今月末から日本で公開される、米映画「フロストxニクソン」。「フロストxニクソン」の「フロスト」とはリチャード・ニクソン故米大統領(任期1969年―1974年)を、「フロスト」とは英国人のテレビ司会者デービッド・フロストを指す。全米を揺るがした政治スキャンダル「ウォーターゲート事件」で失脚し、大統領を辞任したニクソンをフロストがインタビューした実話の映画版だ。(ロンドン=小林恭子)
ウォーターゲート事件(1972年)とは、米民主党全国委員会事務所への不法侵入・盗聴事件。事件の調査過程でニクソン大統領が盗聴に関わっていたことが明らかになり、1974年、辞任する羽目になる。任期中に辞任した大統領はニクソンが初めてだ。
米国民はニクソンが公式に謝罪することを望んでいたが、謝罪がないままに時が過ぎた。辞任の翌年、後任のフォード大統領はニクソンに特別恩赦を与えてしまった。
1977年、辞任から3年経ち、ニクソンは英国人のテレビ司会者フロストの長時間インタビューを巨額で受諾する。ニクソンはイメージアップを狙っており、フロストは単なる番組ホストからの脱却を目指していた。巨額のインタビュー費用を借金し、ニクソンとの決戦に挑んだフロストは、果たして、米国民が望む謝罪を元大統領から引き出せるかー?
この映画の元々はロンドンの舞台劇だった。2006年8月、ロンドンのドンマル・ウェアハウス劇場での初演が始まりだ。翌年には米ブロードウェーで上演の運びとなった。台本を書いたのは英国人ピーター・モーガン。モーガンが最初にフロストとニクソンの話を書こうと思い立ったのは、「英国人ジャーナリストの話だったから」(今年1月、BBCラジオでの談話)だそうだ。「英国人が」という部分がきっかけというのは意外である。
モーガンのこれまでの作品には映画「クィーン」(2006年)、ブレア前英首相とブラウン現首相との確執を描いた英テレビのドラマ「ディール」(2003年)などがある。
映画化にあたり、モーガンが監督に選んだのはロン・ハワード(「コクーン」、「ビューティフル・マインド」など)。先のBBCラジオの番組の中で、「台本を素直に映画に出来る監督が欲しかった」とモーガンは述べている。オリバー・ストーン(「7月4日に生まれて」、「JFK」他)ではなく、ロン・ハワードだ、と。ストーンは既に「ニクソン」(1995年)を作っている。ストーンがやったら、原作とは全く違う作品に作り変えられてしまうと懸念したのだろうか?
ニクソン大統領とウォーターゲート事件を扱った映画では、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンがワシントンポスト紙の記者に扮した「大統領の陰謀」(1976年)があった。この映画を観て、「ジャーナリストになりたい」と思った人は多いのではないだろうか。「フロストxニクソン」も似たような興奮を呼び起こす作品だ。ジャーナリズムに関する興味深い映画の1つと言えるだろう。
さて、「ジャーナリズム」というのを、どう説明したらいいだろう?
