麻生太郎首相が打ち出したあの定額給付金がかなり不評である。私(安原)は率直に言って不思議な思いに駆られている。わが国の財政資金はバラマキといえば、ほとんどがバラマキである。定額給付金だけがバラマキなのではない。給付金を貰ったからといって、麻生首相個人のポケットマネーをいただくのではないのだから、現政権の面々に一票を投じなければ罰が当たるという性質のものではない。減税の一種だと思って受け取ればいいのではないか。拒否したい人は返上すればよいだろう。 肝腎なことは、無駄、浪費の多い現在の財政・税制を国民のために使うように根本から組み替えることである。この一点を抜きにしたバラマキ返上論は視点が小さすぎるのではないか。
ある日突然、多くの日本人がお人好しになったのか、という印象さえある。いわゆる負け組の人々もお金が余っているのか。高齢者の年金支給額がある日突然増えたとでもいうのだろうか。そういう事実は寡聞にして知らない。大事なところで錯覚があるのではないか。 総額2兆円の定額給付金はバラマキであり、有効な政策ではないから容認できないというバラマキ返上論はいくつかのタイプに分けられる。最近の新聞への投書やインターネットのメールで流されてきた提案などから以下にまとめた。それぞれに私(安原)のコメントをつける。
(1)景気対策優先説 国庫に2兆円もの余裕があるなら、景気対策に真剣に取り組んで貰いたい。そもそも首相は1人当たり1万2000円から2万円の給付金で景気が上向くとでも思っているのか。景気対策を給付金に頼るなら、10倍くらいの金額が必要である。
〈安原のコメント〉― ささやかなゆとりと幸せを求めて 「総額2兆円規模のカネで景気が上向くとはいえない」は、その通りである。それは減税として還元しても同じである。給付金をどう使うかは国民、生活者、消費者の自由であり、景気回復を目標に掲げて我々は日常生活を送っているのではない。多くの庶民はささやかなゆとりと幸せを求めて生活を営んでいるにすぎない。 しかし現実には日々の生活にゆとりのない人々があふれているのが現状であり、そういう人たちにとって少しでも生活費の足しになれば、それでいいのではないか。それ以上のことを大げさに期待するその心境は分かるが、肯定はできない。
(2)選挙向けの買収行為説 「定額給付金は選挙に向けての買収行為だ」という不評が聞こえてくる。選挙が近づくと、今回のような給付金とか、減税とか、高速道路料金の割引とか、人気取りとしか思えない予算措置がどんどん出てくる。こんなことを繰り返していたら、国民は政府を信用しなくなる。
〈コメント〉― 麻生首相への義理立ては無用 麻生太郎現政権側は内心では「選挙向けの買収行為」のつもりかもしれないが、それにやすやすと応じる程度のレベルの日本国民なのだろうか。私は「否」と言いたい。麻生首相や閣僚の面々のポケットマネーを恵んで貰うわけではない。だから近い将来の総選挙では現政権を担う面々に1票を投じる義理はないのである。勘違いしないようにしたい。 交付金は、国民が納めた税金のほんの一部の「スズメの涙」が戻ってくるにすぎない。「何の遠慮がいるものか」であろう。税金を納めていない恵まれない人にも交付金は届くだろう。それが恵まれない人々を対象にする公正な社会保障制度のあり方だと理解すればいいのではないか。
(3)消費税引き上げ誘導説 定額給付金を一時的に支給されても、その引き換えに消費税率を引き上げるというのでは結局、低所得者、年金所得者、中小企業経営者らをますます苦しめることになる。そんなお金があるのなら、ぜひ消費税率の引き上げを止めて欲しい。
〈コメント〉― 消費税上げを撤回させるには こういう疑問、心配は少なくないと想像できる。だから消費税率引き上げに「待った」を掛けるのは正しい。賛成である。ただ1回限りの2兆円交付金を止めたからといって、それだけで消費税率引き上げの撤回を期待するのは甘すぎる。 麻生首相は先日「生活防衛のための緊急対策」を発表した記者会見で「3年後の消費税引き上げの姿勢は変わらない」旨を明らかにした。さらに政府の経済財政諮問会議(議長・麻生首相)は12月16日、税制改革「中期プログラム」の政府原案をまとめ、「3年後消費税上げ」を明記した。消費税引き上げを阻み、ひいては将来引き下げるには財政・税制の根本的な組み替えが不可欠である。
