・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・国際
・農と食
・教育
・文化
・アジア
・入管
・中国
・市民活動
・米国
・欧州
・みる・よむ・きく
・核・原子力
・検証・メディア
・反戦・平和
・外国人労働者
・司法
・国際
・イスラエル/パレスチナ
・市民活動告知板
・人権/反差別/司法
・沖縄/日米安保
・難民
・医療/健康
・環境
・中東
提携・契約メディア
・AIニュース
・司法
・マニラ新聞
・TUP速報
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2024年11月22日
・2024年11月21日
・2024年11月20日
・2024年11月18日
・2024年11月17日
・2024年11月16日
・2024年11月15日
・2024年11月14日
・2024年11月13日
・2024年11月12日
|
|
2009年05月09日15時39分掲載
無料記事
印刷用
中国
天安門事件の「問題発言」が学生会会長のリコール運動に 事件の名誉回復求める香港大で
天安門事件20周年を控えた今年4月、香港大学学生会が主催する同事件関連のフォーラムで、学生会会長が発した一言が波瀾を呼び、会長のリコール運動にまで発展した。発言は北京政府におもねっているとの激しい反発が、キャンパス内外から起きたのだ。彼は天安門事件の名誉回復のアピールは必要だとする姿勢は崩していないが、学生たちの民主化要求運動の弾圧が歴史的な過去となりつつある世代にとって、事件をどう位置づけるかは難しくなりつつあるようだ。(納村公子)
天安門事件を記念する彫像・国殤之柱(The Pillar of Shame*)が香港大学学生会正門前に建てられたことは、学生会の「天安門事件の名誉回復」アピールが投票によって会の憲章に加えられたことを示している。ところが、天安門事件の波は、学生会会長になって1か月の陳一諤を襲った。
2009年4月7日、陳一諤は同大学の天安門事件に関するフォーラムで発言したとき、中央政府が天安門事件でとった手段には「問題がある」と述べた。このために、政府におもねっていると各方面から激しい反発にあった。そのあと、同学生会は、陳一諤の言論が学生会の立場を代表していないという声明を発表した。一方、同大学の学生、陳巧文が陳一諤をリコールする動議を起こした。 キャンパスの内外では「陳一諤は左派の高校を卒業した‘隠れ左派’だ」「中聯(中共中央対外聯絡部)のスパイだ」などと言われ、少なからぬ学生や卒業生が「出身校を改めろ」という呼びかけを行い、陳一諤は弱り切った。
「これは誤解なんです」と、陳一諤は本誌記者に言った。フォーラムでの発言で本当に言いたかったのは、天安門事件での政府のやり方は「問題がある」(もとの発言は「中央政府はおそらく鎮圧ということ、やり方に問題があった」)ということで、「ちょっと問題がある」ではない。そして、やり方が残酷であったことも強調した。 しかし、ゲストの劉慧卿立法会議員から、「ちょっと問題があるではない!」と反発を食らった(もとのことばは「陳くんは政府のやり方がちょっと問題だと言ったが、これは大いに問題なんだ」)。それに続く議論では劉議員が言った「ちょっと問題」で話が進められてしまった。
陳一諤は、ことばで争いたくないという。「虐殺」と言おうが「弾圧」と言おうが、天安門事件全体からすれば細かい表現の争いに過ぎないと彼は言う。 「姿勢の上で天安門事件の名誉回復のアピールは必要だ。ぼくはもっと歴史を正視するスタンスで89年の民主化運動を知りたいと思う」 彼は、天安門事件の名誉回復を強く支持していると何度も言い、自分は「本当の民主派だ」と言った。
彼が左派だとか、スパイなどという話については、通っていた沙田蘇浙高校は政治的立場は主張していないし、中聯ともなんの関係もないと、学校外のセレモニーのとき「挨拶した程度」だという。
1989年生まれの陳一諤は、自分が生まれた年に起きた学生運動は、「独学」で学んだ。「ぼくは天安門事件の歴史的流れと転換点に注目している。重点は、軍隊が武器を持たない学生にどうやって血の弾圧をしたかという描写じゃないんだ」という。当時の報道資料のほか、張家敏の『建国以来』、趙鼎新の『国家・社会関係と八九北京学生運動』は、彼にとって重要な本である。カーマ・ヒントンのドキュメンタリー映画『天安門事件』は何度も見ている。
陳一諤と同じような生い立ちの同大学学生会の成曉宜副会長によると、香港の高校で教えている中国の近現代史には天安門事件は入っていないという。 「試験範囲にも入っていません。先生が関心を持っていれば授業で話してくれましたが、主には自分で集めた資料に頼っています」
大陸の学生がフォーラムで言った「天安門広場では一滴の流血もなかった」という話に、彼女は悲しく思ったが、怒りはなかった。 「そんな必要はないし、大陸の学生と現地の学生とを枠にはめることもない。大陸の学生も天安門事件を知らない人、関心のない人が多い。でも、大陸の学生から天安門事件の名誉回復を支持するというメールだってたくさんもらっている」
しかし、彼女は総括してみれば、香港のほうが大陸より状況はよいと思っている。 「知りたいと思えば調べられる。でも大陸では知りたいと思っても資料がない。だから、彼らを責めることはできない」
▽大陸の学生は政治的主張を避ける
