2003年3月開戦のイラク戦争に関わる事情を検証するイラク独立調査委員会の公聴会に、29日、ブレア元英首相が証人として出席した。開戦理由や戦争の合法・違法性、戦後処理などについて、6時間近くにわたって委員の質問に答える中で、ブレア氏はフセイン・イラク政権(当時)の大きなリスクを繰り返し、戦争と政権交代の正しさを「今でも信じている」と述べた。公聴会の会場の外では「嘘つきブレア」「戦犯」などと糾弾する数百人の反対派が抗議行動を行った。公聴会のスケッチとその感想をつづってみたい。(ロンドン30日=小林恭子)
―「9・11テロで考えが変わった」
29日、朝9時半。イラク独立調査委員会(通称チルコット委員会)の公聴会の会場に、委員会のメンバーが入ってきた。すでに聴衆は席に着いている。ブレア元英首相が入ってくる。委員会と向かい合うブレア氏の席は聴衆席の前に置かれているので、聴衆が見えるのは、委員会の委員たちの顔と、元首相の背中になる。聴衆の中には、イラク戦争で息子や娘を亡くした遺族もいた。
席に着いたブレア氏は厳しい顔つき。BBCの政治記者ニック・ロビンソン氏によると、机の上にあったミネラル・ウオーターのボトルに伸ばしたブレア氏の手は、小刻みに震えていたという。
チルコット委員長が簡単に委員会の目的を説明し、すぐに質疑応答が始まった。
2003年のイラク戦争は国際法上違法だったのではないか?そんな疑問がいまだに渦巻く英国で、国民の多くが最も知りたがったのは、何故ブレア元首相が戦争に踏み切ったかだった。何故イラク、何故2003年、そして何故武力攻撃なのか?
ブレア氏によると、節目となったのが、2001年9月11日の米国中枢大規模テロだ。「9・11がすべてを変えた」。
数千人が亡くなったテロを見て、英領北アイルランドでのテロ(「これはある意味では理解できる面がある」)とは全く違うレベルの国際テロが起きたと思ったという。
大量破壊兵器の査察受け入れを拒否していたイラクは、当時、既に「大きなリスクを持った国になっていた」。9・11以前もイラクのリスクは高いと思ってはいたが、米テロ以降、その「見方が全く変わった」。イラクは、「何らかの手段を緊急にとるべき国になった」。
開戦前、英国側がイラクの大量破壊兵器の脅威を問題視したのに対し、米国はイラクの政権交代を当初から主な目的としていたとされる。ブレア氏は「この2つは分けては考えられない」とする。「リスキーな政権、政権交代をした方が良いと思われるような政権は世界にたくさんあるージンバブエがその一例だ」「しかし、リスキーな政権が、大量破壊兵器を持っていたらどうか?危険性は大きく高まる」。
元首相はフセイン元イラク大統領の危険性を繰り返し、イラクへの武力行使を「今でも正しかったと思っている」と述べた。
数時間に渡る証人喚問の中で、ブレア氏は、表現を変えながらも「フセイン元大統領=悪い奴、放っておいたら、とんでもないことをしでかす奴、だから『処理する』べきだと思った」、と何度も繰り返した。
―米国とともに
英国民の疑惑の1つが、ブレア氏が、ブッシュ米大統領(当時)に対し、早い段階からイラクへの武力攻撃を米英で行うと約束していたのでは、という点だ。
開戦前後駐米大使だったクリストファー・メイヤー氏が、証人の一人として公聴会に召喚された時、ブレア氏が、2002年4月、ブッシュ氏とテキサス州クローフォードの農場で会った時に、イラクへの武力行使をほぼ「確約」したと証言していた。
ブレア氏は、29日の公聴会で、これを否定した。「『密約』はなかった」。ブッシュ氏とプライベートで行った会話はのちに公にしており、ブッシュ氏には「この(イラクの)脅威に対し、米国とともに立ち向かい、処理する」と伝えただけだという。委員に詳細を問われ、ブレア氏は「もし外交で処理できない状態になり、軍事行動を取る場合、私たちはブッシュ政権と共闘する」と伝えたことを明らかにした。
これは、米国がイラクへ武力攻撃を始める時、英国も自動的にそうすることを意味しない、というニュアンスだ。したがって、「戦争を(ともに)始めると確約していない」のだ。
しかし、ほぼ1年後、イラク戦争開戦の直前、米国がブレア政権に対し、英国は軍事行動では参加しなくても良いと伝えると、ブレア氏は自ら軍事参加を選択する。
イラクの脅威を取り除くことの重要性を「信じていたので、当時も、そして今も、米国と共に歩むことが英国にとって正しいことだ」と思ったからだ。
―合法性
イラク戦争開戦は合法だったのだろうか?