(4)2兆円の有効活用説 2兆円の使い道としては、医師不足の解消、産科・小児科医療の充実、派遣社員や臨時採用教師の待遇改善など雇用対策の充実―などの分野に回して有効活用してはどうか。本当に「国民の生活不安」に応える政策を検討してもらいたい。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条・生存権)が保障されるよう真剣に考えてもらいたい。
〈コメント〉― 生存権保障のためには発想の大転換を 憲法25条は、国民の生存権と同時に、その生存権を保障する義務が国にあることを定めている。ところが国はその義務の怠り、生存権の保障とはほど遠い寒々とした現実が日本列島上に広がっている。だから2兆円の有効活用説は一見もっともにみえる。「一見」というのは、なぜ交付金2兆円にこだわるのかという疑問が直ちに浮かび上がってくるからである。この交付金は一回限りの財政資金にすぎない。2兆円程度の資金で国民の生存権が保障できると考えるのはお人好しだろう。しかも地球環境保全(温暖化防止など)という21世紀最大の課題も生存権保障につながるテーマである。 ここは2兆円執着説から発想を大転換させようではないか。オバマ次期米大統領も「Change(変革)!」と言っているではないか。大いに学びたい。具体的には国の一般会計予算(来年09年度は総額88兆円台で、過去最大、しかも総額のうち政策経費を示す一般歳出も52兆円前後と初めて50兆円の大台を突破すると伝えられる)の根本的な組み替えである。
財政・税制組み替えのいくつかの事例を挙げると―。 *防衛費(年間約5兆円)、公共事業費(高速道路・ダムなど)の大幅な支出削減 *大企業や資産家への優遇税制の廃止・見直し、環境税の導入、消費税は据え置く(将来は引き下げも) *「早くあの世へ往け」と言わんばかりの後期高齢者制度を廃止するなど年金、医療、生活保護など社会保障制度の充実 *教育、雇用、中小企業などの分野の充実 *食料自給率向上のための農業分野の充実 *自然エネルギー(太陽光、風力、水力など)の開発投資の促進
(5)定額給付金をNPOへの寄付に 「政策目的が不明確で、効果も疑わしく、財政にも負担をかけるような定額給付金は白紙に戻すべきだ」といった厳しい批判の声も聞かれる。しかし、白紙に戻され、給付金が提供されず、国庫に戻ったとしても、私たちの暮らしが改善されるのだろうか。必要とされる公共的なサービスを政府がすべて提供できないことが明らかになるとともに、市民による公益的な活動、すなわちNPO活動が広がってきている。とはいえ、NPOへの期待が高まっているものの、活動資金は絶対的に不足している。 給付金の問題点のひとつに、高額所得者には自発的な受け取り辞退を促す方式をとっている。給付金を辞退し、国庫に戻す案とともに、NPOに寄付を行い、市民自らが様々な問題解決にあたる財政的な基盤を提供していくというプランも検討されるべきではないか。
〈コメント〉― 志が小さすぎないか 「NPOへの寄付に」は変わり種の提案である。なるほど、こういう提案もあるのか、という印象である。NPO(非営利団体)活動の重要性はよく分かる。活動資金が不足しているという現実もその通りだろう。だからといって交付金の2兆円に目をつけるのはいかがなものか。 この際、2兆円の分捕り合戦に一枚加わらねば、という思いで馳せ参じているという印象さえある。いささか志が小さすぎるのではないか。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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