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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年12月11日11時31分掲載
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中国
巨大石化工場の建設に反対、「アモイに続け!」 成都でも市民がウオーキング・デモ
成都市は、今年5月に大地震のあった四川省の省都である。肥沃な土地柄から、古来、蜀の地と呼ばれたこの地域は漢文化圏の中でも独特の文化をはぐくんできた。その「暮らしやすい街」に石油化学の巨大プロジェクトの建設計画が進んでいる。大気や河川の汚染、地震災害を危惧する市民は建設反対のウオーキング・デモを行ったが、政府は計画推進の姿勢を崩していない。アモイでは住民のウォーキングがPXプラントを中止・移転に追い込むという、中国の環境保護運動史上画期的な成果をあげており、同じ方式が成都でも成功するかどうかが注目されている。(納村公子)
▽「白い色」は「街を守る」シンボル
初冬を迎えた四川省で、54歳になる譚作人氏は手に1枚の白紙を持って、彭州の石油化学工場区を取り囲む鉄条網の前に立っていた。表情は硬い。彼は成都で生まれ育ち、この快適な土地の外には出たことがなかった。2006年のこと、公務員をしている友人から成都の管轄区内にある県級都市の彭州に、生産量1千万トンクラスの石油化学プロジェクトが立ち上がると聞き大いに驚いた。
「私は何年も環境保護活動に携わってきましたし、成都市政府内で計画策定をしたこともあります。彭州の石油化学工場予定地を見たときは、まずいことになると思ったのです」。譚氏はそう語る。「そこは成都市の風上にあたり、川の上流で、さらに断層帯があります。こんな巨大な石油化学プロジェクトが作れるような土地ではありません」。
彼は成都市政府や環境保護局に対し何度も問い合せや陳情を行ったが、納得のいく回答は得られなかった。 「彭州という土地は四川西部の沖積平野扇状地の扇頂部に当たり、四川ではもっとも恵まれた土地で野菜生産の中心地です。そばには水源地となる沱江があり、その地下には彭州−大邑−名山の潜在断層があります。距離にすれば四川大地震の中心地の映秀、および住みやすい土地である成都から、ともにわずか30キロほどしか離れていません」
石油化学の巨大プロジェクト建設の白羽の矢が立った土地でありながら、彭州の住民に対してはたった10日間しか公示されず、成都の住民は何の事情も知らされないままで工事は着工された。このやり方に譚氏はでたらめさとやるせなさを感じている。 「連中の物事の進め方ですよ。相も変わらずです。しかし我々は訴えなければなりません。もし我々が意思表示をしなければ、連中につけいる隙を与えてしまいます」
譚氏は白い紙を取り出し何度か折ってから開いた。2本の折り目で「バツ印」が浮き上がるように現れた。彼は成都の市民に対し、自分と一緒に「白い色」を使ってブラックボックス的な進め方にノーを突き付けようと呼びかけた。白紙、白衣、白い花、白の覆面、白いマスク、何でもいいのだ。彼はこう続けた。 「静かな行為によって積極的に権利を主張したいのです」。「なぜこういうことをするのかと言えば、アモイのような‘ウォーキング’(訳注:2006年に着工していたPXプラントが民意などによって、中止・移転に追い込まれた件を指す。PXはパラキシレン、危険・有害物質でポリエステルの原料)は、成都の場合かなり神経質になるからです。我々はすでに苦い経験をしています」。
譚氏が指すのは5月4日に彭州石化プロジェクト反対のため実施された、数百人規模の‘ピース・ウォーキング’だ。のちに警察側の強硬な制圧を受けて数人が拘束され、対話の余地はむしろなくなった。
「私は反対します」。譚氏は工場区の前に立ち、バツ印を折った白紙を高々と挙げる。こわばった表情だ。一見するとパフォーマンス・アートにも思える抗議行動だが、背後にあるのはどこにでもあるような強権的な利益集団と弱者としての一般民衆だ。だが両者の間は、まるで白紙が無数の意味を発したかのように、違う力関係へと徐々に変わりはじめている。
