ツバルそしてニウエという国名をご存知だろうか。両国とも南太平洋上に浮かぶ小さな島国で、ツバルは地球温暖化に伴う海面の上昇で国そのものが沈没の危機にさらされており、一方、ニウエのタランギ首相はこのほど来日し、3月5日、日本記者クラブ(東京・千代田区内)で記者会見を行った。席上、「地球温暖化の悪影響は将来ではなく、現に起こりつつあり、その対策は緊急を要する課題」と強調した。この発言は私には日本は地球温暖化対策で少しのんびりし過ぎているのではないか、という苦言と聞こえた。
ニウエのタランギ首相の来日は、5月に北海道で開く第5回「太平洋・島サミット」に向けて日本政府と打ち合わせるためで、すでに麻生首相、中曽根外相らと会談した。5月のサミットでは麻生首相とタランギ首相が共同議長を務める。 この「太平洋・島サミット」は、オーストラリア、ニュージーランドを含む南太平洋の16の島国・地域が参加する太平洋諸島フォーラム(PIF)と日本が地球環境問題を中心に意見交換する国際的な場で、1997年以来、3年ごとに日本で開かれてきた。
なお参考までにいえば、ツバルは面積30平方キロ、人口1万人。ニウエは面積260平方キロ、人口2200人。 タランギ首相の横顔を紹介すると、ニウエ生まれの58歳、ニュージーランドの大学卒で、農業科学学士。08年首相に就任するまでに財務、郵政・通信、教育・環境大臣を歴任、現在、上記の太平洋諸島フォーラム議長のほか、ラグビー協会会長なども務めている。
▽小さな島国の首相会見 ― 「気候変動の被害はすでに進行中」
小さな島国のタランギ首相が記者会見で語った内容(要旨)はつぎの通り。
・考えてみると、日本も島国 ― といっても規模ははるかに大きいが ―で、 われわれ島国と同じであり、今後一層良好な関係を築いていきたい。 ・気候変動(地球温暖化など)による海面上昇のため、ツバルは国土のほとんどが冠水しており、水からの多様な危険に直面している。このテーマはわれわれ島嶼(とうしょ=大小のしまじまの意)だけではなく、世界中の海岸線のある国に共通のものであることをしっかり認識すること、その上で環礁(かんしょう=環状をした珊瑚礁)になっているツバルなどは被害が甚大だという認識が必要だ。
・気候変動対策としての二酸化炭素(CO2)削減というと、なにか未来の抽象的な印象になるが、これは決して抽象的な話ではなく、われわれ島嶼国は日常的にひしひしと気候変動に伴う変化を感じている。だから迅速な対応策をとらねばならない。いますぐ対策をとったとしても、こわされている環境、気候上のバランスを取り戻すには相当の年月を要することを認識しなければならない。 ・(例えばツバルは今後何年くらいで水没するだろうという具体的な予測はあるのか、という質問に対して)そういう予測の数値は持ってはいない。完全水没は50年後かも知れない。しかし島民たちがすでに具体的な被害を受けており、生命の危険にさらされていることを強調したい。重要なことはそのプロセスが目下進行中だということだ。このトレンド(傾向)を反転させるには、今日の事態をもたらしたこれまでと同じ年月が必要となるのではないか。
・一国の島が沈没するのであれば、他国へ移住すればいいではないかという意見もあるが、そういう問題だけでは済まない。例えばツバルがオーストラリアに移住したとして、そのオーストラリア内に主権を築くことができるのかどうかというむずかしい問題がある。 ・いま起こっている気候変動に伴う現象は、特定の国に限られるものではなく、世界的な現象である。この事実を認識できないとすれば、それは人間のあり方として問題とはいえないか。(以上は記者会見)
南太平洋に浮かぶ島嶼国の一つ、ニウエという小国からやってきた首相の記者会見があるというので、興味も手伝ってわざわざ出かけて聞いた。同じ南太平洋上の環礁島、ツバルはすでに海面上昇によって国土のかなりの部分が波に洗われており、島国ぐるみ沈没の危険があることで知られているが、ニウエという島国は失礼ながら私(安原)の視野になかった。 しかし記者会見での話しぶりを聴きながら、私は内心、自らの不明を恥じていた。「この人物は、我らが日本国宰相、麻生首相よりも見識があり、立派なのではないか」と思い始めたのだ。後で貰った横顔紹介文を読むと、なんと「政治、経済、文化における見識を幅広く有している」と明記してある。日本の政治家でこれだけの幅広い見識を、多少の誇張を交えても、誇ることのできる人物が果たして何人いるだろうか。
▽大きな島国・日本への苦言 ― 環境先進国に転換できるのか?
上記の記者会見の内容で、注目すべき発言を拾い出してみると ― ・水からの多様な危険(生命の危険も含めて)に直面しているのは、ツバルに限らず、海岸線のある世界中の国に共通している。 ・気候変動問題には迅速な対応策が必要だ。いますぐ対策をとったとしても、環境、気候上のバランスを取り戻すには相当の年月を要することを認識しなければならない。 ・気候変動に伴う現象は、特定の国に限られるものではなく、世界的な現象で、この事実を認識できないとすれば、それは人間のあり方として問題だ。
以上の発言は私には大きな島国・日本への苦言と聞こえるが、どうだろうか。 「海岸線のある世界中の国」にはもちろん大きな島国・日本も含まれる。日本としての備えは大丈夫なのか、という忠告ではないのか。「気候変動問題には迅速な対応が必要」という発言は、特にEU(欧州連合)に比べて消極的であり、出遅れ感の否めない日本への明確な苦言としか読みとれない。 最後の「気候変動を世界的現象としてとらえないとすれば、人間として問題だ」はこれまた手厳しい日本批判とはいえないか。
日本は従来地球環境問題を経済成長の制約条件ととらえて副次的な位置づけしか与えなかった。しかし今や地球環境問題の打開なくして経済発展(国民生活の質的改善を意味しており、経済成長と同一ではない)はありえない。いいかえれば地球環境問題への対応の中にこそ経済発展の新しい芽を発見すべき時代でもある。 欧州諸国はすでにそういう方向に動き出しており、アメリカもオバマ大統領の登場によって「グリーン・ニューディール」(自然エネルギーの新規開発を軸とする緑の内需策)を掲げて、経済と生活を破綻に追い込んだこれまでの新自由主義路線から転換を目指しつつある。この種の新規政策は従来の石油確保中心時代の生命軽視から生命尊重へと転換していく可能性があることを示唆している。地球環境問題への適切な対応は、利益本位のビジネスの領域を超えて人間としての器量が試されるテーマでもあるだろう。
あの小国首相の「人間として問題だ」発言は、そう言いたかったのではないか。しかし日本ではそういう視点が希薄すぎる。出遅れ感を拭いきれない現状のままでは日本は21世紀という時代が求める環境先進国へと果たして転換できるのだろうかという懸念はいつまでも消えない。 もう一つ、軍事力を振り回す利己的な大国の時代は足早に去って、地球共益を視野に置く思慮深い小国が重みを持つ時代が急速に台頭しつつあるという印象も否めない。補足すれば、ニウエは「独自の軍隊を保有していない」(前田朗著『軍隊のない国家・27の国々と人びと』日本評論社刊・参照)。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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