まもなくノーベル平和賞授賞式に臨むはずのオバマ米大統領がアフガン新戦略としてアフガニスタンでの戦争拡大を宣言した。米軍3万人を増派する一方、2011年7月から撤退を始める、いわゆる出口戦略も明示した点に新味があるとはいえ、当面は戦線の拡大に乗り出す。平和賞とどう両立するのか。 それにしても不可解なのは、日本メディアの姿勢である。大手紙の社説を読んでみると、「オバマの戦争」の見通しが困難を極める状況にあることをかなり適切に指摘しながら、結局のところ戦争拡大容認に理解を示している。なぜ「直ちに撤退を」の主張を掲げないのか、不思議である。
オバマ米大統領は、12月1日夜(日本時間2日朝)、新たなアフガニスタン戦略を発表した。米軍3万人を増派し、2010年夏までに展開し、アフガン治安部隊の育成などにあたる。駐留米軍は現在の6万8000人から10万人規模となる。さらに2011年7月から米軍は撤退を始めることを明らかにした。2001年10月に侵攻を開始してから約10年ぶりに撤退を始めることになる。
▽ 大手紙の社説は米のアフガン新戦略をどう論じたか(1)
大手4紙の社説はオバマ大統領のアフガニスタン新戦略についてどのような視点から論じたか。まず各紙の見出しを紹介する。 *朝日新聞社説(12月3日付)=アフガン新戦略 増派だけで安定はない *毎日新聞社説(同上)=米アフガン増派 苦しい戦いがなお続く *読売新聞社説(同上)=アフガン新戦略 増派で戦局を好転できるか *東京新聞社説(同上)=アフガン増派 見えぬテロ抑止の道筋 琉球新報?
以上のような見出しから読み取れる印象では米アフガン新戦略の効果を楽観視している社説は1紙もない。米国への同情派で知られる読売さえも「増派で戦局を好転できるか」と問いかけている。しかしもう少し綿密に見出しを読み直してみると、読売と他の3紙の姿勢との間にはかなりの差異がある。 つまり読売の「戦局を好転できるか」という問いかけは、「できる」のか「できない」のかについての姿勢が明確ではない。しかし「好転してほしい」という期待がにじんでいる。読売はやはり相変わらず米国を「ヨイショ」と応援する姿勢といえよう。 これに比べると、朝日は「安定はない」、毎日は「苦しい戦いが続く」、東京は「見えぬ道筋」などと米国にとって望ましくない展望をそれなりに明確に打ち出している。反米の姿勢ではないが、アフガン戦争が直面している現実を冷静に分析しているということだろう。
▽ 大手紙の社説は米のアフガン新戦略をどう論じたか(2)
では社説の本文はどうか。要旨を以下に紹介する。
〈朝日新聞〉 タリバーン政権の打倒から8年近い。だが、米兵の犠牲は増えるばかりで、戦費も巨額に膨れあがっている。かつてのベトナム戦争のような泥沼にはまるのではないか。そんな懸念が米世論に根強い中での決断だ。政権の命運がかかっていると言っても過言ではあるまい。 新戦略の成否のカギを握るのは、アフガン国軍や警察の育成である。2期目のカルザイ政権が、テロ勢力の復活を阻止するだけの統治能力を備え、治安を安定させることができるかどうか、という問題でもある。 だが、これまでの実績を見る限り、悲観的にならざるを得ない。政府の汚職や麻薬の栽培、密輸はひどくなるばかりだ。現地政府が腐敗していては、いくら精鋭部隊を投入しても、巨額の民生支援を振り向けても徒労に終わる。それが8年間の教訓だ。 アフガン国民の多くは、いまだに水や電気すら十分に確保できず、暮らしは一向に改善されていない。失望感の広がりが、タリバーン勢力の復活の根底にあるのではないか。
アフガンのタリバーン勢力がすべて過激主義ではないし、国際テロリストであるわけでもない。交渉を通じて穏健派を取り込み、民族や宗派を超えた幅広い和解を実現していくための現政権の真剣な努力が欠かせない。 軍事力だけでそれを達成するのはとうてい不可能だ。民生面での国際的な支援を広げ、和解や国家再建の取り組みを支えていかねばならない。その点で、今後5年間で50億ドルの拠出を表明した日本政府は、大きな役割を果たせるはずだ。