一般大衆に天安門事件への関心を集めるため、2008年、成曉宜は学生会出版の天安門事件特集を編集した。しかし、彼女の努力は思ったほどの効果をあげられなかった。この特集記事に関心を示したのは、ほとんどもともと関心のあった人だった。しかも、大陸の学生は学生会に退会を申し出たという。「学生会にこういう政治的主張があると思っていなかった」からで、「自分はどんな政治的立場もとりたくない」という理由だ。学生会の幹部たちから説明を受け、やっと誤解を解き、退会の申し出を引っ込めた。 天安門事件20周年を前にして、成曉宜は仲間とキャンパスに「中華人民共和国中央人民政府は必ず89年の学生運動の名誉回復を行い、事件において責任をとるべきだ」とする呼びかけを行い、多くの学生の関心を求めた。
しかし、陳一諤はその中の「虐殺」ということばには留保した。こうした過激なことばで中央政府と対立の事態をつくることは、名誉回復に利さないというのだ。そして、北京の異義論者である作家、戴晴女史が出した和解モデルが参考になると言った。 「いままで天安門事件を見るとき、常に目は中央政府の暴行にばかり向けられていた。しかし、ぼくはその目を89年の学生運動全体に向けたいと思う。そこから歴史的経験と教訓をくみとる。そうしてこそ将来の中国と香港の民主化に役立つと思う」
陳一諤は、歴史をフェードアウトさせるつもりはない、ただ民主化運動の学生たちが国を思う気持ちのほうを取り上げたい、だから、発言したとき「虐殺」とか「弾圧」には重点を置かなかった、そうではなく「正しい情報を新しい世代に伝えたかった」ということだ。
しかし、リコールをされた陳一諤は、会長選挙のときのように変革の希望と正しい情報を香港大学の学生にもたらすことができるだろうか。
09年2月に行われた学生会長選挙で、陳一諤は「変革」と「希望」を打ち出し、現地以外の文化を尊重することを公約として立候補し、指導者側の立候補者10人をぬき高い得票率で当選した。いま、大勢の大陸出身の学生たちも問題にかかわった。フォーラムの日、ある大陸の学生が「天安門広場では一滴の血も流されていない」と発言したとたんに聴衆から追い出されてしまった。現場にいた学生の話では、フォーラムの目的は討論なのに、話を聞いて理解しようという姿勢に欠け、人に話をさせず、不快だったという。
陳一諤はその学生が追い出された後、出ていって聴衆に、会長として発言する権利は守らなければならないと言ったが、聴衆のブーイングでその声は消されてしまった。こういう白か黒かを迫る雰囲気や状態は決して名誉回復に利さないと陳一諤は言う。 「ぼくはただ問題を見る視点を一つでも増やそうとしただけだ。いろいろな考え方を交流し、ぶつけあって互いに勉強するために、香港という自由の都市こそ最も貴重な場になるし、みんなも改めて天安門事件に関心を持ち、考える機会になる」
成曉宜と陳一諤は、選んだ方法は違うが、いずれも恐れと焦りを感じている。4月8日、学生会幹事会が、陳一諤の発言は幹事会の立場を代表していないという声明を発表したが、成曉宜は少なくとも彼女個人の立場も代表していないという。陳巧文たちによってリコール動議を発動された後、幹事会はリコール手続きの宣伝と運営を、発動した学生に渡し、できるかぎり中立を保つことにした。彼女個人は陳一諤の発言には「驚いた」という。
リコール運動が展開される中、陳一諤は孤軍奮闘だった。彼はリコールされたからといって発言を撤回するつもりはないという。 「ぼくをやめさせないでほしい。自分の言ったことが正しいと認めてもらいたいからではなく、ぼくなら勇気をもって発言し行動し、みんなに希望と変革をもらたらす会長になれるからだ」
リコール投票で支持を集めるため、陳一諤は4日間大学に泊まり込み、服も着替えておらず、ほとんど寝ていない。インタビューの終わりころ、彼は「はやく結論が出そうでよかった」と言い、疲れを見せていた。
4月22日、リコール投票が行われ、24日には陳一諤の去就が判明する。90年代に育った陳一諤、成曉宜を始め学生たちは、天安門事件の討論会で自分たちが20年前のあの歴史と重なることになるとは思ってもいなかった。 「歴史が天安門事件を公平にあつかうなら、ぼくも公平にあつかってくれるはずだ」と陳一諤。しかし、香港大学で学生会会長をリコールするようなことはほとんどなかった。陳一諤にとっては一生の汚点になるだろう。だが、彼個人だけでなく、学生たちにとってこの一件は貴重な民主の体験となるだろう。天安門事件の論争は終わることはない。
*国殤之柱(The Pillar of Shame)=1997年、デンマークの彫刻家Jens Galschiotの作品。同年、香港市政府は市政公園に設置することを拒み、香港大学学生会が受け入れようとしたとき、学校側に阻止され、設置支持者との間で衝突となった。だが、その後香港の各大学で巡回展示された後、99年、香港大学学生会が恒久的に構内に設置することを決め、大学側もそれを受け入れて、同大学の象徴的モニュメントになった。
原文=『亜洲週間』09/5/3邱晨記者 翻訳=納村公子
◆リコール投票の結果 4月24日の投票の結果、リコールに賛成した票が1592票、反対が949でリコールが成立、成曉宜が暫定的に会長となった。結果が判明した後、香港大学の学生に、「香港大学学生会幹事会」の名で「大陸出身の学生が午後の1時間集中して投票したことに、背後に組織の動きがある疑いがある」「学生会内の悪い勢力と背後の政治組織を打ち倒せ」という内容のメールがとどいた。 学生会ではそのようなメールは一切出していないと発表、大陸の学生たちからも反発があった。誰がメールを出したのかは不明だが、香港における大陸の学生に対する根深い偏見を反映している。 『亜洲週間』09/5/10邱晨記者の記事より
|
関連記事
【関連記事】天安門事件20周年 「共産党の謝罪なしに和解はありえぬ」 元学生リーダーの王丹氏
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
|