共同記者会見も、共同声明もないままに終わった異例の日米首脳会談は何を残したのか。一口にいえば、日米同盟強化路線そのものである。日米同盟についてメディアの多くは当然の既定事実として受け入れる傾向があるが、日米同盟の実体を軽視してはならない。日米安保体制を土台とする軍事・経済同盟として諸悪の根源になっているからである。 麻生太郎政権はやがて退陣するとしても、この同盟強化路線は機能し続けるだろう。来年2010年は現行の日米安保が発足してから50周年を迎える。夫婦ならお目出度い金婚式であるが、日米安保50周年は決して歓迎できるものではない。
▽日米同盟強化を打ち出した日米首脳会談
テレビ、新聞ともに多くのメディアには、オバマ米政権下で各国首脳に先駆けて最初に麻生首相がホワイトハウスに招かれたことを、持ち上げる雰囲気がある。しかし東京新聞社説(2月26日付)の次のような指摘は見逃せない。 「米側による対日重視の表れ。これが日本政府の事前の触れ込みだった。しかし今回は招待というよりも、日本外務省が頼み込んで、米側から呼んで貰ったとみる方が実態に近いのではないか」と。 事前の演出、根回しがあったということで、外務省のやりそうなことである。「最初の招待客」の舞台裏の真相はともかく、日本が最初だからと力説するのは、学校の先生に頭をなでて貰ってニコニコ喜んでいる小学生の姿と大差ないとはいえないか。外務省もメディアも大人げない。
毎日新聞のコラム「近事片々」(2月26日付夕刊・東京版)がおもしろい。 日米の間は遠き片思い? 地球の裏側から訪ねてきた客人にそっけないこと。そんな程度ならケータイですませれば ― と。
「これも一案か」と思わず笑ってしまったが、仮にケータイ首脳会談が実現したとしても、重要なことは日米首脳会談で何が話し合われたのか、である。各紙の伝えるところによると、今回の首脳会談の骨子はつぎのようである。 ・日米同盟の一層の強化。地球規模の課題に日米で取り組む ・在日米軍再編の着実な実施 ・基軸通貨ドルの信認維持 ・北朝鮮の非核化の実現に協力 ・クリーンエネルギー、地球温暖化対策などで協力するための協議開始
政治、外交、軍事、経済と多岐にわたっており、地球温暖化対策までも視野に入れている点がブッシュ前政権時代との質的差異を示しているが、首脳会談の焦点は「日米同盟強化」の路線を打ち出したことである。この一点こそが重要ではないか。この同盟強化は先のクリントン米国務長官の訪日の際にすでに打ち合わせ済みであった。麻生政権はいずれ退陣するとしても、その後の政権を拘束する性質のものといえるのではないか。
▽日米同盟強化を是認するメディア
以上のような日米首脳会談について大手メディアはどう論評したか。社説(いずれも2月26日付)の要点を紹介すると、つぎの通りで、結論としていえることは、各紙に共通しているのは日米同盟の強化路線を是認していることである。批判的視点はほとんどうかがえない。 わずかに東京新聞のみが以下のような懸念を指摘している。しかもこの指摘は重要であり、その行方は今後の見どころである。 同盟強化の名の下に、自衛隊のさらなる貢献や巨額な戦費負担を迫られはしないか。「ドルの信頼維持」の確認で、米国債の引き受け圧力が強まる懸念もあろう。十分に留意すべき点だ ― と。
*朝日新聞 会談にはそれなりの大きな意義があった。 深刻さを増す世界同時不況に対し、各国は破局を防ぐための国内対策に追われる一方、国際的な協力、助け合いの道を探っている。経済規模が世界1位と2位の国のトップが互いの認識を確かめ合い、協調を語った。 もう一つ、米大統領が8年ぶりに交代したことで、国際政治の方向が変わろうとしている。主要国は外交を活発化させ、新しい流れに対応しようとしている。 そうした動きに日本も後れをとってはならない。「日米同盟は東アジアの安全保障の礎石」(オバマ大統領)という認識を土台に、さまざまな国際問題や地球環境対策などで協調していく方向となったのは、予想されたこととはいえ、出発点としてはいい。
*毎日新聞 麻生太郎首相とオバマ大統領の初の日米首脳会談は、同盟国として責任を共有していくことを確認する場となった。 大統領は日米同盟を東アジアの安全保障の「礎石」と位置づけ、「私の政権が強化したいものだ」と述べた。「強化」とは、日米関係を2国間の問題だけでなく国際社会共通の課題に協調して取り組めるような関係に発展させたいという期待を込めたものだろう。 首相が口癖のように言う世界第1位、2位の経済大国の日米が手を携えなければならない時であるのは論をまたない。
