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2010年03月25日20時51分掲載
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中国
戸籍制度問題の本質を問う(上) 戸籍廃止は解決策にならず 秦暉(清華大学教授)
両会(全国人民代表大会と全国政治協商会議)開催を目前にした3月2日、中国の13の新聞が異例の共同社説を掲載し、戸籍制度の廃止を論じた。だが、当局はインターネットでの掲載を封じ、執筆者の一人、経済観察ネットの副編集長、張宏氏はその職位を解かれ、処罰を受けたと伝えられる。中国の政府当局はなぜ戸籍制度への言論を抑えようとするのか。「亜洲週刊」に掲載された秦暉氏(清華大学教授)には、戸籍制度がただ身分上の問題でなく、土地開発の利害に直結していることを明らかにした。(納村公子)
両会(全国人民代表大会と全国政治協商会議)開催の前夜、中国の11の省および市の13紙が「共同社説」を発表し、両会に「手中にある人民から与えられた権力を使い、関係省庁に1958年に公布された『戸籍登記条例』を廃止するよう働きかけ、戸籍制度改革を加速させよ」と呼びかけた。中国で、このような民間の世論を「共同社説」という方法で発表したことは前代未聞である。 これは、一方では中国の改革以来、発言の開放が確かに進歩したことを反映したものであり、一方では現行の「戸籍制度の害」が、すでに人々の忍耐が限界に達していることを反映したものである。
しかし周知のように、いわゆる「戸籍制度」は決して「人口の流動の管理」などといった単純なものではなく、実質上は政府権力が国民の権利を侵害することで生じる一連の問題に関わっている。移動する権利、財産の権利などを言う前に、「生存権」を例にとれば、政府側はそれを最重要とし、そのためにその他のたくさんの権利を犠牲にしている。一部の評論家は、このような人権意識の低い見方では、それは「豚権」だと見なしている。 「生存権」は権利として確かにたいへん重要だが、中国ではこれが問題なのだ。「生存権」は生存していることとイコールではない。たとえばブタは生きているからといって、ブタに「生存権」があるとは言えない。ブタは飼育者の意志によって「生存」しているのであり、飼育者がつぶそうと思えば生存できなくなる。したがって、生存権は「豚権」ではないのだ。 過去の独裁時代、臣民は生きていくことがむずかしかった。しかし、寵愛を受けた臣、妃、奴のたぐいは恩典を得て生きられた。だが、彼らに「生存権」があったとは言えない。それは彼らの生存が決して本人の権利ではなく、主人に好かれるかどうかによるものであり、「臣下は君主に死ねと言われれば、死なないわけにはいかない」のだ。
我々の「よそ者」はどうやって「生存」しているか。厳しい取り調べが行われていた時期、街では出稼ぎ農民の身分証明書を随意に調べていた。証明書のない者を捕まえる、それは日常的な都会の風景だった。そうして、蘇萍、程樹良、黄秋香、張正海、樸永根らが悲惨な事件に巻き込まれた(訳注:いずれも恣意的な取り締まりで無実の罪に陥れられた事件と思われる)。「602号列車に飛び乗って逃亡しようとし轢死した女性出稼ぎ労働者」、そして、深セン宝安区で列車から「餃子を湯に落とすように」投げ出され、死傷した「よそ者」は名前をあげきれない。
取り締まりの網は拡大され、浮浪者から売春婦、そして「身分証明書なし」の人々まで、農民出稼ぎ労働者から大学生まで、「盲流」の人々、「違法直訴者」まで、2003年には大学を卒業してまじめに働いていた孫志剛が居住許可証不携帯で拘留され殺される事件が起き、大衆の激しい抗議を招き、中央を動かすことになった。この事件がきっかけの不満によって、「取り締まり悪法」は廃止された。これは中国では人権における確かな一歩である。
しかしその後の数年、いまだに「貧乏なよそ者」が都市で権力による暴力に見舞われるという事件を耳にする。とくに、管理者向けの養成教材『城管執法操作実務』(訳注:都市管理上のマニュアル。2006年、北京市城管執法局と同市の市政管委員会訓練センターによる同書の編纂グループ編、2006年国家行政学院出版社より刊行)の「管理」で、露店販売の取り締まりは厳しくあたり、「簡単に放してはいけない」、「てきばきと」やれ、「すべての力を用い」、「顔に血を見ず、体に傷を見ず、周囲に人を見ず」にやれという文言がネットで広まり、世論が騒然となった。 (訳注:同書第4章中にある記載。→第三、簡単に対象者を放してはいけない。取り締まり車両に乗せ、公安機関に突き出すか、部隊に連れていかなければならない。……第五、内暴力による抵抗という状況に置くときの行動では、対象者の顔に血をつけず、体に傷を残さず、周囲から見られないようにし、短時間の迅速な一貫した行動で一度でやり終え、やり残しをつくってはいけない。いったん実施に入ったら、必ずてきぱきと進めためらってはいけない。すべての持てる力を用いなければならない。)