彭州石化プロジェクトは中国石油天然ガス集団公司(以下CNPC)の西南地区における重点プロジェクトの一つだ。成都彭州市の軍楽鎮と隆豊鎮の中間にある中国石油四川石化基地に位置し、年産80万トンのエチレン製造工程と年産1千万トンの石油精製工程を擁し、総敷地面積は6千ムー(4平方キロ)、総投資額で約380億人民元(約55.6億ドル)の規模だ。 プロジェクトの運営主体はCNPCと四川省の合弁による中国石油四川石化有限責任公司で、(訳注:持株会社はCNPCと、CNPC と成都市の合弁企業である成都化石)持株比率はCNPCが75%、成都石化が25%となっている。予定プロジェクトは2010年にすべてが操業を開始し、その後は通年での営業収益で546億元、利益と税金で100億元近くが見込まれる。
2007年3月8日、北京の釣魚台国賓館でCNPCの蔣潔敏総裁と四川省の蔣巨峰省長が基地契約協議に調印し、同年8月に成達設計公司(もと化学工業部第八設計院)が作成した四川石化基地計画の環境アセスメントが国家環境保護総局で審議され許可を得ている。最終的には彭州石化は国家発展改革委員会の認可を得て着工が決定された。
これは四川の工業史上では単体投資規模として最大となるプロジェクトで、戦略上「中国が実施する重要なエネルギー戦略構成と西部開発における記念碑的プロジェクト」と位置付けられている。成彭高速道路(成都−彭州間)を下ると、6車線で幅60メートル、全長8キロの「石油大道」がすでに巨大プロジェクトの前段として完成している。 譚氏が言うには、この道路は2006年に、まだ石化基地プロジェクトが国家発展改革委員会の認可待ちだったころ、1.2億元を投資して敷設した「VIP用」の道路なのだ。「プロジェクトの認可前に、まず前期工事として数億元が投下されました。金を使ってから計画を進めるし、計画中止になっても進めることになるんです。これが釣魚台式モデルというやつですよ!」。彼が憤るのは、このモデルが何度でも繰り返されるからだ。
2008年の4月にプロジェクトが最終的に決定すると、住民の間に不安の声が聞かれるようになった。彭州石化基地の場所は沱江の上流側の支流である湔江(センコウ)流域に決まったが、ここは彭州の市街地まで約5キロ、成都市までは約36.7キロの場所で、北川−映秀の断層帯までは25キロほど、江油−都江堰の断層帯までは10キロほどなのだ。
事情を知る者はこう語る。数年前、国家環境保護部の職員がこのプロジェクトの予定地を見るなり笑ったというのだ。そして指を前に伸ばして手のひらを開き、彭州の地理的な位置はちょうどこの手首で、下流域には多くの支流と沖積平野があると説明した。そして「こんな場所を選ぶ理由が分からない」と語ったという。
成都では多くの学者やインテリが3つの点について危惧していた。空気、水、地震である。そして当然ながら危惧の対象には、彼らが一番愛する土地であり、「中国でもっとも暮らしやすい街」である成都も含まれる。
▽大気汚染が成都盆地を襲う
「ここに何日かいれば分かると思うのですが、成都盆地は風が弱く、一年を通じて北から吹いてきます。汚染ガスが入り込みやすく出て行きにくいのです。彭州は成都の北、風上にあります」。四川大学環境科学およびプロジェクト研究所所長の艾南山教授はそう説明する。彭州の北部には海抜4千メートルの龍門山脈の主峰、九峰山がそびえるため、成都の風は年間を通して北東の風または北寄りの風である。
四川の地質学者、範暁氏もこの見方に賛同する。「一年を通じて風が弱いですから、彭州石化からの汚染ガスはたやすく成都平原のある盆地上空へ流れ込み、滞留します。風が吹く場合、成都の中心街区は彭州石化の風下ですから、大気汚染の影響をもろに受けるのです」。
世論の危惧に対し石化基地側の専門家は次のような説明を公開している。「成都市は風が通年でだいたい北北東から吹いており、プロジェクトの所在地である彭州は成都の実際の風上ではない」
