オバマ米大統領に09年ノーベル平和賞の授与が決まり、世界中に大きな波紋を広げている。大統領の「平和の実績」はまだないだけに「平和をつくる意欲」への後押しとして評価する声も大きいが、一方、疑問や批判の声もお膝元の米国内でさえ少なくない。授与対象となっている「核兵器なき世界」、「多国間外交」、「対話と交渉」、「地球の気候変動への挑戦」は、いずれも大いに後押ししたいところである。 しかしそれを阻もうとする勢力の存在を軽視してはならない。その主役は軍事力優先主義、単独行動主義、地球環境問題の無視などによって世界に大きな災厄をもたらしてきた米国軍産複合体にほかならない。オバマ大統領は、この軍産複合体を巧みに封じ込めることができるか。折角の平和賞を生かすことができるかどうかのカギがここにある。
オバマ大統領に対するノーベル平和賞授与の理由はノルウェー・ノーベル賞委員会によると、つぎの諸点である。 ・オバマ氏の核なき世界に向けた理念や取り組みを重視する。核なき世界の理念は、軍縮や軍備管理交渉に力強い刺激を与えた。 ・大統領として国際政治の中で新たな機運を作りだし、多国間外交が中心的な位置を取り戻した。 ・紛争解決の手段として対話と交渉が優先されるようになった。 ・世界が直面する気候変動の挑戦に立ち向かう上で米国はより建設的な役割を果たしている。 ・オバマ氏は「今こそ、私たち全員が、グローバルな課題に対してグローバルな対応をとる責任を分かち合う時だ」と強調している。
要約すれば、「核兵器なき世界」への取り組み、「多国間外交」の推進、「対話と交渉」の優先、「気候変動」での建設的な役割、地球規模で「責任を分かち合う」姿勢 ― などである。ブッシュ前米大統領時代(軍事力優先策、単独行動主義、対話と交渉の無視、気候変動への取り組みを拒否、地球規模での無責任主義)とは異質の望ましい「変革」のリーダーシップを発揮しつつあることが高く評価された。だからこそ就任から1年もたたない政治指導者に贈られるのは「極めて異例」と言われる授与となった。
▽ 大手5紙の社説は平和賞授与をどう評したか ― 5紙ともに大きな拍手
まず5紙社説(いずれも10月10日付)の見出しはつぎの通り。 *朝日新聞社説=ノーベル平和賞 オバマ変革への深い共感 *毎日新聞社説=オバマ氏平和賞 さあ次は理想の実現だ *読売新聞社説=ノーベル平和賞 オバマ「変革」への大きな期待 *日本経済新聞社説=「核兵器なき世界」への行動促した平和賞 *東京新聞社説=オバマ氏平和賞 理想主義へのエールだ
以上の見出しから分かるように、5紙ともにオバマ大統領への平和賞授与に「変革」への期待を寄せながら大きな拍手を送っていることが読み取れる。社説全文を一読した印象では各紙の主張内容はかなり重複しているので、ここではアフガニスタン戦争、米軍増派にどう言及しているかに限って紹介する。
〈朝日社説〉 アフガニスタン戦争も出口がなかなか見えない。ノーベル平和賞を受賞したからと言って、国際社会の複雑な利害対立が解けるわけでもない。 〈毎日社説〉 オバマ氏へのノーベル賞を苦々しく思う人々のことも忘れてはならない。中東和平は進展せず、「オバマのベトナム」とも言われるアフガニスタン情勢は悪化する一方だ。(中略)オバマ政権下で世界は平和の果実を必ずしも味わっていないのだ。 〈読売社説〉 米国が最重視するアフガニスタン情勢は混迷を深める一方だ。タリバンが攻勢を強めるなか、今後の対応については、一層の増派か戦略の転換か、政府部内でも見解が割れている。 〈日経社説〉 オバマ氏が外交の柱に掲げ米軍を増派したアフガニスタンも安定化にはほど遠い。 〈東京社説〉 就任以来、高い支持率を維持してきたオバマ政権も、最近は伸び悩みを見せている。外交政策で最大争点だったアフガニスタン紛争では、米軍増派を求める現場司令官と政府の見解が食い違いを見せ、未(いま)だに合意に達していない。
