「非常にあったかーな雰囲気が、うれしかった」 ― 鳩山首相はオバマ大統領との初の首脳会談を終えた後、記者団に満面の笑みを見せながら語ったとメディアは伝えている。首脳会談の「首尾は上々」という含意だろうが、同じ席上で「日米同盟深化」を誓い合った。日米同盟(軍事同盟と経済同盟)のうち特に軍事同盟の深化は何を目指すのか。 改めて指摘するまでもなく、日米軍事同盟は日本列島上の巨大な在日米軍基地を足場とする戦争前進基地として機能している。そういう日米同盟の深化が鳩山政権のキャッチフレーズ、「友愛」と両立するとは考えにくい。初の首脳会談が残した重荷が、時の経過とともに首相の表情から笑みを奪い去っていくことのないように祈っておこう。
▽日米同盟は軍事同盟であり、経済同盟である
初の日米首脳会談(日本時間9月23日夜)では何が話し合われたのか。大手紙の伝えるところによると、首脳会談の主な内容は、日本側の説明ではつぎの通り。 *日米同盟 鳩山首相=日米同盟がこれからも日本の安全保障の基軸になる。いかに深化させていくかが大事だ。 オバマ大統領=日米は重要な同盟関係にある。両国の安全保障の基盤だけでなく、経済繁栄の基盤でもある。世界経済の危機を乗り越えるために緊密に協調していく。長いつきあいになる。ひとつ一つ解決していこう。
*核軍縮 首相=米国大統領が国連安保理で核軍縮、核不拡散のリーダーシップを取るということはかつてなかった。大変な勇気に感謝する。核のない世界を作るためにお互いに先頭切って走ろう。 両首脳=緊密に連携していくことで一致。
*地球温暖化防止 首相=産業界の中にはまだ問題があるが、政治的に解決していく必要がある。一緒に解決していこう。 大統領=大胆な提案(温暖化ガスの90年比25%削減)に感謝する。
*アフガニスタン・パキスタン支援 首相=日本として何ができるか真剣に考えたい。アフガニスタン、日米両国にとってもっとも良い方向、ネーションビルディング(国家再建)の問題や民政安定に関する農業支援、職業訓練など我々が得意な分野で貢献したい。 大統領=大変有難い。
*アジア諸国との地域協力 首相=日米同盟を基軸として、アジア諸国との信頼関係の強化と地域協力を促進していく。 両首脳=緊密に連携していくことを確認。
首脳会談に先立ち、岡田克也外相はクリントン米国務長官と会談し、つぎのようなやりとりがあった。 クリントン長官=日米同盟は米国外交の礎石だ。 岡田外相=日米同盟を30年、50年と持続可能で深いものにしたい。
〈安原の感想〉 ― 軍事同盟解体が時代の新潮流 初の首脳会談では首相は「個人的な信頼関係」を築くことを優先させたと伝えられる。しかし大統領は米国にとって肝心なことを確認することを怠らなかった。 それは日米同盟(現行日米安保条約=1960年締結=に基づく日米安保体制)の基本的特質についてである。オバマ大統領が「両国の安全保障の基盤だけでなく、経済繁栄の基盤でもある」と述べている点に着目したい。これは日米同盟は単なる仲良しクラブではなく、日米の軍事同盟であると同時に経済同盟であることを確認する発言といえる。
一方、岡田外相とクリントン長官との会談では外相が「同盟を50年と持続可能で深いものにしたい」と述べた。この発言の意図は何か。来(2010)年は現行日米安保条約の締結以来ちょうど半世紀を迎える。それからさらに50年といえば、100年も軍事同盟を続行することになる。その真意が不明である。まさか軍事同盟を仲良しクラブと勘違いしているわけではあるまい。
今や軍事同盟解体が時代の新しい流れである。一例を挙げれば、米国からの自立を求めて変革の波に洗われている中南米諸国のひとつ、エクアドルで9月18日、米軍が10年間使用してきた西部マンタの軍事基地から完全撤退した。その小国の外相は「米軍撤退は主権と平和の勝利だ。二度と外国軍隊は領土内に置かせない」と強調したと伝えられる。小国の外相の使命感、自立意欲、器量の大きさに注目したい。
▽鳩山内閣「基本方針」の読み方 ― 日米同盟と友愛
ここで鳩山内閣が初閣議(09年9月16日)で決めた内閣基本方針を紹介したい。これは内政はもちろん、外交、日米同盟も含めて鳩山政権としての基本方針を定めたものである。 まず外交、日米同盟についてつぎのように指摘している。 自立した外交により、世界の平和創造と課題解決に取り組む、尊厳ある国家を目指す。極端な二国間主義や、単純な国連至上主義ではなく、長期的な構想力と行動力を持った、主体的な外交を展開する。 緊密かつ対等な日米同盟を再構築するため、協力関係を強化し、両国間の懸案についても率直に話し合う。ここでいう対等とは、なにより、日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割と、具体的な行動指針を、日本の側から積極的に提言していけるような関係だ。 同時に日本が位置するアジア太平洋地域の国々からも、真の信頼を得られるような外交関係を形成する。(中略) さらに地球温暖化、核兵器廃絶、南北間格差の解消など、世界の平和と繁栄の実現に積極的に取り組む ― と。