*読売新聞 幅広い分野で重層的な協力を続けることが、日米同盟の強化にも大いに役立つだろう。 麻生首相とオバマ米大統領が初めて会談し、世界同時不況やアフガニスタン、北朝鮮問題などで日米両国が緊密に連携する方針を確認した。 オバマ政権は多国間協調外交を志向している。日本は、これに呼応し、従来以上に能動的な外交を展開する必要がある。互いに信頼できるパートナーになる努力を重ねることが肝要だ。 百年に一度の経済危機から早期に脱するには、世界1位と2位の経済大国による政策面での共同歩調が欠かせない。
*東京新聞 会談では、テロ対策や経済危機など地球規模の課題に対処するため、日米同盟を「重層的」に強化することで一致した。例えば混迷が続くアフガニスタン問題で、日本が得意とする非軍事分野で存在感を示すのは好ましいことだ。 だが、同盟強化の名の下に、自衛隊のさらなる貢献や巨額な戦費負担を迫られはしないか。「ドルの信頼維持」の確認で、米国債の引き受け圧力が強まる懸念もあろう。十分に留意すべき点だ。
▽日米同盟の「重層的」強化とは何か
以上4紙の論評から日米首脳会談のキーワードを引き出せば、以下のようである。
・「日米同盟は東アジアの安全保障の礎石」(オバマ大統領) ・同盟国として責任を共有 ・日米同盟を「重層的」に強化することで一致 ・オバマ政権は多国間協調外交を志向 ・世界1位と2位の経済大国による政策面での共同歩調
キーワードの中で「日米同盟は東アジアの安全保障の礎石」(オバマ大統領)という認識はクリントン米国務長官も繰り返し、言及しており、これがアメリカの今後の対日同盟戦略の基本であろう。これまでもそうだったし、それを継承するという意図の表明である。これを受けて日本側は「同盟国として責任を共有」することを改めて約束した。「責任の共有」といえば、そこに対等平等の関係が保持されているような印象を与えるが、現実にはむしろ日本側の責務として位置づけられているのではないか。 しかしこれだけではブッシュ前政権時代と大差ない印象を与える。つまり米国の軍事的覇権主義と単独行動主義を前面に押し立てて、日本がその一翼を担うという構図は変わらない。これではオバマ政権のChange(変革)路線そのものに疑問符が投げかけられる。変革路線はまやかしなのかという批判も浴びることにもなるだろう。そこで登場してくるのが日米同盟の「重層的」強化であり、オバマ政権の多国間協調外交である。
「重層的」とは、軍事一本槍を捨てて、非軍事の分野、つまり外交、経済、さらに地球環境問題を含む多様な対外政策の展開を意図している。それを補強するのがブッシュ時代の単独行動主義に替わる多国間協調外交なのであろう。このこと自体は評価できるとしても、注意を要するのは、軍事的覇権主義を放棄するのかといえば、決してそうではないという点である。 イラクからの米軍撤退は実施する一方、アフガンには米軍増派を決定しているし、また日本で進む米軍再編にしても、巨大な在日米軍基地網の一部再編ではあるが、決して米軍基地網の完全撤去ではないことを指摘しておきたい。 アメリカが海外に軍事基地網を維持する限り、アメリカの軍事的覇権主義は機能し続ける。こういう認識が日本国内でもっと広がって欲しいが、現実はそうではない。沖縄をはじめ、米軍基地問題で日常的に苦しんでいる基地周辺の人々は別にして、米軍基地が及ぼす負の影響への認識は概して希薄ではないか。
キーワードのうち最後の「世界1位と2位の経済大国による政策面での共同歩調」は主として麻生首相の主張だが、こういう感覚はいささか古すぎる。というのは「経済大国」という感覚が21世紀という時代に合わないからである。 まず経済大国とは、いうまでもなく国内総生産(GDP)という物差しで測った一国の輸出、設備投資、消費などの量的大きさを示すにすぎない。それは石油浪費や大量の廃棄物排出を意味しており、地球環境を汚染・破壊する大国でもある。決してその国の生活の質的豊かさを示す指標ではない。 つぎに世界1位の経済大国アメリカが何と先進国で最大の貧困国であり、2位の日本が2番目の貧困国であることを忘れてはならない。この貧困は相対的貧困率(中位の所得水準の半分以下にランクされる低所得者層の割合)を指しており、日米両国ともに今や貧困大国であり、経済大国などと自慢できる国柄ではない。
▽日米安保の金婚式(?)は歓迎できない
