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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2009年04月23日00時01分掲載
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文化
「日本の法律はお役所のためにある」 コリン P.A.ジョーンズ著『アメリカ人弁護士の見た裁判員制度』
インターネットの検索を利用して、裁判員制度についての本を調べると、驚くほど、たくさん出版されていることが分かる。筆者が書いた『司法殺人』(影書房刊)も、きっと、含まれているはずだ。当然のことながら、良書よりもそうでないものの方が多い。筆者は、専門書ではない一般市民向けに書かれているもので、わかりやすくて、面白くて、ためになるもので、しかも、価格が安いという、得をした気分にさせてくれる、欲張った注文に答えてくれる本を探し出した。それはジョーンズさんの『アメリカン人弁護士の見た裁判員制度』(平凡社新書 本体価格720円 2008年11月)である。(根本行雄)
この本を知ったのは、弁護士の五十嵐二葉さんと映画『それでもボクはやっていない』の周防正行監督の対談(掲載は、『法と民主主義』09年1月号 通巻435号)である。周防監督が「『アメリカ人弁護士の見た裁判員制度』にあるとおり、みんながいい人だから冤罪が起きる、そのものです」という発言を読んだからである。(実は、この対談はとても面白いので、読者には一読をおすすめしたい。映画『それでもボクはやっていない』の製作の裏話も含まれている。)
この本が面白いのは、何といっても、アメリカ人弁護士が書いたという点にある。岡目八目。内部にいる者には分からないことが、当然のことながら、外側にいる者によくわかるものだから。この本を読みながら、いたるところで、目からウロコが落ちる思いを何回も何回も味わった。落ちたウロコの数は、きっと10枚以上になるだろう。そのうえ、アメリカで行われている陪審制についての説明を踏まえて、それと比較をしながら裁判員制の理解しにくい部分、謎の部分をわかりやすく説明しているのがいい。
ジョーンズさんは、まず、「日本の法律はまずお役所のためにある」のだと喝破する。「日本の法律の多くは、罰則を背景とした義務や禁止事項を課すことにより、市民や企業などの自由を制限している。これは別に悪いことではないが、お役所の行動となると、お役所の裁量に委ねられることが多い。もちろん、行動を詳細に定める省令や通達など、ある程度明文化されたルールはある。しかし、省令や通達は、法律に比べて、そのお役所だけで簡単に変えることができる。そして、お役所がしなければならないことについては、罰則規定がほとんどない。そのため、日本の法律の多くは、国民について「〇〇をしなければならない、してはならない」となっているのに対して、お役所については「〇〇ができる」となっているようだ。」(37頁〜38頁)この特徴は、日本の法制度の根幹をなしている。
「日本の法律はまずお役所のためにある、というのが私の味方の基本である。もちろん、お役所に勤めている公務員にも、法律を作ったり、執行したりするのは国民のためという意識はあるだろう。ただ、お役所があって初めてそれができるので、国民のための法律である以前に、お役所の存在意義および権限と、威厳の維持もしくは拡大のために機能しなければならない。それが満たされて初めて、国民のために機能する。したがって、かなりキツイ言い方をすると、『市民を公権力に屈服させることは、日本における法律の最大の目的である』といえるかもしれない。」成田空港をはじめとして、日本全国の住民運動が警察権力によって弾圧されたり、抑圧されたり、妨害されたりしてきている現実の背景がよくわかる。つまり、日本においては法律が「市民による市民のためのルール」になっていないのだ。
筆者が日頃から、疑問に思っていることの1つに、指示速度(速度制限)の標識がある。これはかなりデタラメに設置されているのではないかと思っている。国道で、道路の両側に歩道があっても、たいていは制限時速は50キロになっている。片側にしか歩道がないところでは、40キロに制限されている。だから、たいていの自動車は制限時速を守っていない。たいていのクルマは60キロくらいで走行しているのが普通だ。歩行があり、歩行者のいない、舗装のされた道路では、たいていのクルマは80キロくらいで走行している。だから、60キロで走っていても、追い抜きをかけられることが多い。
新東京国際空港(成田空港)の近辺でも、同様である。立派に舗装され、ゆったりとした歩道もあるところでも、空港の周囲の指示速度はたいてい50キロだ。だから、やはり、ここでも、ほとんどのクルマは制限速度を守っていない。
日本では、制限速度を守らないことが日常茶飯の、ごくごく当り前になっている。しかし、これはおかしなことではないだろうか。それがルールである以上は、ある日、突然、交通違反だとして摘発されることはありうるからだ。日本の警察は、いつでも、どこでも、自分たちの都合のよいように、交通ルールを守らせるという強制が合法的にできるということである。「悪法もまた法なり。」法である以上は、強制力があるからだ。
多くの人々にとってルールを守らないことが当り前になっている。ほとんどの人が守らないようなルールが、そして、守らなくても全然支障がないルールをわざわざ決めている必要があるのだろうか。それがネモトには不思議でたまらなかった。それが、この本を一読して、氷解してしまった。
「法律が、お役所のための、国民への介入の手段として作られているとすれば、面白い現象が起こる。それは、場合によっては国民は法律に従がわなくてもよい、ということである。所管のお役所の威厳と権限さえ担保されていれば、国民の法律遵守は二次的な問題になり、遵守の「体裁」だけでよくなる。」(47頁)
「シニカルな味方をすると、国民全員が常に多少の違反をしていれば、公権力にはいつでも誰に対しても動けるという”メリット”もある。」(48頁)
「就職禁止事由の不思議」「役割分担の謎」「守秘義務の謎」「裁判官の否認権の謎」など。今年5月に施行される「裁判員制」という法律には、不思議な点や謎がたくさんある。著者はそれを第3章で、わかりやすく述べている。著者が指摘している、日本の法事情というか、法文化を理解したならば、「裁判員制」の不思議さも、謎も、明解に解き明かされてしまうことは請け合いである。そして、この本を読んだならば、同じ著者の『手ごわい頭脳(アメリカン弁護士の思考法)』(新潮新書)も、是非、読まれることをおすすしたい。
末筆ながら、伊佐千尋さん、土屋公献さん、石松竹雄さんの共著『えん罪を生む裁判員制度(陪審裁判の復活に向けて)』(現代人文社)(本体価格1700円)をおすすめしたい。裁判員制のもつ問題点がとてもわかりやすく述べられている。なかでも、佐伯千仭先生の「陪審裁判の復活のために」は、是非、読んでいただきたい。
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アメリカ人弁護士が見た裁判員制度
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