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2010年06月03日20時09分掲載
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中国
上海万博(上) 米国参加で「輝き」を 台湾系華僑が奔走、クリントン国務長官を動かす
中国政府が北京オリンピックに続いて国の威信をかけた、上海万博が開催され1か月あまりが過ぎた。『亜洲週刊』で「上海万博、輝きの背後にある外交の秘密」と題された記事からは、政府がどれほど「世界」を集め、開催地中国の「輝き」を大きくするか腐心したか、そしてそれに成功したよろこびが見えてくる。参加に消極的だったアメリカを台湾系アメリカ華僑が奔走して参加に導いた「秘密」は興味深い。(納村公子)
中国人の長年の夢であった上海万博が盛大に幕を開けた。4月30日から184日間にわたって繰り広げられるこの祭典は中国の外交にとって大きな武器となるが、華やかな舞台の裏には人々の知りえない多くの秘密があることも事実だ。
2008年のオリンピック外交と2009年の金融外交に続き、今年の「万博外交」で中国はさらに実力を見せてくれるだろう。まさに上り坂の中国は経済的な実力によって、アフリカ連合館や、初めて万博に参加する北朝鮮など、第三世界の国々のパビリオンに対し建設費の「お会計」を引き受けている。そのおかげで189の国と57の国際組織が参加するという最大規模の万博を実現したのだ。 建設費の援助相手は途上国にとどまらず、もともと参加の意思を表明しなかったアメリカ館に対しても陰で援助をしていた。中国には世界に広がる華僑の人脈と金脈がある。アメリカ国籍の華僑である蒋一成は資金調達に奔走し、当時金融危機に苦しんでいたアメリカのパビリオン建設を軌道に乗せた。
アメリカ館ほど建設が難航したパビリオンはない。胡錦涛国家主席はアメリカ館を見学しスポンサーリストを目にしたとき、我々中国はこの友人達を忘れてはならないと言った。アメリカ館に対するスポンサーの数は万博全体よりも多い。中国企業のハイアール、クリスタルCGを含む47の指定パートナー。プシコーラ、シェブロン、シティバンク、ゼネラルモーターズ、ジョンソン&ジョンソンなどのグローバルパートナー5社。主席指定パートナーのP&G、4つの州や都市のパートナー、10の寄付・援助団体など、67のスポンサーがアメリカ館についている。一方、万博全体のパートナー企業と高級スポンサーはそれぞれ13社、プロジェクトスポンサーが27社で、合計すると53社である。
歴史的に見ればアメリカは十数回にわたって万博を開催しているが、情報化時代に入ってからはその熱意を失っている。万博への公的資金投入を禁止する法律が92年にできたことで、アメリカでは万博参加のために国民の税金を使えなくなったのだ。そのためアメリカは、企業の協賛が得られないという理由で、2000年のハノーヴァー万博(ドイツ)、2008年のサラゴサ万博(スペイン)の参加をあきらめている。 経済危機を迎え、さらに国内外の情勢、新型インフルエンザやテロの影響もあり、かりに民間の資金調達に問題が起これば、今回の上海万博も断念せざるをえない状態だった。2006年10月にアメリカが万博参加を表明すると、その翌日に日本も参加を発表し、続いて多くの国が参加を決めた。
アメリカ館は6000平方メートルの広さがあり、もっとも大きいパビリオンの1つと言える。多元的でハイテクな手法を用い「アメリカのねばり強く創造的な社会作り」を表現し、「挑戦する心」をテーマとしている。このパビリオンの建設には6100万ドルが必要であった。正式に参加を表明したアメリカではあったが、資金調達は容易ではなかった。
2002年に上海万博の開催が決定されたとき、中国の「万博の父」と称される台湾出身のアメリカ人、蒋一成は熱い涙を流した。88歳になる蒋一成はこれまで40年もの長きにわたってさまざまな万博に関わってきた。彼は上海の大学を卒業後台湾で働き、1951年にアメリカへ留学し油田探査を学ぶ。アメリカのグリンバーグ石油の執行副主席、アメリカ・アジア協会の主席、世界華商聯合会の総会長を務めた経歴を持つ。 彼は今回の上海万博開催に全力を尽くす決意をしていた。2003〜2006年の期間はアメリカの参加を促すために奔走し、そのためにクリントン元大統領と3度の面会、当時現役だったブッシュ大統領にも2度の面会を果たし、さらに100人以上の上院・下院議員とコンタクトを取った。
各国が次々に万博参加の手続きを進めて建設工事に着手する一方で、アメリカ館の資金は一向に集まらなかった。2009年3月になっても資金のめどが立たず、アメリカの万博参加が危ぶまれることに中国側は不安を募らせた。パビリオン建設契約の期限は3月31日だった。この状況を知った蒋一成は、数十年かけてつちかったアメリカ政財界での信用を頼みに、ビジネスパートナーや企業協力者から1億ドルもの資金を調達し、さらに中国国内で100億元(約15億ドル)の貸し付けを得た。「これでアメリカ館と上海万博の強力な後ろ盾ができた」と彼は語った。 2009年7月にアメリカ館の建設が始まると、ヒラリー国務長官にその構想を報告するとともに、ヒラリーとオバマ大統領に中米関係促進のためにも万博への参加がいかに重要であるかを説いた。「前政権が約束したことだから、政府も積極的に実行すべきだ」ときっぱり言う。
ヒラリーはアメリカ館建設の強力な推進者として各方面の調整を行なった。とくに自分が表に立って資金調達をすることが法に触れないかを専門の弁護士に確認したのち、ネームバリューを大いに生かしながら、9カ月間にわたって企業の賛助を呼びかけた。国務長官の呼びかけということもあり、ウォルマート、インテル、NYSEユーロネクストグループなどが次々と出資し、ヒラリーの集めた資金は5400万ドルにも上った。クリントン・ファミリーと縁の深いエリザベス・バッグリーやビジャレアルらも自らのコネを生かして中国のアメリカ企業に電話をして資金を募ったおかげで、ニューヨーク証券取引所、アメリカン航空などから寄付を得られた。 ヒラリーはこう語る。「上海万博への関心がこれほど低いとは思わなかった。でも中国は力のある国へと成長しており、上海万博に参加することはとても重要。だから資金調達をしようと決意した」 (つづく)
〔 〕は訳注。 原文=『亜洲週刊』2010/5/16 江迅記者 翻訳=本多由季
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