同じ公聴会で、2日前に、政府の元法律顧問ゴールドスミス氏の法律の説明をじっくり聞いていた私は、ブレア氏がどんな説明をするのかと固唾をのんだ。
ブレア氏によれば、「国連安保理決議1441の解釈は、あいまいだ。どっちにもとれる」。1441のみでは、国際法上合法とは言えないだろうとするゴールドスミス氏や外務省法律顧問(当時)からの助言をもらい、ブレア氏は時の外相ストロー氏とともに、イラクへの武力行使を可能にする「第2の決議」のドラフトを作った。
ブッシュ政権は「第2の決議はいらない」「決議が採決されようとされまいと、武力攻撃する」という考えだった。1441だけでよいというのは、ブレア氏も同意していた、という。しかし、第2の決議があった方が「政治的に好ましい」。
ゴールドスミス氏は、当初「新たな決議なしには違法」という司法判断だったが、「1441のみでもよい」という判断に、開戦直前になって変えた。同氏によると、ブレア氏を含めた他者による、判断を変更するようにという圧力は一切なかったという。
委員の一人が「なぜゴールドスミス氏は意見を変えたのだと思いますか?」と聞いた。ブレア氏は「一つの結論を出さねばならなくなったからです」と答えている。
―45分で攻撃
開戦前の2002年9月に政府が出した、イラクの大量破壊兵器による脅威に関する文書に寄せた序文の中で、ブレア氏は「イラクが大量破壊兵器を45分で実戦配備できる」と書いた。これが多くの新聞の見出しとなり、イラクの恐ろしさが英国民に伝わった。
しかし、その後、大量破壊兵器は見つからず、文書の中で紹介された諜報情報の信ぴょう性が低いものであったことが判明した。しかし、ブレア氏は文書に入った諜報情報は「非常に信ぴょう性の高い」ものであると当時確信しており、イラクが大量破壊兵器の開発を継続していたと「疑いなく」信じていた、と述べた。
武力攻撃を正当化するために諜報情報を誇張したことは「ない」と、これまでほかの場所で言っていたことをブレア氏は繰り返した。
―「私の決断」
「情報自体の信ぴょう性は低かった」と委員が指摘すると、ブレア氏は「嘘でも、陰謀でも、欺瞞でもないーこれは決断だった」と力をこめて話し出す。「フセイン元大統領のこれまでの歴史、化学兵器を使ったことがあること、100万人に死をもたらしたこと、国連決議を10年間も破ってきたこと―こうした要素を考慮に入れて、この男性(元大統領)に破壊兵器の計画を再開させるリスク」を取らないことを決断したのだ、と説明する。
夕方、5時を回った。朝から始まった証人喚問がそろそろ終わりに近づいてきた。次第にブレア氏のイラクの現状に対する思いの吐露が中心になっていた。
「イラクに民主主義が根を張るかどうかを判断するのはまだ早すぎると思う」「でも、希望の兆候はある」
「私は首相として決断をしなければならなかった。重い責任だった。この責任について、思いをはせない日は一日としてない」「しかし、フセイン政権が続行していたら」「もっと脅威は大きくなっていた」
「最終的には(戦争の是非に関して)意見が分かれた格好になった。これは残念に思う」「しかし、イラクは良くなった」「将来、イラク国民も、英国民も、特に英軍も、誇りと達成感を持って(この戦争を)振り返るだろう」。
チルコット委員長がブレア氏に聞く。「心残りは?」
ブレア氏の次の一言に注目が集まるー。亡くなった英兵の遺族、負傷兵やその家族、そしてイラクの民間の犠牲者への一言があるかと思ったのである。
ブレア氏は「責任を感じるが、フセインを取り除いたことに後悔はない」と答える。会場から、軽い怒鳴り声が聞こえる。委員長が「静かに」とおさめた。
