新疆ウイグル自治区ウルムチ市で7月5日に起きたウイグル族の大規模なデモに対して、9月に入り、漢族中心のデモが起こった。その背後には「注射針で人を刺す」という事件があるという。先日、その犯人とされるウイグル族が裁判にかけられたニュースが発信されたが、不可解な部分は多い。漢族のデモが訴えたことは、必ずしもウイグル族に対する反発ではなく、共産党幹部らの腐敗一掃であった。デモの引き金となった注射針事件に伴うパニックも、発信源が政府側メディアにあったと思われるという。(納村公子)
9月3日午後、新疆ウイグル自治区党委員会書記、王楽泉は、自宅を出て、デモ隊と向き合ったとき、おそらく「王楽泉はやめろ」の怒号で迎えられるとは思っていなかっただろう。王楽泉は群衆をなだめようとしたが、話が終わらぬうちに水の入ったペットボトルが投げつけられた。現場の目撃者によると、王は、危険を感じた弁公庁職員らによって家の中にもどされたという。
王楽泉は中国政界では異色の人物で、共産党中央政治局委員であり、軍の大権を握る役人として、新疆ウイグル自治区での政治と軍を掌握して20年近くになり、民間では「新疆王」と呼ばれている。しかし、今年の7月5日以後、王楽泉の声望はがた落ちになった。
七五事件では192人がウイグル人暴徒によって殺害され、1600人あまりが負傷した。そのほとんどは漢族である。七五事件の影響で、新疆での民族共存に大きな亀裂が入り、漢・ウイグルの対立が激化した。漢族のあいだでは王楽泉が漢族を守ってくれないと言い、王楽泉下ろしの声があがった。ウイグル族のあいだでは、王楽泉の統治のもとで不公平な扱いを受けていると言われている。そして、9月3日午後の上記の一幕となった。
8月末から流れ始めた「注射針」の噂は、ウルムチ市民をパニックに陥れた。そのことが9月2〜4日のデモ行進に発展した。9月2日のデモは、まだ「暴徒に厳罰を」と、彼らの安全を守れという要求だった。しかし翌日、デモはウルムチ全市内に拡大し、数万人規模にまでふくれあがり、ほかの要求も加わっていった。
「暴徒に厳罰を」「王楽泉はやめろ」のほか、「政治の腐敗を一掃しろ」「民族は団結しよう」と叫ぶ人もいた。ある回族の市民は「中国共産党バンザイ」という声を聞いたという。またある人は国旗を振り、ある人は道端に掲げられた「民族団結は幸せ、分裂は災い」という標語を取り外して横断幕代わりにした。
七五事件後の憎悪と、その後の「注射針」事件の恐怖で、デモの群衆の過激な漢族がウイグル族に暴行を加え、5人が死亡、14人が負傷という事態に至った。しかし、3日間のデモでは、いまだ不穏なウルムチではあったが、七五事件ほどの悲劇は起きなかった。ただ印象に残ったのは「王楽泉はやめろ」という声である。
新疆ウイグル自治区の漢族とウイグル族の間で、治安問題と民族の平等問題では、まったく異なる見方が存在している。だが、どちらも自分の身の危険を感じ、不公平な扱いを受けていると思っている。腐敗問題は共通しており、どちらも腐敗を一掃せよと訴えている。あるウイグル族の知識人は、「新疆ウイグル自治区の中小企業は弾圧されているが、王楽泉の出身地、山東省の企業が新疆のほとんどの利権を握っている」と訴えた。漢族も同じ見方をしている人がいる。だから、「汚職を一掃しろ」が今回の漢族のデモで重要な訴えとなった。
新疆の外にいる人の眼に、今回の3日間の漢族デモは、漢族のウイグル族への反撃と見られている。たしかにデモには民族対立の色合いがあり、とくに家族が七五事件で被害を受けた人は、ウイグル族への恨みが鬱積していた。しかし、「王楽泉はやめろ」「暴徒に懲罰を」「腐敗を一掃しろ」という声の背後にあるのは、民族対立の問題ではなく、それ以上に複雑な訴えがあった。 今回のデモは、1989年の天安門事件以来最大の反腐敗運動であり、現職の指導者に反対する政治デモだと言えるだろう。 漢族の小学校教師、荘秀敏によると、デモに参加した人は主に学生と商業従事者だったという。七五事件のあと、人々はウルムチの前途に不安を抱き、商売がむずかしくなると思っている。
ある回族市民によると、9月4日、ウイグル族がデモ行進に加わろうとして漢族によって排除されたが、大きな衝突には発展しなかったという。
それに先立つ8月下旬、観光スポットの国際大バザールで、観光客の激減のために契約上の家賃が払えなくなったことからボイコット運動が起きた。これも、9月のデモと同じように運動の中心は経済的損害を被った漢族商人と、若者たちだった。
9月4日以後、ウルムチ市は表面上平静をとりもどしたが、新疆の漢族の不満は解消されはしなかった。9月5日夜、テレビで「中央の同意を得て、新疆ウイグル自治区党委員会は、ウルムチ市党委員会書記栗智と、同朱海侖書記を罷免する。また、自治区の公安庁は担当者の調整を行った」というニュースが流れたとき、中国の政治体制から見て、当局が大きく譲歩したことがわかった。しかし、荘秀敏は不満だった。彼女の漢族の友人たちは誰もがこの措置を「飛車を捨てて帥を守る」ものだと言い、このデモ行進が成功しなかったと思ったという。
9月3日、ウルムチの主要な道路が封鎖される。これによっても街頭での抗議活動が制限された。しかし、民意の憤懣はひそかにふくらんでいった。これからどうなるのか? 七五事件後、新疆は絶望的だ、民族の和解は当面希望が持てない、反対に悪循環に陥った。その日、漢族が行った大規模なデモは1989年以来、中国の政治状況を打破しようとする行動となった。
七五事件から「注射針」事件まで、新疆の民族対立は明らかに悪循環に陥り、漢族とウイグル族との報復の応酬となり、和解の希望も見いだせなくなった。ことに、「注射針」事件は、新疆の今後、そして中国の今後に影響する。
さまざまな憶測が飛び交った。ただの噂か、暴力組織の陰謀か、ウイグル族への報復のための漢族の口実か、あるいはまったく別の事件なのか?