〈毎日新聞〉 いかにも苦しげな演説だった。アフガニスタンへの米兵3万人増派について、オバマ米大統領は「容易な決断ではない」と繰り返して国民の理解を求めた。全土で強まるタリバン(イスラム原理主義勢力)の攻勢に対しては「現状では支えきれない」と戦況悪化を率直に認めた。
タリバンや国際テロ組織アルカイダのメンバーはパキスタン国境付近に隠れながら活動している。パキスタンは核兵器を持つ国だ。アルカイダの幹部は、核兵器を入手したら米国に対して使うと予告している。核テロが起きれば、米国だけでなく国際社会の打撃は計り知れない。 その意味でも増派はやむを得ない決断だろう。米国は今春2万1000人を増派した。それでも足りずに来年初めから3万人を増派し、アフガン駐留米軍は現在の6万8000人から10万人規模になるという。その結果、軍事的経費が年300億ドルに達するとは尋常ではないが、増派がアフガン情勢の悪化に歯止めをかけ、平和と安定への転換点を作り出すよう願わずにはいられない。
だが、巻き返しへの明確な展望があるとは思えず、なお苦しい戦いが続きそうだ。外国軍隊の駐留が長引けばアフガン国民の反発は強まろう。アフガン治安部隊の訓練を急ぎ、自前で治安を確保する能力を高めること。「アフガンのものはアフガンに返す」ことこそ出口戦略のカギである。
〈読売新聞〉 悪化の一途をたどるアフガニスタン情勢の流れを、今度こそ変えることはできるのか。大統領は今回初めて、米軍の撤収開始時期を「2011年7月」と明示した。国内の厭戦(えんせん)気分を払拭(ふっしょく)し、アフガンの状況を何としても好転させるという不退転の決意を表明したものだろう。 問題は、18か月間で撤収を可能にするような成果をあげられるかどうかだ。課題は多い。 まず、治安の確保の問題だ。 アフガンでは旧支配勢力タリバンが巻き返し、欧米諸国が派遣する国際治安支援部隊(ISAF)との交戦は急増している。巻き込まれた住民の間では、駐留外国軍への反感が広がっている。 肝心のカルザイ政権の基盤はきわめて脆弱(ぜいじゃく)だ。米軍としても、地方の有力な部族と信頼関係を構築していく努力が欠かせまい。 次に、雇用の確保だ。タリバン兵士が増えるのは、働き場がないためだ。農地もケシ栽培にあてられ、タリバンの主要な資金源になっている。民生向上への開発支援の拡充が急務である。
〈東京新聞〉 今回のオバマ演説の特徴は、アフガン新戦略を打ち出しながら、自国が陥っている深い経済的苦境、他国の再建関与への限界、核拡散への危機感を率直に語ったことだ。 「われわれは自国を再建しなければならない」「私たちの力の基盤は繁栄であり、それこそが軍事力を賄っている」。イラクとアフガンですでに戦費は1兆ドルに迫り、今回の作戦で新たに300億ドルを要する。国の苦しい台所事情に言及したのは、無期限の駐留を続ける意志も経済的ゆとりも米国にはないことを宣言したに等しい。
イスラム過激派に核兵器が渡る懸念も繰り返し強調した。「アルカイダが核保有をめざしていることは明らかだ。それを使用することをためらわないことも私たちは知っている」。そこには多数のテロリストが潜むとされる隣国パキスタンが保有する核兵器が及ぼす脅威の深刻さがある。 今回の演説が陸軍士官学校で行われた背景には、先にテキサス州の基地で起きたアラブ系軍医による同僚兵士に対する銃乱射事件の影響があろう。事件は8年に及ぶアフガン戦争が米国社会に刻んだ深い傷を象徴している。
〈安原の感想〉 ― 社説の読み方は人それぞれであるとしても・・・