それにしてもメディアの多くが日米同盟(=日米安保体制)への批判力を失っているのはどういうわけなのか。日米同盟を当然の現実として受け入れる雰囲気さえがある。現役記者でいわゆる安保世代は皆無であることも一因だろう。生まれたときからテレビに囲まれていたように、多くの現役記者にとって安保は既定事実として存在していた。 私(安原)自身は安保世代である。新聞社の地方支局から東京本社社会部に配属になったのが1960年春で、駆け出し記者でありながら、取材記者として日米安保(1960年6月新安保条約が国会で成立)反対闘争の渦に巻き込まれた。国会周辺での大規模な渦巻きデモ、夜空にこだまする「安保ハンターイ」の叫び声はいまなお脳裏から消えない。
もう一つ、私の想像だが、現役記者の多くは日米安保条約に目を通したことがないのではないか。安保世代でもなく、その上勉強不足が重なれば、批判力が育たないのは当然であろう。 来年2010年には日米安保50周年を迎える。夫婦でいえば、お目出度い金婚式である。盛大なお祝いに相当するが、安保の金婚式(?)はとても歓迎できない。なぜなら日米安保体制は諸悪の根源といえるからである。なぜそういえるのか。以下、日米安保条約の条文に沿って考えてみたい。
▽軍事・経済同盟としての日米安保体制
日米安保体制は、以下のように日米間の軍事同盟と経済同盟の2つの同盟の土台となっている。
*「軍事同盟」としての日米安保体制 軍事同盟は日米安保条約3条「自衛力の維持発展」、5条「共同防衛」、6条「基地の許与」などから規定されている。 特に3条の「自衛力の維持発展」を日本政府は忠実に守り、いまや米国に次いで世界有数の強力な軍事力を保有している。これが憲法9条の「戦力不保持」を骨抜きにしている元凶である。 しかも1960年、旧安保から現在の新安保に改定された当初は対象区域が「極東」に限定されていたが、今では変質し、「世界の中の安保」となっている。その節目となったのが1996年の日米首脳会談(橋本龍太郎首相とクリントン大統領との会談)で合意した「日米安保共同宣言 ― 21世紀に向けての同盟」で、「地球規模の日米協力」をうたった。
これは「安保の再定義」ともいわれ、解釈改憲と同様に条文は何一つ変更しないで、実質的な内容を大幅に変えていく手法である。この再定義が地球規模での「テロとの戦い」に日本が参加していく布石となった。小泉政権がブッシュ米大統領時代の米国の軍事的覇権主義にもとづくアフガニスタン、イラクへの攻撃に同調し、自衛隊を派兵したのも、この安保の再定義が背景にある。 こうして軍事同盟としての安保体制は、「日米の軍事一体化」、すなわち沖縄をはじめとする広大な在日米軍基地網を足場に日本が対米協力していく巨大な軍事的暴力装置となっている。
*「経済同盟」としての日米安保体制 安保条約2条(経済的協力の促進)は、「自由な諸制度を強化する」、「両国の国際経済政策における食い違いを除く」、「経済的協力を促進する」などを規定している。「自由な諸制度の強化」とは経済面での自由市場主義の実行を意味しており、また「両国の国際経済政策における食い違いを除く」は米国主導の政策実施にほかならない。
だから経済同盟としての安保体制は、米国主導の新自由主義(金融・資本の自由化、郵政の民営化など市場原理主義の実施)による弱肉強食、つまり勝ち組、負け組に区分けする強者優先の原理がごり押しされ、自殺、貧困、格差、差別、人権無視、人間疎外の拡大などをもたらす米日共同の経済的暴力装置となっている。それを背景に日本列島上では殺人などの暴力が日常茶飯事となっている。小泉政権時代に特に顕著になり、その甚大な負の影響がいまなお尾を引いていることはいうまでもない。 これが憲法13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」、25条の「生存権、国の生存権保障義務」、27条の「労働の権利・義務」を空洞化させている元凶である。
日米首脳会談の場に限らず、日本政府は機会あるごとに「日米同盟堅持」を強調するが、これは、以上のような特質をもつ軍事・経済同盟の堅持を意味する。 重要なことは、最高法規である平和憲法体制と条約にすぎない日米安保体制が根本的に矛盾しているにもかかわらず日米安保が優先され、憲法の平和・生活理念が空洞化している現実である。つまり日本の国としてのありかたの土台、根本原理が歪められ、蝕まれているわけで、ここに日本の政治、経済、社会の腐朽、不正、偽装の根因がある。 この矛盾、偽装からどう脱出するか。答えはただ一つ、従属的な日米安保条約を破棄して、真に平等互恵の日米平和友好条約(仮称)に切り替えていくことである。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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