9月5日、3つの事件が起訴された。一つは、8月28日、19歳のウイグル族青年が野菜市場で、注射針を女性の尻に打ったというもの。二つめは、8月29日、薬物中毒の二人のウイグル族男女がタクシーに乗り、裏道に行かせた後、ドライバーに注射針を突きつけて脅し、売上金を奪ったというもの。そして、8月31日、薬物中毒のウイグル族が公安に捕まったとき、薬物使用の注射器を持っており、それで警官を傷つけたというものだ。これは、たくさんの「注射針」事件のうち、名前、民族、年齢がわかっている容疑者の案件の4つにすぎない。このような案件は、どこの都市でも起こりえることだが、七五事件以来、2か月のウルムチで特別な反応があった。
▽ニュースのショートメールが原因か?
報道カメラマンで、新疆書道協会副主席を務めるカイナム氏は、ウイグル族知識人の間で声望がある人物だ。彼は8月28日夜、初めてウルムチで「注射針」事件が起きたことを知った。情報源は「新疆ニュースのニュース・センター」が発信するショートメールだった。それは「近日、個別の市民が注射針を刺された。公安部門は注射針で‘みだらに’(訳注:原文は猥褻)通行人を刺す事件として捜査中。市民のみなさんはよく防犯につとめ、パニックにならないように。怪しい人物を見かけたらすぐに110番へ通報してください」というものだ。
漢族のレストラン経営者の高■[王+月]さんは8月29日にこのメールを着信したが、それ以前にこの注射針のことは聞いたことがなかった。
7月6日から、新疆での携帯電話のショートメール機能とインターネットが途絶えており、一般のネット利用者は天山ネット(http://www.tianshannet.com )などの限られたサイトしか閲覧できなかった。8月初め、政府は携帯電話のショートメール機能を回復させたが、一般ユーザーは「新疆ニュースのニュース・センター」が発信するニュースしか受け取れず、送受信や情報の入手ができなかった。そのため「新疆ニュースのニュース・センター」からのショートメールが市民の重要な情報源となった。 新疆のあるメディア関係者の分析では、「新疆ニュースのニュース・センター」のメールにあった「みだらに」の文字が「威嚇」になったと分析する。それまで注射器が「みだら」なものになるなどと聞いたこともなかったからだ。
9月3日、「注射針」パニックでデモを始めた漢族の民衆に、カイナム氏は暴行を受けた。彼はニュースで発信された「注射針」のメールを恨んだ。こういう不確かなメールがウルムチ市を恐怖に陥れたと彼は言う。そのうえ9月3日のデモで5人が亡くなり、多くの人が傷を受けたのだから。
「新疆ニュースのニュース・センター」のメールでは「個別の市民」が「刺された」としているが、誰が刺されたのか、刺された人にどういう身体的反応があったのかは言っていない。しかし、「注射針」の話は人々に噂で伝わるうち、たちまち尾ひれがついた。アフガニスタンから入ってきた「炭疽菌」だ、「シアン化カリウム」だ、「エイズウイルス」だなどという噂が飛び交い、「刺された」という人数もたちまちふくれあがって、死んだ人がいるとか、足を切断された人がいるとかいう話も飛び出した。 犯人についても諸説が現れたが、いちばん多かったのは、黒いベールで顔を隠したウイグル族女性だというものだった。そして9月2日、ウルムチ市政府は、「9月2日午後1時までに、針状のもので刺された人は476人にのぼる。医療衛生機関の検査によれば、89例が確認された」「いまのところ体調不良を起こした人はいない」と発表した。しかし、この発表はなんらの影響も起こさなかった。
9月2日午後、小西門の商人は「注射針」パニックに耐えられず、自治区の党委員会の隣の人民広場で集会を開き、政府に解決を訴えた。その日の午後はウルムチで大雨が降ったため、それ以上拡大することはなかったが、翌日、ウルムチの漢族が数万人規模のデモを行ったのは、「注射針」事件のパニックが直接の引き金になったものだ。
小学校教師の荘秀敏さんは七五事件以来、夏休み中家から出なかった。「必要なものがあるときは、男の人に買いに行ってもらった」という。8月30日は夏休み最後の日、七五事件から2か月近くたち、平穏をとりもどしていた。翌日、始業式を行うための準備の日、学校では緊急で教職員会議が開かれ、政府から「注射針」事件に関する内部通達があったことが伝えられ、教職員たちに警戒するよう求められた。そして、校門に3人の武装警官が現れ、警戒線を敷いた。びっくりした荘秀敏さんは怖くて家に帰れず、学校近くの姉の家で一晩泊まった。 荘秀敏さんにとってつらかったのは、あるウイグル族の生徒が話したことだった。それは6歳のウイグル族の子供で、「注射針」事件は怖いかと聞かれたとき、「怖くないさ。だって民族(ウイグル族)は刺されないもん」と答えたのだ。
新疆の「注射針」事件には不透明なことが多い。本当に「注射針」犯罪は存在するのかどうか、疑いを抱く人もいる。しかし、「注射針」の噂は、ウルムチの全市民の心に大きな影響を与えた。
原文=『亜洲週刊』09/9/20 李永峰記者 翻訳=納村公子
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