衆院総選挙の結果は、民主圧勝、自公惨敗となった。戦後初めての政権交代であり、歴史的変化と評価できることはいうまでもない。しかしたしかに目先が変わる「変化」ではあるが、自公政権時代に比べて質的差異をもたらすような「変革」をどこまで期待できるのだろうか。質的差異の決め手となるのは、多くの災厄をもたらしているあの市場原理主義路線から180度転換することである。 世界的金融・経済危機は同時に市場原理主義路線の破綻を意味した。破綻はしたが、消滅したのではない。米国にも日本にも今なおしぶとく生き残っている。ここを認識したうえで、市場原理主義ときっぱり縁を切れるかどうかが新政権を担う民主党にとって最大の課題といえよう。
総選挙による党派別当選者数(定数480)は、民主308(公示前115)、自民119(同300)、公明21(同31)、共産9(同9)、社民7(同7)、みんな5(同4)、国民3(同4)、日本1(同0)、無所属など7(同8)。民主圧勝、一方自公の惨敗である。
▽大手紙は政権交代をどう論評したか
まず大手5紙(09年8月31日付)社説の見出しを紹介する。 *朝日新聞=民主圧勝 政権交代 民意の雪崩受け止めよ *毎日新聞=衆院選 民主圧勝 国民が日本を変えた 政権交代、維新の気概で *読売新聞=民主党政権実現 変化への期待と重責に応えよ *日本経済新聞=変化求め民意は鳩山民主政権に賭けた *東京新聞=民主が圧勝 自民落城 歴史の歯車が回った
社説は「民主圧勝、政権交代」という厳然たる事実をどのように受け止めたか。
朝日=小選挙区制のすさまじいまでの破壊力である。民意の劇的なうねりのなかで、日本の政治に政権交代という新しいページが開かれた。 それにしても衝撃的な結果だ。小選挙区で自民党の閣僚ら有力者が次々と敗北。麻生首相は総裁辞任の意向を示した。公明党は代表と幹事長が落選した。代わりに続々と勝ち名乗りを上げたのは、政治の舞台ではほとんど無名の民主党の若手や女性候補たちだ。
毎日=まさに、怒濤(どとう)だ。自民党の派閥重鎮やベテランが、無名だった新人候補にバタバタと倒されていった。国民は断固として変化を選んだ。歴史に刻まれるべき政権の交代である。 選挙を通じ政権を担う第1党が交代する民主主義の常道が、日本の政治では長く行われずにいた。政権選択が2大勢力で正面から問われての政権交代は、戦後初めてである。
読売=自民党政治に対する不満と、民主党政権誕生による「変化」への期待が歴史的な政権交代をもたらした。(中略)30日投開票の衆院選で民主党が大勝し、自民党は結党以来の惨敗を喫した。野党が衆院選で単独過半数を獲得し、政権交代を果たしたのは戦後初めてのことである。
〈安原のコメント〉― 誇張とは言えない表現が並ぶ 「すさまじいまでの破壊力」、「民意の劇的なうねり」、「まさに怒濤だ」、「国民は断固として変化を選んだ」、「自民党は結党以来の惨敗」、「政権交代を果たしたのは戦後初めて」 ― などと非日常的な表現があふれている。事実上の自民党一党独裁制が実に半世紀以上も続いた後の政権交代であるだけに、この程度の言辞も決して誇張とはいえないだろう。
▽「民主圧勝、自民落城」の背景、要因は何か
東京新聞社説は見出しで「民主圧勝、自民落城」と形容しているが、その背景、要因は何か。
朝日=民意の劇的なうねりの原因ははっきりしている。少子高齢化が象徴する日本社会の構造変化、グローバル化の中での地域経済の疲弊。そうした激しい変化に対応できなかった自民党への不信だ。そして、世界同時不況の中で、社会全体に漂う閉塞感と将来への不安である。
毎日=財政赤字などのひずみが深刻化する中で登場したのが小泉改革路線だ。郵政民営化など「小さな政府」を掲げ05年衆院選に圧勝、自民党は再生したかに見えた。 しかし、医療、年金、格差や地方の疲弊を通じ国民の生活不安が急速に強まり、党は路線見直しをめぐり迷走した。(中略)現職首相が2度も政権を投げ出し、政権担当能力の欠如を露呈した。小泉政治を総括できぬまま解散を引き延ばす麻生政権に、国民の不満は頂点に達した。