これは彭州政府のサイト上で公開された1千万トンクラスの製油プロジェクトに対する環境アセスメント報告の簡略版でも触れられている。「CALPUFFモデル」による計算が採用され、結果としてこのプロジェクトによって排出される汚染ガスは成都に大きな影響をもたらすことはないだろうというのだ。
しかし長らく地質と環境の科学研究に携わり、以前は政府の石油部門で10年間エンジニアを務めた学者、陳文輝氏は、風が北北東から吹くという説明は、重要な問題を避けた、偏った視点で押し通されていると考える。そしてこう語る。「たとえ風向きがそうであったとしても汚染ガスは成都市と隣接する温江の市街区へと直接吹きこんできます。成都といっても大きいですから。それに五・一二大地震以後、風向きは変わっています。地質活動が気候に変化を与えることがあるでしょうね」
陳文輝氏は政府が公告した環境アセスメント報告の簡略版を詳細に読んで分析したのちに、3万6千字以上におよぶ『四川彭州石化プロジェクトにおける科学、社会問題およびリスク研究』を書き上げ、疎漏な点や科学面からの指摘をしている。大気汚染問題については、アセスメント報告で採用されている分析方法が、成都盆地では実際的に当てはまらないと考察する。「成都は風が弱い場合が多く、低い高度での拡散条件が十分でない」と言うのだ。また「CALPUFFモデル」が仮定する「非定常、非安定」的気象条件が当てはまらないため、計算結果が「常識からずれる」ものになるという。
▽汚れた川へのさらなる重荷
しかし、もっと心配なのが水質汚染だ。 彭州石化基地は沱江上流の平原に位置している。基地計画の環境アセスメント報告書には、プロジェクト全体の汚染レベルについて次のように記載されていた。「現在の国内排水基準によって見積もると、基地完成後に排出される廃水は1日約12万トン。そのため廃水の放流水域には、希釈および自浄能力が要求される」。ところが、彭州石化のすべての汚水が排出されるのは、目下、四川省でもっとも汚染が深刻な河川とされている沱江なのである。 沱江は長江の重要な支流で、その沿岸にある10余りの都市の大事な水源であった。しかし現在は、沿岸の大小さまざまな化学工業の工場によって汚染されてしまった。水質は最悪の「劣5類」(訳注:中国の地表水は使用目的などにより5つに分類されている。1類は源流、2、3類はおもに飲用、4類はおもに工業用で、5類は農業用。それより下のランクが劣5類で、汚染がひどく利用不可能な水)とされ、生態系は崩壊寸前だ。 『中華人民共和国水法』や『中華人民共和国水汚染防治法』は、水源地にはいかなる工業企業も建設してはならないと規定している。にもかかわらず、利益を追求する集団は法律、法規については見て見ぬふり。それは今日の中国の深刻な汚染の現状を見れば明らかだ。
ただでさえ息も絶え絶えな沱江に、まだ自浄能力があるのだろうか? そして10数トンもの廃水を毎日処理できるのだろうか? 範曉氏はそんなことは考えられないと言う。「沱江自体が汚染削減の重点対象になっているんです。彭州石化は沱江上流の支流である湔江の流域にあります。廃水を垂れ流せば、沱江の水質汚染がさらに進むでしょう。付近の流域にある地下水をも汚染するかもしれません」
これについては環境アセスメント報告書も次のように認めていた。「全廃水の放流水域が沱江になるが、沱江は現在すでに環境容量を超えている。しかしながら『沱江水汚染防治計画』をきちんと実行すれば、沱江の金堂県区域の環境容量には充分余裕がある」。これに対し陳文輝氏は言う。「この説明ではプロジェクト着手の前提条件が、彭州石化の建設と沱江の汚染処理の同時進行となっています。ところが沱江の環境容量はいまだに回復されていないのに、彭州石化はもう建設が始まっています。これでは環境アセスメント報告書には意味がありません。前提条件がまったく成立していないのですから」。