〈読売〉はオバマ大統領の新アフガン戦略について「国内の厭戦(えんせん)気分を払拭(ふっしょく)し、アフガンの状況を何としても好転させるという不退転の決意を表明したものだろう」と評価し、位置づけている。読売が米国をヨイショする姿勢を崩していないのは、この辺りの認識にも表れている。 他紙はどうか。 〈朝日〉は「かつてのベトナム戦争のような泥沼にはまるのではないか」、「軍事力だけで達成するのはとうてい不可能だ」などと指摘している。これは米国が軍事力でベトナムをねじ伏せようとして、逆にベトナムから敗退した歴史的事実を踏まえた忠言ともなっている。正当な指摘といえる。 〈毎日〉は「明確な展望があるとは思えず、なお苦しい戦いが続きそうだ。外国軍隊の駐留が長引けばアフガン国民の反発は強まろう」と納得できる指摘をしながら、他方で「増派はやむを得ない決断だろう」と米軍増派を是認している。主張に矛盾があるように思えるが、いかがか。 社説に限らず、他者の主張や意見に対する理解の仕方は人それぞれであっていいが、私(安原)は私なりに以上のように是非を明らかにしたいと考えている。
▽ 新聞社説は、なぜ「直ちに撤退」を主張しないのか
オバマ米大統領がアフガンへの3万人の新たな米軍増派を決めたことを受けて、どうしても想像力を働かせたくなるのは、ノーベル平和賞の授賞式(12月10日)で、オバマ大統領は一体どういう表情で平和賞を受け取るのかである。笑みをたたえながらなのか、それとも苦渋の表情でなのか。 アフガンという米国から遠く離れた外国の地で今後も軍事力による大量虐殺を続行することを世界に向かって公言した人物が平和賞を得るのは果たしてふさわしいだろうか。 それにしても不思議なのは、日本のメディアの多くが米軍増派への批判力を欠落させていることである。解説はあれこれ試みてはいるが、明確な主張がない。なぜ「直ちに撤退方針を打ち出せ」という論調を展開できないのか。なぜ大量虐殺を容認するかのような姿勢を維持しているのか。21世紀のキーワードは「チェンジ(変革)」ではないのか。
〈東京〉社説は次のような趣旨を指摘している。 イラクとアフガンですでに戦費は1兆ドル(約90兆円)に迫り、今回の作戦で新たに300億ドル(約2兆7000億円)を要する。(中略)無期限の駐留を続ける意志も経済的ゆとりも米国にはない ― と。 この点についてアフガン新戦略に関するオバマ演説はこう述べている。 もはや我々は戦費のことを無視する余裕はない。戦争の財政負担について公にかつ誠実に明らかにすることを約束する ― と。 米国の財政赤字は過去最悪を更新しており、経済的ゆとりが枯渇しつつあることは、紛れもない事実である。
しかも米国の民意は戦争を拒否し始めている。米紙ワシントン・ポストなどの最近の世論調査では「アフガンで戦う価値はない」が52%と過半数にのぼっている。にもかかわらず日本のメディアが米国の民意に抗してまで、なぜ「オバマの戦争」に理解を示す必要があるのか、不可解というべきである。
それとも「日米同盟」の呪縛にとらわれて思考停止病にかかり、自由な発想が不可能になっているのか。「テロとの戦い」という米国の口実を日本のメディアがオウムのように繰り返すのは思考停止病の症状であり、適切ではない。「テロ」の背景には貧困や抑圧など社会的不平等・不公正が根を張っており、軍事力で抑え込むことはできないからである。それに軍事力行使は一般民衆の犠牲者を増やし、反感をつのらせている。 〈毎日〉社説は、「アフガンのものはアフガンに返す」ことこそ出口戦略のカギ ― と書いた。その通りである。米国が今後とも軍事力を振り回すのは、その出口戦略を遠のかせ、ひいては「第二のベトナム化」となって敗退への道を辿る負の効果しかないだろう。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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