もう一つ、「友愛の社会」について以下のように述べている。 新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではない。国が予算を増やせば、すべての問題を解決できるというものでもない。 国民一人ひとりが、「自立と共生」の理念を育み、発展させてこそ、社会の『絆』を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができる。 国、地方自治体、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのない者と感じあえる、そんな「居場所と出番」を見いだすことのできる「友愛の社会」を実現すべく、その先頭に立って、全力で取り組んでいく ― と。
〈安原の感想〉 ― 日米同盟と友愛社会はどう両立するのか? この「基本方針」の読み方はいろいろあっていい。ただ私の基本的な疑問点は日米同盟と友愛社会なるものがどのように両立するのかである。 基本方針は「対等の日米同盟」を打ち出している。その「対等」の意味について「日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割と、具体的な行動指針を、日本の側から積極的に提言していけるような関係」とわざわざ説明している。「日本の側から積極的に提言」が要点らしい。こういう感覚は自公政権時代にはうかがえなかった。 そういう目で首脳会談でのやりとりを読み直してみると、なるほど首相側の積極的な発言、提言が目立っている。たしかに会談スタイルは自公政権時代とは変化している。大統領が聞き役に回っている印象さえうかがえる。
しかし肝心の日米同盟、特に軍事同盟と友愛社会とはどう両立するのか、疑問は消えない。友愛社会のキーワードは「自立と共生」、「社会の絆」であり、かけがえのない「居場所と出番」である。 一方、日米軍事同盟の何よりの特色は、南は沖縄に始まって、佐世保(長崎県)、横須賀(神奈川県)、さらに北の三沢(青森県)に至るまで多数の巨大な米軍基地網が存在している。周辺住民との摩擦が絶えないだけではない。特に沖縄、横須賀などはかつてはベトナムへの侵略戦争、現在はイラク、アフガニスタンでの戦争のための出撃基地として稼働している。特に沖縄では人間殺傷のための軍事訓練が恒常化しているといわれる。 このような軍事同盟の光景と友愛社会とは、首相の頭の中ではどのように矛盾なくつながっているのか、理解に苦しむところである。
▽日米安保体制とは ― 「友愛」に逆らう暴力装置
さてここでは日米安保体制とは、いかなるものであるかに触れておきたい。多くのメディアは「日米同盟」という用語を無批判に前提して記事を書く傾向が最近目立っている。危険な兆候というべきである。あのかつての太平洋戦争開始の前年(1940年=昭和15年)に戦争のための日独伊三国同盟が締結されたが、当時のメディはそれを肯定し、戦争を煽った。戦後その反省に立ち、再出発したはずだが、今また軍事同盟を無批判に受け容れるという同じような過ちを繰り返しつつあるように見受けられる。 日米同盟に無批判な姿勢になる一因として、いわゆる安保世代(1960年の現行日米安保条約締結時に安保反対闘争に参加、あるいは見聞した世代)の現役記者はもはや誰一人としていないという事情もあるだろう。しかしそれは言い訳にはならない。 以下では日米安保体制のイロハについて解説しておきたい。
まず現行日米安保条約は「日米軍事同盟」と「日米経済同盟」という2つの同盟の法的根拠となっている点を指摘したい。結論を先にいえば、日米同盟は友愛精神に逆らう暴力装置となっている。
前者の軍事同盟は安保条約3条(自衛力の維持発展)、5条(日米共同防衛)、6条(在日米軍基地の許与)などによって成立している。特に巨大な在日米軍基地網は、米国の世界戦略上の前方展開基地として必要不可欠の機能を果たしている。 もう一つ指摘しておく必要があるのは、ここ10年来の「安保の再定義」によって安保の対象範囲が「極東の安保」から「世界の安保」へと自衛隊自体の行動範囲が地球規模に広がってきたことである。最近のその具体例が自公政権時代の末期に始まった東アフリカのソマリヤ沖海上での海賊対策という名の海外派兵である。状況によって武器使用も容認されており、従来の人道支援という名の海外派遣とは質的に異なってきている点は見逃せない。 以上は憲法9条の「戦争放棄、非武装、交戦権の否認」という理念と矛盾しており、9条の空洞化を進めてきた。しかし軍事力という暴力の行使によって平和(=多様な非暴力)をつくる時代では、もはやない。米国主導の軍事力によるテロとの戦いは失敗していることから見ても、軍事力行使は平和を壊す結果しかもたらさないことを認識したい。
後者の経済同盟は安保条約2条(経済的協力の促進)によって規定されている。2条では「自由な諸制度を強化する」「両国の国際経済政策における食い違いを除く」などをうたっている。これを背景に日米安保体制は米国主導の新自由主義(=市場原理主義)を強要し、憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)の理念を蔑(ないがし)ろにする暴力装置として機能してきた。 この新自由主義路線によって年間3万人を超える高水準の自殺、失業・貧困・格差の拡大、病気の増大、医療の質量の低下、社会保障費の削減、税金・保険料負担の増大 ― などがもたらされ、生活の根幹が脅かされている。その上、いのちが社会的にあまりにも粗末に扱われている。 その打開策は、破綻した新自由主義路線と決別することから始まる。民主党連立政権の登場によって従来の新自由主義路線からどこまで転換できるのか。今後の行方を注視したい。