しかし彭州石化基地の専門家は、専門知識を持ち合わせていないながらも環境汚染を心配している多くの成都市民に向けて、『成都日報』にこのような解説を寄せている。「プロジェクト用地は沱江水系にあり、成都が属している岷江(ミンコウ)水系とは異なります。そのため、成都の水環境には影響しません」。ここでも重要な点はまったく省かれていた。
政府のエネルギー部門に10年勤務していた陳文輝氏は、彼らの「考え方とやり方」をよく知っている。「この環境アセスメント報告書の簡略版のようなものは、裏のロジックを解読すること自体が面白いんですよ。重要な仮説をあちこちに分散させて、できるだけ人の注意を引かないようにしたり、各種リスクを隠すようにしてありますから。あるいは質問に対する答えが全くとんちんかんだったり」。
彭州石化がもたらすであろう大気汚染、水質汚染は、4月から5月にかけて成都のネットユーザー間でホットな話題になっていた。だが、それ以上に彼らが心配していたのは、ゆったりと落ち着いて暮らせることで有名な成都のことだ。巨大な石油化学工場のプロジェクト、ひいては後からやってくるであろう膨大な数の各種川下産業のせいで、街の性質が変わるかもしれない。「暮らしやすい街」が「化学工業の街」になってしまうかもしれないのだ。
専門家は言う。「彭州石化のプロジェクト計画では、もともと3期工事まで予定されており、総投資額は700億元でした。第3期工事がまさに川中、川下製品の生産プロジェクトです。しかしこれは環境アセスメントの圧力があり、除外されました。とはいえ生産能力があるのですから、製油やエチレンのプラントが完成すれば、川下産業は起こるでしょうね」
陳文輝氏はかつて米国で仕事をしていたが、けっきょく成都に戻ることを選んだ。「ここのライフスタイルや文化に未練があったんですね。成都からそういうものがなくなってしまったら、ほかに何が残るでしょう?」
成都市民の焦燥感はネット上の議論の盛り上がりとともに、しだいに増していく。5月4日には数百人の市民が街を‘ウォーキング’し、静かに抗議した。2007年、福建省ではアモイPX事件が起きたが、理性的な戦いによって、中国環境保護史上でも珍しくWin-Winとなっている。一部の成都市民もこのときのアモイ市民をまね、携帯電話のショートメールで、人々にボイコットのための‘ウォーキング’を呼びかけた。 多くの人々に送られたメールにはこう書かれていた。「成都よ、私はお前のために呼吸する! 我々には選択の権利がある。我々には平和的かつ理性的な表現方法がある。5月4日の15時から17時、九眼橋−望江楼間をウォーキングする。横断幕もスローガンもない。集会もデモもしない。成都の清浄な空気を吸いながら、心から祈ろう。成都を失ってはならない。悔恨の記憶にしてはならない」
ウォーキングした人々は数百人程度で、ほとんどが文化人や知識人だった。しかし、成都警察はそんな小規模な出来事にも強硬に対応した。5月10日、会見を開いてこう告げたのだ。「国家の関連法律・法規を無視した言行、とくに四川石化プロジェクトを利用し、各種のデマをでっち上げたり、やたらと広めた者については次のように処罰した。予防拘禁10日1人、同5日2人、治安警告(訳注:行政処分の一種)2人。また、その他の問題に触れた反体制派の陳道軍については、四川石化プロジェクトにかこつけて各種デマをでっち上げ、国家政権の転覆を扇動したかどにより、刑事拘留した」。
もし地震が起きていなかったら、事態はもっと深刻になっていただろうと、多くの成都市民は口々に言う。「五・四ウォーキング」の参加者の1人は「あのとき逮捕者が出て、本当に悲しかったけれど、戦いは続けるつもりだった」と語った。このとき四川省では、映秀を中心にマグニチュード8.1クラスの大地震が発生していた(訳注:四川大地震は5月12日に発生。震源は汶川県)。彭州石化を疑問視する人々の声は困難な救援活動によって途絶えた。しかし、身をもって体験した地震によるすさまじい破壊力は、人々の心に最も重要な疑問を植えつけた。