ブレア氏は、続ける。フセイン元大統領は「怪物だった。中東地域だけでなく、世界の脅威だった」「イラク国民の生活は向上した」「もし同様の状況にあったら、同じ決定をする」―。
聴衆席で、ブレア氏の背中を見ながら、言葉に耳を傾けていた人々、委員会のウェブサイトから流れる映像を見ていた人々は、どこかでブレア氏が犠牲者へのねぎらいかあるいは謝罪の言葉をかけるのではないかと思った。その瞬間が訪れないまま、ブレア氏は話を言い終えた。
チルコット委員長がダメ押しのように聞く。「言い残したことはありませんか?」期待がふくらむー。しかし、ブレア氏は、「ありません」と言ったきりだった。
委員長が本日の公聴会の終わりを告げる。テレビカメラが止まった。
BBCの報道によれば、ブレア氏が部屋を出ようとすると、聴衆の中にいた一人が、ブレア氏の背中に「嘘つき」と叫んだ。もう一人が「人殺し」と。遺族だった。泣いていたという。
最後まで喚問を見ていた私は、消化不良のような、さびしい思いをして、委員会のウェブサイトを閉じた。
**感想**
―「ブレア牧師」
久しぶりに見た、カメラの前に出たブレア氏は、最初緊張していたものの、ほとんどの時間を首相時代の「クエスチョンタイム」(議会で毎週開かれる、野党との議論)をほうふつとさせるような元気さで質問に答えていた。
フセイン元大統領を「怪物」と呼び、これを「処理する」ために、米国とともに軍事行動に突き進んでいったブレア氏。英国の週刊誌「プライベート・アイ」はかつて、ブレア氏に「ブレア牧師」というあだ名をつけていたが、「悪の退治」を「正しいこと」と信じ、行動を起こしたブレア氏は勧善懲悪のドラマの登場人物に見えた。
ブッシュ元米大統領は、イラク、イラク、北朝鮮などを「悪の枢軸国」としてならず者国家呼ばわりした。世界を「悪者」と「それ以外の国」にラベル付けしてしまう、そんなシンプルな世界観の影響も、ブレア氏の表現の端々に見えた。
―今度はイラン?
また、上記のスケッチの中では触れていないが、ブレア氏は喚問中に、「かつてのイラクは現在のイランである」と何度か述べた。イランへの武力攻撃の下地を作るため、あるいはイランにプレッシャーを与えるために、今回チルコット委員会に出てきたかのようにも見えた。
―合法性と怒りの原因
前のゴールドスミス英元法務長官の話にも出てくる、国際法上の違法・合法の話だが、私は法律の専門家ではないけれども、「国際法」というのは、実はあいまいもことしていて、実態があるようなないような部分があると思っている。
しかし、イラクへの武力攻撃に至る過程では、ブッシュ政権およびブレア政権が法律や国際関係の決まり事などを度外視(恣意的利用)し、米国という世界のスーパーパワー(軍事力+国力)の指揮の下、英国がこれに追随したー少なくともそのように見えた。「軍事力のある国だったら、何でもしていい」という事態に、英国民だけでなく、多くの人が不合理さを感じるのは無理ないだろう。
しかし、英国民がおそらく最も怒りを感じるのは、「虚偽のあるいは誇張した理由で、戦争という重要な行為に関与させられた(結果として英兵が負傷あるいは亡くなった)」点だろう。
人の生と死、つまり戦争に関わる、政治家の嘘を国民はおいそれとは忘れられない。アフガニスタンまで含めば、今も続く戦争だ。継続中の「テロの戦争」に、ブレア氏によって「関与させられてしまった」ことへの痛みと無念さがある。
チルコット委員会はまだまだ続く。
(イラク独立調査委員会はウェブサイトで証人喚問の様子をビデオ、書き取った文書などで公開している。細かい点はこちらをご覧いただきたい。)
http://www.iraqinquiry.org.uk/
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