▽非核三原則と友愛を力説した鳩山演説
国連安全保障理事会(日本時間9月24日夜)は、核不拡散・核軍縮に関する初の首脳会議を開き、米国提案の「核兵器のない世界」を目指す決議を全会一致で採択した。非常任理事国・日本の鳩山首相も出席し、つぎのような決意を表明した。 世界の指導者に、ぜひ広島・長崎を訪れ核兵器の悲惨さを心に刻んでほしい。日本は核開発の潜在能力があるのに、なぜ非核の道を歩んだか。日本は核の攻撃を受けた唯一の国家だ。我々は核軍拡の連鎖を断ち切る道を選んだ。唯一の被爆国として果たすべき道義的な責任と信じたからだ。(中略)日本が非核三原則を堅持することを改めて誓う。日本は核廃絶の先頭に立たねばならない ― と。
一方、首相は国連総会一般討論(日本時間9月25日未明)で「友愛精神に基づき、東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明の間で世界の架け橋となるべく全力を尽くす」と述べた後、日本が取り組むべきつぎの「5つの挑戦」を挙げた。 *世界経済危機への対処 市場メカニズム任せでは調整困難な「貧困と格差」問題、過剰なマネーゲームを制御するために共通のルール作りに役割を果たす。 *気候変動問題 日本は90年比で2020年までに温室効果ガス25%削減を目指す目標を掲げた。途上国に従来以上の資金、技術支援を行う。 *核軍縮・不拡散への挑戦 6者協議を通じ、朝鮮半島の非核化実現の努力を続ける。 *平和構築・開発・貧困 アフガニスタンが安定と復興に注ぐ努力を国際社会とともに支援する。 *東アジア共同体の構築 「開かれた地域主義」の原則で、地域の安全保障のリスクを減らし、経済的なダイナミズムを共有することは国際社会にも大きな利益になる。
以上のような国連安全保障理事会、国連総会一般討論でのいずれの発言も、大筋ではその言やよし、と評価できる。ただし肝心要の「日本の非核化」という一点を除いてである。国連安保理事会では「日本の非核三原則堅持」を誓いながら、現実には三原則、「作らず、持たず、持ち込ませず」のうち「持ち込ませず」は「米国の核の傘」に依存しているため空洞化しており、事実上二原則となっている。 また国連総会一般討論では朝鮮半島の非核化に言及しており、その実現を追求するのは当然である。ただ核の傘の下にある日本列島の完全な非核化、つまり名実ともに正真正銘の非核三原則をどう実現させていくかに触れないまま、相手国の核を一方的に「脅威」とみなすのは公平ではないだろう。
▽「友愛精神」を生かすには日米友好条約へ転換を
鳩山首相の折角の友愛精神を生かすには何が必要か。ここで重要な視点として指摘したいのは、上記の「5つの挑戦」を実現させていく上で、日米安保体制は必ずしも必要ではないということである。日米安保体制を土台にして主張しなければ、実現できないという性質のテーマではない。むしろ正味の非核三原則などは日米安保体制が足枷となって実現できなくなっている。どう対応していくべきか。 ここでもう一つの新たな挑戦的課題が浮かび上がってくる。それは現行日米安保条約を破棄して、新たな日米友好条約に切り替えることである。「友好」条約を土台にして「友愛」精神を世界に広めていく。こうして初めて対等な日米「同盟の深化」ではなく、対等な日米「関係の深化」へと脱皮できるのではないか。
この挑戦的課題に取り組むにはまず発想の転換が必要である。この世の事物はすべて「変化」から免れない。折しも米国では「チェンジ」(変革)を掲げたオバマ政権が登場し、日本でも民主党連立政権が新たな時代を切り開こうとしている。変化への挑戦である。そこには神聖不可侵の課題はあり得ないはずである。 つぎに日米安保条約10条(条約の終了)に着目したい。以下のように定めてある。 「いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は通告が行われた後一年で終了する」と。 つまり一方的な破棄が可能な規定である。もちろん国民の意思が前提になるが、多数派が安保条約から友好条約への変化を望めば、いつでも実現できることである。その変化の核心は在日米軍基地の撤去である。
鳩山首相にこういう感覚が芽生えつつあるのかどうかは知らない。しかし日米軍事同盟にこだわり、外国軍事基地の存続を認める限り、友愛精神とはどこまでも矛盾し、両立しないことを自覚するときである。首相が偉大な政治家として歴史に名を残すことができるかどうかは、この一点にかかっているといっても過言ではないだろう。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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