内部告発のサイト「WikiLeaks(ウィキリークス)」が、新たに注目を集めだした。ウィキリークスが、今年4月、2007年の米軍のアパッチヘリコプターが、ロイターの2人の記者ら数人を銃撃して殺害する様子をとらえた映像を公開したが、この映像をウィキリークス側に渡したとされる米兵が拘束中となって、米当局が告発サイト自体にも何らかの行動を起こすのではないかと懸念されているためだ。(ロンドン=小林恭子)
BBCの報道によると、言論の自由に関するセミナーに出席するためにブリュッセルにいたサイトの創始者ジュリアン・アサンジ氏は、22日、報道陣に対し、ウィキリークスがこの件で米政府に連絡を取ったものの、「米側からの返答はもらっていない」と述べた。また、拘束中の男性の解放に向けて、ウイキリークスの弁護士が連絡をとろうとしていることも明らかにした。アサンジ氏はこの米兵が映像を渡した人物かどうかに関しては明らかにしていない。
―イラク攻撃の動画とは?
問題となった動画は2007年7月12日、米軍によるイラク市民に対する、3回の攻撃の記録だ。米軍がイラクの武装兵だと思って攻撃した中に、ロイター通信のジャーナリスト二人や市民らがいた。ジャーナリストを含め12人が亡くなったと推定されている(BBC)。
米当局側は、当初、「9人の武装兵」とともに、二人のジャーナリストが亡くなったと発表していた。敵との「戦闘中に」起きた出来事であるのは「間違いない」(米軍広報官)と説明していた。
一方のロイター側は、該当地に「武装兵がいたことを目撃した人がいない」、イラクの警察当局が攻撃は「米側の無差別爆撃だった」と報告していることから、次第に、ある疑念がわいてきた。つまり、状況は「戦闘中」ではなく、米側が自ら攻撃を開始し、しかも相手が武装していると見誤って市民らを攻撃していたのではないか、と。そこでロイターは、ジャーナリストの死に至る状況への調査を米国に要求するとともに、押収された、ジャーナリストたちが持っていたカメラの返還、ヘリコプターが記録した音声通信や映像などへのアクセスを求めた。情報公開法を使ってのロイターの要求を米国防省は拒否した。
しかし、昨年、この映像がウイキリークスの手に渡っていた。
今年年頭、ウィキリークスはサイト上で「米国の爆弾が市民を攻撃する」動画を解読するための支援を呼びかけた。1月8日付のツイッターのつぶやきで、2007年の事件の動画を持っており、3月21日公開すると宣言していた。
4月5日、ウィキリークスの12人のボランティアがアイスランドのレイキャビクの隠れ家で、12日間働き続けて完成した短縮版(タイトルが「コーラテラル・マーダー」)とオリジナルの38−9分間のバージョンが公開された。動画の公開を米当局がとめられないよう、20のサーバーを使ったという。ウィキリークスは動画の情報源は「米軍の数多くの告発者たち」であると説明した。
ロイターの取材に対し、ある米軍国防省高官が動画は本物であることを認めたという。
動画はアラブの衛星放送アルジャジーラや米メディア(ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、CNN),英BBCなどで広く報道された上に、ユーチューブ上でも公開され、7000万回以上視聴された。
5月になって新たな動きが出た。米軍諜報アナリストのブラッドレー・マニング兵(22歳)が問題の動画と26万点に上る外交機密情報をウィキリークスに流したと元ハッカーに話したことがきっかけとなって、米当局に逮捕されてしまったのである。6月24日現在、罪状は発表されていない。
―ウィキリークスとは
ほぼ3年前からこの世に姿を現したウィキリークスは、世界中の政府が公にしたくない情報をサイトに掲載してきた。これまでにも、米共和党の副大統領候補だったセラ・パーリンのプライベートな電子メールの中身、キューバにある米グアンタナモ基地の刑務所の運営マニュアル、NATOの対アフガン作戦などを公開してきた。
その活動は5人の編集者と800人の無給のボランティアが支えている。サイトを通じて、誰でもが無記名で情報をリークすることができる。これまでに120万以上の書類を掲載した。
2月には資金不足で一旦活動が停止していたが、4月の米軍の攻撃動画が公表されると、新たに募金が相次いだ。
今年3月半ばにはウィキリークスが「米軍への脅威となっている」とする米諜報機関の書類を公開したが、BBCが米政府筋に確認したところによれば、本物の文書だったそうである。
ウィキリークスは 「サンシャイン・プレス」という組織が運営しており、「人権擁護運動家たち、調査ジャーナリストたち、技術者、一般の利用者」が実際の支援者たちだ。
サイトはスウェーデンのインターネットサービスプロバイダーの PeRiQuito(PRQ)が主としてホストになっている。PRQはファイルシェアリングのサイト、パイレート・ベイのホストであったことで知られている。
ーアサンジ氏のプロフィール
ウィキリークスの創始者、ジュリアン・アサンジ(Julian Assange)氏とはどんな人物なのだろう?
英文ウィキペディアと英紙、BBCの報道をまとめてみると、アサンジ(「アサーンジ」というのが原語に近いようである)氏は1971年、オーストラリア・クイーンズランド州に生まれ。誕生日が不明なので正確な年齢は分からないが、38歳か39歳。スカンジナビア系を思わせる真っ白な髪が印象的な男性である。
職業はジャーナリスト、プログラマー、インターネットを使った活動家。
両親は劇団を主宰しており、旅芸人の子供として、幼少の間は学校を幾度となく転校している。
アサンジ氏の名が知られるようになったのは、「アンダーグラウンド:電子フロンティアのハッキング、狂気、オブセッションの物語」(仮題、1997年)の出版にリサーチャーとして関わってからだ。アサンジ氏は、この本に出てくる「メンダックス」という人物のモデルだったとされる。
「ワイヤード」誌やサンデー・タイムズ紙によれば、10代の頃、ハッカー・グループの一員になり、メルボルンの自宅をオーストラリア連邦警察に捜索された経験もあるという。
アサンジ氏はオーストラリアの大学や通信企業のコンピューターにハッキングし、ハッキング罪で有罪となり、罰金を科されたことがある。その後はプログラマーとして働き、ソフトウェアの開発に従事した。
2006年まではメルボルン大学で物理と数学を学び、告発サイト、ウィキリークスを構想するようになった。
―常に旅行中
アサンジ氏は決まった場所に住むのではなく、常に移動中の生活を送ることが多く、「空港に住んでいる」とあるメディアの取材に答えている。
ウィキリークスの9人のアドバイザーの中の一人だが、実際に集められた情報の信憑性を判断して、サイトに掲載する際の最後の判断を行う人物だ。2009年には、人権擁護団体アムネスティー・インターナショナルが選ぶメディア賞(ニューメディア)を受賞している。
ウィキリークスの事情に詳しい作家ラフィ・カチャドリアン氏がサンデー・タイムズに語ったところによれば、アサンジ氏は心がいつも他のどこかにあるような感じの人物だという。「航空券の予約を忘れたり、予約したと思えばお金を払っていなかったり、当日空港に行くのを忘れたりする」。
募金で成り立つウィキリークスに対し、当局に訴えられたときのため、AP通信、LAタイムズなどの米メディア企業が無料の弁護士支援を行っているという。(「英国メディアウオッチ」より)
ウィキリークス(英語)
http://wikileaks.org/ ウィキリークスの日本語説明(一部のみ)http://www.wikileaks.org/wiki/Wikileaks/ja アサンジ氏が話す様子が分かる動画つきのBBCのサイト
http://news.bbc.co.uk/1/hi/technology/10373176.stm
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