「そう、地震です」。譚作人氏はNGO緑色江河(訳注:緑色江河環境保護促進協会、グリーン・リバー。同会の創設は1995年。長江源流域の環境保護を呼びかける発起人、カメラマンの楊欣氏によて創設され、青蔵鉄道に伴う野生動物保護などの活動を行っている。公式HP)の創始者の1人として、ボランティアたちを連れ、被災地に何度も足を運んだ。そして彭州、什邡(ジュウホウ)などの地で操業していた工場から、化学物質が漏洩しているひどい状況をその目で見ている。
「プロジェクト用地に隣接する什邡鎣華(エイカ)鎮には宏達、銀峰といった化学工業の大会社があります。この2社は被害が大きいばかりか、化学物質の漏洩もひどく、周囲の環境に深刻な危害と脅威を与えています」 これによって譚氏の彭州石化に対する懸念はさらにつのっている。
地震発生後、四川省経済委員会が発表したデータによると、省内251社の化学工業会社が大きな被害を受けているという。5月23日、国家環境保護部の呉曉青副部長は、すでに関係部門から専門家を現地調査に派遣しており、衆目を集めている彭州石化プロジェクトについては見直しを行うと発表した。地震によってプラント用地の地質条件に重大な変化が生じたとわかれば、評価結果とその他の関連情報に基づき、同プロジェクトに対して環境保護部から具体的な要求を出すという。
これに続きCNPCの蒋潔敏社長は、最終的に不可抗力という評価が下されれば、プロジェクトを放棄すると述べた。メディアの報道によればその後、CNPCの専門家チームも彭州プロジェクトを再検討している。7月23日、蒋氏は臨時の株主総会において、四川省内で建設中の彭州製油プラントは、5月にあったマグニチュード7.9クラスの地震でも影響を受けなかったと発言した。
8月10日、国家地震安全性評定委員会は、地震の安全評価に関する検証報告書を審議のうえ承認。プロジェクト区域およびその付近の地域には活断層はなく、地震動パラメータを適切な数値に引き上げれば建設を進めてもよいとした。
このような結論は、半年前からプロジェクトの存在に気をもんでいた成都市民にとっては、さらに受け入れがたいものである。
10月末、譚氏は成都市政府、人民代表大会、政治協商会議あてに提出した『公民意見書』の中で次のように訴えた。「成都彭州石化プロジェクトの対象地域付近には、彭州−大邑−名山潜在断層があり、マグニチュード6.0〜6.5強クラスの地震が起こる可能性がある。よって、場所の選定に当たっては、公正で信頼できる地震ハザード評価、工事用地としての地震リスク評価、地震安全性評価が必要である。もちろん五・一二大地震以前の信頼できる資料に加え、大地震後の地質変化や環境容量に対しても調査を行い、これらを第三者機関に評価してもらう必要がある」。
艾南山教授もプロジェクト続行に憤りを感じている。「環境保護部の潘岳副部長が再三述べているように、被災地の再建を行う場合、地震帯の上に危険度の高い産業を建設することは避けるのが普通。彭州は今回の地震でも被害の大きかった20か所のうちの一つ。国から救済援助をもらうときは被害の大きさを強調するのに、いざプロジェクトの実施となると、そんな事はおくびにも出さないわけです」
被災者がどうやって冬を越すのかと各メディアが注目している陰で、石化プロジェクトは密かに再開された。専門家や民間の有識者の不安はつのる一方である。
ここで譚氏は一市民として、再び「平和的に街を守る」行動に出た。 あの「白い色」を呼びかけるというやり方だ。「3人の友人を誘い、A4の白い紙を持って街に出てほしい。白い覆面、白い帽子、白いマスク、白い花飾り、白い人の行列が大いなる刺激をもたらすはずだ。白を掲げることは、この地を愛する心の表れだ」
「成都市民の環境権利は脅かされ、知る権利、表現する権利は情報操作によって侵害されています。反対意見は抑えられ、‘ウォーキング’は処罰されました。いまだにプロジェクト事業主や地方政府と話し合う場は与えられないままですが、我々は成都市民として、成都市民らしい新しい方法を創造し、知恵を示すべきです。全員が静かなる抵抗をすることで大きな力となり、平和なる方法をもって積極的な権利の主張をするのです。『白』をもって『ブラックボックス的やり方』に抗議し、段階を踏みながら民主へのプロセスを歩むべきです」