読売=小泉内閣の市場原理主義的な政策は、「格差社会」を助長し、医療・介護現場の荒廃や地方の疲弊を招いた。 麻生首相は、小泉路線の修正も中途半端なまま、首相としての資質を問われる言動を続けて、失点を重ねた。 構造改革路線の行き過ぎ、指導者の責任放棄と力量不足、支持団体の離反、長期政権への失望と飽きが、自民党の歴史的敗北につながったと言えよう。
日経=半世紀余り続いた自民党政治への飽きとともに、前回の衆院選以降に顕著となった自民の統治能力の劣化が有権者の離反を招いたといえる。年金の記録漏れ問題などの行政の不祥事が相次いで表面化した。
東京=老後の年金や医療、雇用に募る不安、教育にも及ぶ格差社会の不公平に有権者は怒り、政・官のなれ合い、しがらみの政治との断絶を促した。自公に代わる民主の政権はそれに応える責務がある。
〈コメント〉― 自民惨敗の背景に市場原理主義 民主圧勝、自民惨敗の背景を的確につかまえなければ、今後の民主党政権への核心をついた注文も難しいだろう。5紙それぞれの指摘を拾いあげてみると ― 。 朝日=地域経済の疲弊、社会全体に漂う閉塞感と将来への不安 毎日=小泉改革路線と「小さな政府」 読売=市場原理主義的な政策 日経=自民の統治能力の劣化 東京=不安と不公平
背景を一つひとつ拾いあげてゆけば、きりがない。問題は構造的かつ根本的な背景は何かである。朝日は「閉塞感と将来への不安」を挙げている。その閉塞感と不安はどこから来ているのか、そこが問題である。日経の「自民の統治能力の劣化」にしても、自民はなぜ統治能力が劣化したのかが問われなければならない。東京の「不安と不公平」も同様で、不安や不公平をもたらしている背景、つまり元凶を追及する必要がある。 その元凶は毎日の「小泉改革路線」であり、読売の「市場原理主義」ではないか。この一点を軽視しては、それこそ画竜点睛を欠くことになるだろう。
▽民主党政権への信頼度と自民党の将来
民主大勝、自民惨敗の背景に「小泉改革路線」がもたらした多くの災厄があるのは間違いないとして、それでは新しい民主党政権への国民の信頼度はどの程度なのか。一方、自民党の再生は果たして可能なのか。
*民主党政権への信頼度は? 朝日=民意は民主党へ雪崩をうった。その激しさは「このままではだめだ」「とにかく政治を変えてみよう」という人々の思いがいかに深いかを物語る。 では、それが民主党政権への信頼となっているかと言えば、答えはノーだろう。朝日新聞の世論調査で、民主党の政策への評価は驚くほど低い。期待半分、不安半分というのが正直なところではあるまいか。 東京=全国各地の投票所に列をなして民主に大勝利を与えた民意が、政権担当の力量をこの党に認めたのかは怪しい。むしろ「よりましな政権」へ雪崩を打ったと見る方がいいかもしれない。
*自民党の再生は可能なのか? 読売=自民党は、これから野党時代が長くなることを覚悟しなければなるまい。民主党とともに2大政党制の一角を占め続けるには、解党的出直しが必要だ。 日経=かつてない敗北となった自民の今後はいばらの道だろう。党の有力者の落選が相次ぎ、人材難は深刻である。 この機会に党組織や候補者選考方法などを抜本的に見直し、新たな党の姿を探るしかない。政権交代可能な二大政党制を定着させるために、自民は文字通りの「解党的出直し」に取り組む覚悟が求められている。
〈コメント〉 ― 「よりましな政権」民主と「解党的出直し」迫られる自民 圧勝した民主だが、それでは国民の信頼度は? となると、朝日は「答えはノーだろう。世論調査では民主党の政策への評価は驚くほど低い」と断じている。また東京は「よりましな政権」という診断を下している。民主は圧勝したからといって、浮かれているときではないぞ、という戒めと受け止めるべきであろう。 一方、大敗した自民に再生の将来性はどこまで期待できるのか。読売、日経ともに「解党的出直し」の覚悟を求めている。この「解党的」の含意がはっきりしないが、自民党ではない新自民党、という意味なら、文字通り自民党を解党する以外に手はないだろう。
