環境保全 *平和・人権教育の重視
特にコスタリカの非武装中立は日本国憲法9条の平和理念を実践しているに等しい。日本国平和憲法の施行は1947年で、常備軍の廃止を定めたコスタリカ憲法の施行は1949年だから、憲法で理念として非武装を明確に打ち出したのは、日本の方が元祖である。ところがその日本は日米安保体制下で世界の軍事強国の一つにのし上がっている。一方、コスタリカは軍隊を廃止したまま、今日もその原則を堅持し続けている。 「平和=非暴力」という21世紀型の平和を創っていくうえではコスタリカは世界で一番進んでいる国であり、いまや日本がコスタリカに学ぶとき、というべきである。
コスタリカに学ぶという視点に立てば、上記3つの選択肢のうち路線(3)を選択することを意味する。
以上のような問題提起の後、約2時間にわたって活発な意見交換が行われた。提出された問題点は、日米安保条約第5条「共同防衛」の意味、北朝鮮の拉致問題と非暴力の関係、日本の軍需産業と自民党との癒着、教育の右傾化にどう取り組むか、諸悪の根源は小選挙区制ではないか、日米安保を日米友好条約に切り替えるための行動指針は? 「ことばの力」をどう磨いてゆくか、「平和=非暴力」をどう広めていくか、グローバリゼーション(世界化)に抗してローカリゼーション(地域重視)を進めるにはどうするか? ゼロ成長を目指すときではないか、インドのガンジーらの非暴力主義を今日どう評価するか、日本人の多くはなぜ怒らないのか ― など広範囲にわたっている。その一問一答の内容紹介は割愛する。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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