譚氏は「主張ははっきりと示すが、あくまでも穏やかに」という基本原則を何度も強調する。 この「あくまでも穏やかに」という、いかにも中国らしい言いまわしには、経験した者だけが分かる含みがある。 譚氏自身、よく分かっているのだ。「平和的に街を守る」行動を呼びかけたとたん、成都市公安局の国保処と維穏処の人間が訪ねてきた。ここは公安の中でも国家の安全と安定を管理する部署で、反体制的な意見をもつ者がよくお世話になる所だ。
「最初は制服を着た8人がやってきた。今日は“譚さん”って呼ぶけれど、この次はどうなるか分からないって言われたました」。「彼らとは冷静に話し合いました。文章で訴えるよりも効果のある方法をとるつもりだけど、ウォーキングはやらないという意思表示もしました。私も公安も、お互いが譲歩できるラインを伝え合ったんです。それ以後、私は“譚先生”と呼ばれるようになりました」と譚氏は笑う。
話し合いはスムーズに行われたが、こうした圧力によって「平和的に街を守る」運動は日の目を見なかった。専門家や学者さらには一般市民にいたるまで、声を発する可能性のある者はみんな政府から「ご挨拶」を受けた。 「ご挨拶の方法は簡単。自分の職場のトップを通じて単独で呼び出され、話を聞かされるんです。普通の人間なら何も言えなくなるでしょう」と譚氏。
▽アモイに続くことができるのか
2007年、アモイの市民は冷静な対話を重ね、平和的な聞き取りを行い、政府と良い関係を作ることによって、市街区からわずか3キロの海滄区に予定されていたPX化学工場の建設を移転へと追い込んだ。これは中国環境保護史上、画期的な出来事となった。その後、同じように近隣に汚染工場の建設が決まった地域では、アモイのやり方を手本とするようになった。
彭州石化プロジェクト、広州南沙石化プロジェクト、青島大規模製油プロジェクト、南京および台州PXプロジェクトなどが、次々と市民の抗議の対象となった。アモイのやり方は、市民の権益も守られ、政府も名声を得るという理想的な結果を生んだが、彭州が同じようにうまくいくかどうかは疑問だ。
某社会運動研究家によると、アモイの成功のカギは利益集団どうしの衝突にあったという。「市民の声が強かったというより、海滄区の不動産開発業者と海滄PXの間に利害の不一致があって、それがプロジェクトを移転に追い込んだと言えます。しかしCNPCと地方政府が共同で株を保有している彭州石化の場合、アモイのような衝突は期待できないでしょうね」。
艾南山教授はこう分析する。「我々は、アモイのケースをWin-Winの解決と呼んでいます。しかし政府もそう思っているかどうかは疑問です。政府はアモイのケースを失敗と見なし、苦い教訓としているかもしれません」。
成都市在住の作家、冉雲飛氏のブログ『匪話連篇』は『徳国之声』(訳注:ドイツの中国語国際放送、ドイチェヴェレ)で、優秀な中国語ブログに選ばれたことがある。彭州石化問題がヒートアップしていた4月から5月にかけて、冉氏はブログの中で議論の火つけ役になろうと試みたが、権威ある化学工業専門家の意見を引っぱってくることができず効果が上がらなかった。書き込みでも協力者を求めたがこれも功を奏さず、さらに彼自身も警察の圧力を受け、ブログ続行が困難となった。
冉氏は今でも彭州石化の問題に注目している。「必要なのは知る権利です。このプロジェクトがどれだけ雇用を生み、四川の産業にどれだけ恩恵をもたらすのかという話もいいけれど、リスクや予想される最悪の結果、それに環境アセスメントの結果だって知らされるべきでしょう? 我々は、その最悪の結果を想定しながら事を運ぶべきなんですよ」。
アモイで生まれた市民と政府の良好な関係による成功モデルが、はたして成都でも生かされるだろうか。中国政府が本当に市民の利益を守るかどうかが試される。
原文=『亜洲週刊』08/11/30号、張潔平記者 翻訳=本多由季/氏家弘雅/佐原安希子
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