選挙運動中の自民候補の言動をテレビで観た限りの印象だが、時代感覚がずれすぎている。例えば、集まった聴衆に土下座している姿には、その卑屈さに失笑するほかなかった。また「守って下さい、助けて下さい」という哀願には「ここまで落ちたか」という以外に言葉を知らない。民主党若手候補の「歴史を動かそう、日本を変えよう」などと未来へのビジョンを語る姿勢との開きが大きすぎる。 自民の敗因は、長期間与党権力の座に安住し、自己鍛錬を怠ったゆえの人材枯渇(閣僚クラスがお粗末すぎる)、大衆増税と税金の無駄遣い、経済界との癒着(ゆちゃく)によるカネまみれ ― など構造的劣化というべきだろう。自民は民主に敗北したというよりも自滅したのだ。新政権を担う民主の面々も、この自民自滅に学ぶ必要があるだろう。「明日は我が身」を避けるためにも。
▽民主党新政権は市場原理主義路線を克服できるのか
自民惨敗の背景に市場原理主義(=新自由主義)路線があったことは否定できない。しかも自民の手で路線転換を図り、その災厄を繕(つくろ)う方策に着手するところまで進まなかった。それでは圧勝した民主はどうか。民主党新政権は果たしてこの市場原理主義路線とは無縁だと言い切れるのか、自公政権の悪しき遺産、市場原理主義から大きく転換できるのか、そこが気がかりである。
自民党のマニフェスト(政権公約)には市場原理主義路線と決別するという文言は見当たらなかったが、麻生太郎自民党総裁は選挙演説でこう述べた。 市場原理主義が世の中を席巻していた。結果として地域格差を生み、福祉にほころびが出た。行きすぎた市場原理主義とは決別する。最優先は景気対策 ― と。
「市場原理主義が世の中を席巻していた」という言い方は不適切である。自公政権が政策として席巻させていたのである。にもかかわらず天から降ってきた自然現象のような言い回しは無責任である。それにしても市場原理主義は自民にとって不利だと気付いたのだろう。反省の弁として「行きすぎた市場原理主義とは決別する」と演説して回った。ここで注意する必要があるのは「行きすぎた市場原理主義」という表現である。市場原理主義には正常な市場原理主義と行きすぎた市場原理主義の2種類があるという認識なのだろう。これもごまかしである。
市場原理主義は本来、行きすぎた政策路線である。米国主導の新自由主義=市場原理主義路線なるものは、1980年代初めの中曽根政権時代に日本に導入され、2001年に発足した小泉政権時代に本格化した。無慈悲な弱肉強食のすすめで、大企業、資産家を優遇する半面、自殺、失業、貧困、格差、不公平が広がり、特に自殺者は年間3万人の大台乗せとなり、今なお続いている。失業も悪化し、総務省(8月28日公表)によると、09年7月の完全失業者数は359万人(前年同月比103万人増で、増加数が初めて100万人を超えた)、完全失業率も5.7%と過去最悪を記録した。麻生氏が「行きすぎた市場原理主義とは決別」と言い訳をしながら全国遊説したが、時すでに遅すぎたのである。
さて民主党新政権はどうか。マニフェストには「市場原理主義は採用しない」とは一行も書いていない。率直に言えば、玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の具体策(賛成できない典型例は高速道路の無料化)は盛り沢山だが、新政権を担うに足りる理念が不足している。マニフェストが強調している理念らしいところはつぎのようである。 ・暮らしのための政治を ・国民の生活が第一 ・ひとつひとつの生命を大切にする。他人の幸せを自分の幸せと感じられる社会。それが目指す友愛社会。 ・税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが民主党の政権交代 ― と。
鳩山由紀夫・民主党代表が目指す友愛社会の実現を本気で志向するのであれば、市場原理主義とはきっぱり縁を切ることが不可欠とはいえないか。この一点こそが自公政権との質的差異を浮き彫りにするはずである。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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