過去の暴力的な拘留は、多くの場合、居住許可証を調べる名義は、改革開放以前の「戸籍取り調べ」であった(そのころは暫定居住許可証そのものがなく、農民が用事で都市に入るには「証明」が必要だった。でなければ「盲流」だとして逮捕される危険が生じた)。改革後、現地の戸籍でない者も「出稼ぎ」証明が出るようになった。それは「三つの証明の取り調べ」(通常は暫定居住証、就労証、計画生育証を指す)と呼ばれている。どちらも直接戸籍と関係するものだ。 そして、現在の「城管」(都市管理)や「違法建築の取り壊し」は、都市の景観を守るという名義で、無認可販売や貧民窟を対象とし、戸籍そのものと直接関係がないと言うことができる。しかし、誰でも知っているように、その実質的被害者はやはりそうした人々だ。一人の貧しい農民が都市へ「流入」(われわれはいずれにしろ彼らを移民とは認めない)し、始め彼は農民の身分(農村戸籍)で差別され、その後よそ者(暫定居住者)として差別され、いまは貧しい身の上(高尚な職業ではない「無認可露天商」あるは高尚な住宅のない掘っ立て小屋の住民)として差別される。
▽立ち退きの進歩と賃貸の権利
この三つの身分の変化にはこの数年に起きたある種の進歩が反映されていない。改革以前、個人はまず都市へ入ることができなかった。その後「暫定居住」で出稼ぎができるようになるが、証明書を携帯しなければならず、そうでないと面倒なことになった(証明書を携帯していても面倒は必ずしも避けられないが)。現在、なんとか生活でき、高尚な職業と住宅があれば、「証明の取調べ」で暴力を受けることは少なくなる。しかし、依然として食うや食わずの貧しい生活であれば、「都市の景観」を損ねるとして都市の受け入れないところとなる。 問題は、貧しいことが罪なのかということだ。誰もなりたくて貧しいわけではない。もし故郷が十分に豊かならば、彼らは都市に依存したりしない。もしそれがだめだというなら、われわれ都市はなぜ貧しい人を受け入れないのか。
現代都市にはもちろん計画がなければならないし、管理も必要だ。「規則違反建築」という考え方が用いられないわけではない。しかし、人権を尊重するという前提がなければならない。筆者は3つの条件が必要だと考える。 まず「規則」がある一方の利益(たとえば自分の役人に豪邸を建てさせようという役所)のためであってはならない。一部の利益のもとに、「重要公文書」を公布し、家を壊して住人を立ち退かせ、ひどいところでは家を焼いて住人を逮捕する。このようなことは基本的人権にかかわるものである。法規制できないはずはない。その立法にあたっては各分野からの参加が必要だ。代議制にしろ公聴制度にしろ、必ず「流動人口」の声がなければならない。 次に、「規則」は常識に合っていなければならない。少なくとも規則を立てる者は、規則に違反せずに「暫定居住者」がどこに身を落ち着かせることができるかに回答しなければならない。最後に、「規則」には厳格性が必要である。朝令暮改であったり、さかのぼって改めたりしてはならない。労働者が必要なときは小屋を建てて住まわせ、用が済んだら小屋が「規則違反」だとしたり、その気がないときは放っておいて、土地を使って金儲けをしようと思い立つと「規則違反」だとするようなことはあってはならない。
これは個別の財産権の問題ではないことを指摘しておかなければならない。中国の強制的な「土地徴用、立ち退き」問題はまだ完全な解決は見ていないが、一般の不満が圧力となって改められたところもある。いまだ市場の取引になっていないが、経済力のある地価の高い大都市では、この数年「立ち退き補償」の基準が大幅に上がっている。現地に戸籍のある「農民」が家主である、いわゆる「都市の中の村」では、「都市の中の村の改造は村民の満足が必要だ」という言い方で、「立ち退き金持ち」になる「村民」が増えている。 このような「改造」に存在する主な問題は、もはや「村民」の権益が損なわれるという問題ではなくなっている(経済力がさほどでもない都市でもこの問題は目立っている)。しかし、よく知られているように、現在の「都市の中の村」はほとんど外来の労働者が集まって住んでいる家賃の安い地域で、家主はそこに住んでいないことが多い。この中国版貧民窟では、外から来た低所得層の人口が、しばしば現地の戸籍を持つ家主の「村民」の数倍、数十倍になっている。彼らこそ「都市の中の村」を改造するとき、最も主要かつ最大の利害関係者だ。 しかし、「立ち退き補償」と彼らはなんら関わりがない。彼らはこれまでと同じように、なんの補償もつけられずに追い出され、しばしば、「改造」の第一歩が「証明書の取り調べ」方式で追い出される。これでは家に「財産を生み出す」機能を失わせ、家主の経営力を弱めることになる。
深センでは先年、管理外だった簡易住宅地区を大幅に整理し、追い出した「流動人口」は100万人に達するという。中国で、実質上「よそ者」に、あいている土地に小屋を建てることを禁止しているので、郊外地区の簡易住宅は戸籍のある住民が賃貸用に建てたもので(一部では建物は建てず、土地だけを貸して、借り主が小屋を建てることもある)、当時、深セン当局は「違法な賃貸」だとして無補償で立ち退かせ、多くの批判をあびた。とはいえ、補償というのは戸籍のある住民に対してだけ行うのであり、追い出された借り主にはなんらの補償もない。貧困に苦しむ借り主は、常になんの補償も得られずに追い出され、そのたびに生活の質は落ちていき、その打撃は決して軽いとは言えない。 いま、不公平な立ち退きへの批判は高まっているが、それは土地の戸籍を持つ貸し主の権益の話であって、追い出される貧困の世帯、「よそ者」の労働者のためにものを言う人はいない。ある人は悲哀をもって「百万人の失語症」だと言った。 (つづく)
原文=「亜洲週刊」2010/3/21 秦暉(清華大学歴史学教授) 翻訳=納村公子
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