以上のように各紙ともにアフガニスタン戦争を「米国にとって悪戦苦闘の戦争」として描いている。なかでも着目すべきは毎日社説の「オバマのベトナム」という指摘である。 いうまでもなくベトナム戦争(正確には米国によるベトナム侵略戦争)はベトナム側に数百万人の犠牲者を強いる一方、米兵も約5万人が死亡するという悲劇を残して、米軍が1975年敗退した。「オバマのベトナム」とは、アフガニスタン戦争(これも正確にはアフガニスタンへの米軍を主体とする侵攻戦争)もやがてベトナム同様に侵攻軍を撤退させるほかないだろうという暗示と読める。ここではオバマ大統領は「平和の使者」どころか「戦争屋」として、折角のノーベル平和賞の名に恥じる対極に位置にある。
▽ 祝賀ムードにほど遠い米国 ― 「戦時大統領」への「平和賞」
もう一つ、冷静な観察眼で授与決定日のワシントン周辺の雰囲気をつづった記事(毎日新聞・10月10日付夕刊=東京版、ワシントン駐在の草野和彦・小松健一の両記者。見出しは「冷ややか米国世論 〈平和〉への実績これから ― アフガン増派と矛盾も」の要旨)を紹介したい。
オバマ米大統領の平和賞受賞が決まった9日、米国内の雰囲気は祝賀ムードにほど遠く、驚きと戸惑い、さらには批判の声さえも聞かれた。最大の理由は、米国民が喜びを共有できる「実績」が大統領にないためだ。「戦時大統領」への「平和賞」というイメージのギャップも大きく、支持層のリベラル派までが祝福を控えた。 大統領の受賞声明(要旨は後述・安原)を受けて始まったホワイトハウスの定例記者会見。「おめでとう」の声もなく、質疑応答では、容赦のない質問も出た。折しも政権内ではアフガニスタンへの米軍増派をめぐる議論が進行中である。 記者「大統領は受賞の辞退を考えたか」 大統領報道官「私が知る限りでは、ない」
ホワイトハウス前は、いつも通り、観光客でにぎわった。「オバマ・サポーター」の白人男性は「正直に言うと、なぜ? だね」 反戦・核軍縮の米最大規模の団体「ピース・アクション」の声明は、アフガン増派を検討する最中の受賞を「皮肉なことだ」と指摘した。受賞理由の「核兵器のない世界」についても「平和賞に値する業績がない」とし、「平和を推進する力」を示すよう求めた。
〈大統領の受賞声明〉(要点)はつぎの通り。 私はノーベル賞委員会の決定に驚き、大変謙虚な気持ちになっている。私自身が達成したことが認められたのではなく、世界中の人々が抱く希望に対する米国の指導力が確認されたものと考える。 直面するいくつかの課題は、私の任期中に完遂しないかもしれない。いくつかは核廃絶のように、私の生存中に終結しないかもしれない。 この受賞は私の政権だけのものではなく、世界中の人々の勇気に贈られたものである。私たちは正義や尊厳を分かち合わなければならない。
▽ 在日米軍基地の本拠地、沖縄の声を聴く ― 「授賞に違和感」
ここでは巨大な米軍基地の存在に苦しむ沖縄の代表的な新聞メディア、「琉球新報」社説の主張に耳を傾けたい。まず見出しを紹介する。 *琉球新報(10月11日付)=オバマ氏平和賞 米国が『核の傘』畳んでこそ 率先し模範示せば賞も輝く
以下に同紙社説の大要を紹介する。文中の「具体的な行程表必要」、「在沖基地も縮小を」は小見出しである。
バラク・オバマ米大統領へのノーベル平和賞授賞が決まった。 核保有大国の大統領に、世界を変えてもらうため一層の努力を促す狙いがあるとしても、ノーベル賞委員会の決定には違和感を覚える。 米国は今なお6万人を超える軍隊をアフガニスタンに展開し反政府武装勢力タリバンとの戦闘を続けており、イラク戦争以降駐留している米軍もまだ全面撤退に至っていないからだ。
具体的な行程表必要 オバマ大統領は今年4月、チェコの首都プラハで演説し、国家安全保障戦略における核兵器への依存度を下げ「核兵器のない世界に向けた具体的な措置を取る」と宣言、核拡散阻止や核テロ防止策も打ち出し、核の脅威に立ち向かう包括的な核構想を初めて示した。 さらに「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的責任がある」とも言明している。オバマ氏の姿勢は画期的であり、期待が持てる。
日本としても「核廃絶」の実現に向け、強力に後押ししなければならない。 とはいえ、ノーベル平和賞は国際的な平和活動や軍縮など人類全体の平和に貢献した人物・団体に授与される賞だ。 核軍縮に後ろ向きだったブッシュ前政権から大きく舵(かじ)を切ったのは間違いないが、「人類全体の平和に貢献した」と過去形で評価するのは少々早すぎる観がある。世界を動かすトップリーダーの今後の活躍に期待したがゆえの授賞決定であるのは間違いない。オバマ氏には賞の名に恥じない行動が求められる。