「日々の出来事をつづる」という意味で広く解釈するとしても、何らかの形で物事の真実、本質を言い当てるという役目があるとしたら、フロストはこの映画で完璧にジャーナリストだったと言えるだろう。真実を突き止めるためのフロストのやり方は、経験に培われた勘である。調査も十分にやるのだけれど、最後は度胸とその人の感性がものを言う。改めて、それが分かる映画だ。
フロストのインタビューは12日間に渡って行われ、インタビューを収録した番組は4500万人が視聴した。
▽フロストとニクソンを演じる
主役の2人の俳優(ニクソンがフランク・ランジェラ、フロストがマイケル・シーン)は、舞台劇の時そのままだ。
マイケル・シーンはウェールズ出身の俳優で今年40歳。尊敬する俳優としてリチャード・バートンを挙げている。英国内で広く注目されたのは、先のモーガンのテレビドラマ「ディール」でブレア元英首相を演じた時だ。その後、映画「クィーン」でもブレア氏を演じた。BBCのドラマで、英国の喜劇俳優ケネス・ウィリアムスを演じ(「ファンタビュロサ」、2006年)、これも高く評価された。実在の人物を演じるのが本当に好きらしい。モーガンとのコンビで、もう一度ブレア首相を演じる予定となっている。
一方のフランク・ランジェラは71歳。イタリア系米国人でニュー・ジャージー生まれ。シラキュース大学でドラマを専攻し、1959年卒業。ブロードウェーの舞台劇と後の映画版「ドラキュラ」(1979年)でドラキュラ役を演じて名が知られるようになる。出演作品は多いが、近年の作品の一つが俳優ジョージ・クルーニーが監督した、米テレビ界の内幕物「グッドナイト・アンド・グッドラック」(2005年)。2007年、「フロストxニクソン」の舞台版での演技で、優れた米演劇に与えられるトニー賞の主演男優賞を授賞している。
「フロストxニクソン」は2月末発表された米アカデミー賞で最優秀作品賞にノミネートされていたが、受賞は逃した。派手な作品ではなく、おもしろおかしい作品でもないが、知的な娯楽作品として、じっくり楽しめる映画だ。おそらく最も似つかわしいのは映画館よりも、くつろげる自宅の居間かもしれない。
▽ウォーターゲート事件の経緯
ウォーターゲート事件を振り返ってみよう。
1972年6月17日、ワシントンのウォーターゲート・ビル内の米民主党本部に押し入った5人の男性が逮捕された。男性たちは数千ドルの現金と大統領官邸内の電話番号を持っていた。
同年8月、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者が、ニクソンの大統領再選のための選挙チームが先の強盗の1人に2万5000ドル(現在の換算では約240万円)を渡していたと報道した。「ディープ・スロート」と呼ばれる秘密の情報源からの情報をもとに、記者2人は、与党共和党が民主党を混乱させるため「汚い手口」を使っていたことを突き止める。(2005年、元FBI副長官マーク・フェルト氏が自分がディープ・スロートだったと告白した。フェルト氏は2007年亡くなった。)
11月、事件への関与が噂されていたにも関わらず、ニクソンは再選を果たす。
1973年7月、上院のウォーターゲート事件特別委員会の公聴会で、大統領補佐役の一人が、大統領官邸では執務室の全ての会話が録音されていると証言する。特別検察官アーチボルド・コックスが録音テープの提出を要求したが、ニクソンはこれを拒み続けた。
同年10月、テープの提出を拒むニクソンに委員会への召喚命令が出た。ニクソンはコックス検察官の解雇を要求した。解雇を拒否した司法長官が辞任し、司法次官も辞任。結局、検察官を解雇したのは新任の司法長官代理だった。相次いだ辞任と解雇を「土曜の夜の虐殺」と呼ぶ。
1974年7月30日、最高裁の命令でニクソンはテープを提出するが、一本のテープの中の18分半の記録が消されていた。「秘書があやまって消してしまった」とニクソン側は説明した。一方、下院は大統領の弾劾決議を可決していた。
8月4日、1972年の強盗事件の数日後、ニクソンが事件のもみ消しを画策していたことを示すテープが見つかった。8日、ニクソンはテレビ演説で辞任を表明。翌日、ヘリコプターに乗ったニクソンは大統領官邸を後にした。1ヶ月後、後任となったフォード大統領はニクソン元大統領に対し、無条件の特別恩赦を行うと発表した。
1977年、フロストによるニクソンのインタビューが実現した。3月23日から12日間の間に行なわれ、同年5月、4回に分けて放映された。
▽インタビューの後、登場人物はどうなったか?
フロストはニクソン以降、歴代米大統領をインタビューする機会を得た。朝のテレビ番組の司会者として著名になり、1993年から2005年まで続いた「ブレックファースト・ウィズ・フロスト」はBBCの人気番組の1つとなった。2006年からはカタールの衛星放送「アルジャジーラ」の英語版で「フロスト・オーバー・ザ・ワールド」という自分の番組を持つ。1993年、「ナイト」の称号を得た。
ニクソンは辞任後、10冊の本を書き、多くのスピーチの依頼をこなし、精力的に活動を続けた。1994年、政策シンクタンク「ニクソン・センター」を立ち上げて間もなく、心臓発作で亡くなった。 *** 「視点を変える」ニュースサイト、「ニューズ・マグ」2月25日分より再掲載。第2部「デービッド・フロストの経歴と評価」は「ニューズ・マグ」に続く)
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