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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2010年04月16日19時27分掲載
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文化
フランスからの手紙2 〜なぜパリの住民はフランス人から嫌われるのか?〜Les Parisiens, mal aimés des Français パスカル・バレジカ
何世紀もの間、フランス人はパリの住民を嫌ってきた。パリの住民に嫉妬し、パリの住民の事を尊大だと思ってきたのだ。しかし、パリの住民とは何だろうか?
中世から伝染病、戦争、虐殺、飢餓などが続いたため、パリの人口は自然に増えたわけではなかった。パリの人口が増えたのは地方からの移住者と外国からの移民によってである。たとえばイタリアのロンバルディアに由来する‘ロンバール通り’のように 、過去のイタリア人の移民を想起させる地名がパリにはある。今日でもパリの住民のうち、パリで生まれた人はわずか3分の1に過ぎない。ということはつまり、フランス人のパリの住民に対する嫌悪というものは、2〜3世代の間に地方や外国からパリにやってきた人々への嫌悪なのである。
その上、中世の末以来、政治の実力者たちはパリの住民を不穏で、忠実さに欠ける、と警戒してきた。我々は忘れがちだが、商業都市パリは、1420年から1436年まで英国の占領を受け入れた。百年戦争(1337-1453 英仏間の戦い)とそれに続くルネサンス期の長い間、フランスの王たちはパリに住まなかった。またルイ14世とその後継者もフランス革命まではパリ南西に位置するベルサイユに暮らした。
絶対王政とフランス革命が強力な中央集権を作り上げたため、パリは長い間政治、経済、文化の中心だった。地方人がパリの住民に嫉妬する理由の一端もそこにある。
しかし、1789年から1871年のパリコミューンの内戦までパリの人口は右肩上がりに増え続けた。1871年5月の内戦でフランス軍はパリを占領し、3万人の市民を殺した。その後、8年間はパリを罰するために、パリに替わってベルサイユがフランスの首都になった。以来、長い間、フランス全土の中でパリだけは市長が存在せず、警視庁が直接、統治してきた。パリに市長が生まれるのはおよそ百年後の1977年まで待たなくてはならない!この時、市長になったのがあのジャック・シラクである。
パリコミューン以来、パリは常にその反逆と敗北の代償を払い続けている。フランス国家はパリを服従させ、厳しくコントロールするだけでは足りず、第二次大戦後にはパリの産業を解体するためにあらゆることを行った。パリと地方の均衡を回復するという名目で、だ。そのため労働者や職人がパリを離れることになった。年を追い、パリは中身のない貝殻のような観光都市になっていく。現在、観光だけで生計を立てているのはパリの住民の10%にものぼる。
パリは未だ政治権力の中心でありえているが、経済の中心はパリの西隣の県、Hauts-de-Seineに移っている。重要な決定はパリでなく、この県でなされるのだ。特にLa Defense と Neuillyという2つのエリアにおいてである。ビジネス街のLa Defenceは1958年に開発され、以後、どんどん発展を遂げている。一方、Neuillyは金持ちが暮らす郊外の町として知られている。サルコジ大統領もNeuillyの出身だ。彼の仲間は皆、Hauts-de-Seineに基盤を置いている。
ともかく、そういうわけで、フランス人がパリの住民に嫉妬したり、彼らを嫌ったりする理由はもはやなくなったといえよう。
寄稿 パスカル・バレジカ(Pascal Varejka) メールアドレス(言語は英仏伊) pascal.varejka@gmail.com 翻訳 村上良太
■パスカル・バレジカ氏はパリやプラハの歴史など、多数の本を執筆。「図像で見るパリの歴史」「欧州の奇妙な象」など。
以下は元のテクスト。
■Les Parisiens, mal aimés des Français
Depuis des siècles, les Français détestent les Parisiens, qu’ils jalousent et jugent souvent arrogants. Mais qui sont les Parisiens ? Depuis le moyen âge, épidémies, guerres, massacres et famines n’ont jamais permis à la population parisienne d’augmenter de façon naturelle. Elle a augmenté grâce à l’émigration venue des provinces ou de l’étranger −ainsi la ’ rue des Lombards ’ rappelle l’ancienneté de l’implantation italienne. Aujourd’hui encore, un tiers seulement des habitants de Paris y sont nés. Alors détester les Parisiens, c’est détester des gens venus des provinces ou de l’étranger il y a deux ou trois générations.
En outre, depuis la fin du moyen âge, le pouvoir politique s’est méfié des Parisiens, agités et peu fidèles − ainsi, on l’oublie souvent, Paris, ville marchande, a accepté plutôt bien l’occupation anglaise de 1420 à 1436. Après la guerre de Cent ans, et ensuite durant une bonne partie de la Renaissance, les rois n’ont pas habité à Paris. Puis Louis XIV et ses successeurs se sont installés à Versailles jusqu’à la Révolution.
La monarchie absolue et la Révolution ont créé un centralisme très fort, qui explique en partie la jalousie des provinces par rapport à Paris, longtemps centre du pouvoir politique, économique et culturel. Mais de 1789 à 1871, la population parisienne n’a cessé de se soulever, jusqu’à la guerre civile (la Commune). En mai 1871, l’armée française a pris Paris et massacré plus de 30 000 personnes. Versailles est devenu la capitale de la France pendant 8 ans et Paris a dû attendre 1977 pour avoir un maire élu !
Et depuis, la ville n’a pas cessé de payer ses révoltes et ses défaites. Non content de l’avoir asservie et de la contrôler étroitement, après la seconde guerre mondiale, l’État a tout fait pour démanteler les industries parisiennes sous prétexte de rétablir l’équilibre entre les différentes régions. On a ainsi pratiquement vidé Paris de ses ouvriers et de ses artisans. Et peu à peu, c’est devenu une coquille vide tournée de plus en plus vers le tourisme, qui occupe 10 % des salariés à temps plein.
La ville demeure le siège du pouvoir politique de la France, mais de plus en plus, le centre de décision de l’économie française se trouve dans le département voisin des Hauts-de-Seine qui abrite notamment La Défense et Neuilly. Alors aujourd’hui, cela n’a plus tellement de sens de jalouser et de détester les parisiens.
Pascal Varejka
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パスカル・バレジカ氏
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