そのためには、米国が保有する核兵器の廃絶に向けて具体的な行程表を示すべきだ。ロシア、英国、フランス、中国をはじめ、すべての保有国が共同歩調を取り、地球上から核兵器をなくせれば、これ以上のことはない。 率先して「核の傘」を畳み、世界に模範を示してこそ、ノーベル賞は輝きを増す。 「核兵器のない世界」を空念仏に終わらせないためには、ただ実行あるのみだ。できるだけ早く被爆地である広島、長崎を訪問し、犠牲者のみ霊に「核廃絶」を誓ってほしい。
在沖基地も縮小を 米国の大統領は、沖縄にさまざまな基地被害をもたらしている軍の最高司令官でもある。それだけに、ノーベル平和賞を単純に喜ぶわけにはいかない。 沖縄では米軍関係の事件・事故や騒音被害が後を絶たず、住民は危険な基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている。県民の大多数が基地の整理縮小を求めているのは各種世論調査の結果を見ても明らかだ。 とりわけ、市街地の中心に位置する普天間飛行場は、駐留するヘリなどの航空機が住宅地上空を飛ばずには発着できない。危険性が高く、早急な返還・撤去が求められている。 普天間飛行場は県内ではなく県外・国外へ移すのが最善の道だ。鳩山由紀夫首相の意向を踏まえ、在日米軍再編の日米合意を抜本的に見直してもらいたい。 この問題で、オバマ政権側が「日本側の話には耳を傾けるが、日米合意の実現が基本。再交渉するつもりはない」との姿勢を示しているのは誠に遺憾だ。 軍の駐留を欲しない地域に基地を展開するのは米国にとっても決して得策でないはずだ。オバマ大統領は県民の声に真剣に耳を傾けてほしい。 ノーベル平和賞受賞を機に、戦後64年間も続いてきた米軍基地の過度な集中を是正するならば、多くの県民がもろ手を挙げて称賛するだろう。 栄えある賞を汚さないよう、大統領として正しい選択をすることを切望する。
〈安原の感想〉 ― 沖縄として当然の主張 琉球新報社説は、オバマ大統領の「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的責任がある」(チェコの首都プラハでの演説)などの発言を「画期的」と高く評価しながらも、つぎのように率直な注文を指摘している。巨大な米軍基地を抱える沖縄ならではの当然の主張であり、願いである。
・率先して「核の傘」を畳み、世界に模範を示してこそ、ノーベル賞は輝きを増す。 ・「核兵器のない世界」を空念仏に終わらせないためには、ただ実行あるのみだ。できるだけ早く被爆地である広島、長崎を訪問し、犠牲者のみ霊に「核廃絶」を誓ってほしい。 ・米国の大統領は、沖縄にさまざまな基地被害をもたらしている軍の最高司令官でもある。それだけに、ノーベル平和賞を単純に喜ぶわけにはいかない。 ・沖縄では米軍関係の事件・事故や騒音被害が後を絶たず、住民は危険な基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている。県民の大多数が基地の整理縮小を求めているのは各種世論調査の結果を見ても明らかだ。 ・とりわけ、市街地の中心に位置する普天間飛行場は、駐留するヘリなどの航空機が住宅地上空を飛ばずには発着できない。危険性が高く、早急な返還・撤去が求められている。
▽ 米国軍産複合体の影(1) ― オバマ政権の「変革の限界」
オバマ大統領への平和賞授与に拍手喝采を寄せるのに異議を唱えるつもりはない。ただ私(安原)にとって気がかりなのは、同大統領の〈受賞声明〉の中のつぎの指摘である。 直面するいくつかの課題は、(中略)核廃絶のように、私の生存中には終結しないかもしれない ― と。 なお(中略)以降の原文(英文)はつぎの通り。 Some, like the elimination of nuclear wepons, may not be completed in my lifetime.
これと同じ趣旨の発言は4月のプラハ演説にもあった。これは何を示唆しているのか、そこが気がかりである。多様な解釈が可能だろう。 一つは、それほど核廃絶は困難な課題だということを強調したいこと。しかし核廃絶に困難が伴うことは専門家でなくても十分予測できることであり、新時代を切り開こうとする政治家がわざわざ困難さを指摘する必要があるだろうか。 もう一つは突発事件の発生によって廃絶実現への努力が中断を余儀なくされる可能性があること。ここであのケネディ米大統領(在職中)の暗殺事件(1963年11月)を思い起こすことも可能であるだろう。ケネディ暗殺の真の背景は今なお闇に包まれたままだが、ケネディ大統領のベトナム戦争撤退の方針が軍産複合体の利害と対立していたこと、など多様な説が存在する。
私自身の解釈は、まずオバマ大統領の就任演説を思い起こすことから始めたい。こう述べた。「世界はすでに変わっており、我々もそれに合わせて変わらなければならない」と。「変革」(チェンジ)のオバマ氏にふさわしい当然の発言である。ところが就任演説の中のつぎの言葉の意味が不可解であった。「我々は責任を持ってイラクから撤退しはじめ、イラク人に国を任せる。そしてアフガニスタンに平和を築いていく」と。
問題は後半の「アフガンに平和を」の意味である。アフガンには米軍を増派する方針は当時すでに明らかになっていた。「軍事力増強によって平和を築く」という、あの陳腐な「平和のための戦争」という論理がまたもや借用されたのだ。ここだけは「変革」とは無縁であり、目下米兵のアフガンへの増派が進行中である。この増派を中止しない限り、「変革」には限界がある。その背景に何が潜んでいるのか。 私(安原)はそこに米国軍産複合体の影を観る。イラクからは軍を引くとしても、アフガンには軍の増派を進め、戦争ビジネス拡大の余地を保証しているのは、軍産複合体との取引ではないのかという印象が消えない。
▽ 米国軍産複合体の影(2) ― 複合体を封じ込めることができるか
オバマ政権と軍産複合体とはどうつながっているのか。まずオバマ政権での国防人事である。ロバート・ゲーツ国防長官がそのまま留任した。彼は米中央情報局(CIA)長官を経て、06年からブッシュ前政権の国防長官になり、今日に至っている。ジェームス・ジョーンズ大統領補佐官(国家安全保障担当)は海兵隊総司令官(大将)であった。 見逃せないのは国防総省(ペンタゴン)ナンバー2の国防副長官にウイリアム・リン元国防次官が座っている人事である。同氏は米軍需大手レイセオン社の上級副社長(政府担当)で、08年夏まで政府相手のロビー活動をしていた。これは一例にすぎないが、要するにオバマ大統領は米国軍需産業と緊密な関係にある人物をペンタゴンの枢要ポストに据えている。
さて「アイクの警告」を思い出したい。半世紀近い昔のことだが、1961年1月、アイクこと軍人出身のアイゼンハワー米大統領がその任期を全うして、ホワイトハウスを去るにあたって全国向けテレビ放送を通じて有名な告別演説を行った。 その趣旨は「アメリカ民主主義は新しい巨大で陰険な勢力によって脅威を受けている。それは〈軍産複合体〉とでも称すべき脅威であり、その影響力は全米の都市、州議会、連邦政府の各機関にまで浸透している。これは祖国がいまだかつて直面したこともない重大な脅威である」と。
軍部と産業との結合体である「軍産複合体」の構成メンバーは、今日ではホワイトハウスのほか、ペンタゴンと軍部、国務省、兵器・エレクトロニクス・エネルギー・化学などの大企業、保守的な学者・研究者・メディアを一体化した「軍産官学情報複合体」とでも称すべき巨大複合体として影響力を行使している。これが特にブッシュ前米政権下で覇権主義に基づく身勝手な単独行動主義を操り、「テロとの戦争」を口実に戦争ビジネスを拡大し、世界に大災厄をもたらしてきた元凶といっても過言ではない。オバマ的変革に抵抗し、阻むものは、この軍産複合体の存在といえよう。 日本にももちろん日本版軍産複合体が存在する。日米安保体制を軸にして米国軍産複合体と緊密に連携しており、今では米日連合軍産複合体に成長している。
オバマ大統領は「アイクの警告」を生かして、軍産複合体と一定の距離を保ち、巧みに封じ込めることができるだろうか。これに失敗すれば変革路線も肝心なところで挫折に見舞われるだろう。大きな挑戦的課題というべきだが、焦点となるべき課題は3つ ― 核と沖縄とアフガン ― である。 「核」には核兵器にとどまらず原子力発電も含まれる。その核廃絶に向かってどう進んでいくか。「沖縄」では米軍基地の整理・撤去にどう取り組むか。軍事力そのものが有効性を失っている今日、海外軍事基地に執着しているときではないだろう。「アフガン」も同様である。ベトナムの二の舞を演じないように、軍の増派ではなく、撤退こそ急務である。 オバマ大統領殿、「栄えある賞を汚さないよう、大統領として正しい選択を」(琉球新報社説)という忠言に耳を傾けて欲しい。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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