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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2010年08月04日01時58分掲載
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文化
フランスからの手紙13 トルコは向きを変えるのか? La Turquie va-t-elle changer de cap ? パスカル・バレジカ
ケマル=アタチュルクは第一次大戦後、大変動に直面したトルコを近代国家に作り上げた。オスマン帝国の残骸の上にだ。この共和国は第二次大戦では賢明にも中立を守ったのだが、宗教的には政教分離の国家となった。これは世界でも珍しいことであった。1950年代以降は明確に欧米寄りの路線を選択した。1952年にはNATOに加わり、1963年には欧州連合の前身である欧州経済共同体への加盟を申請した。
しかし、今、トルコはその方向を変えつつある。レジェップ・エルドアン首相はイスラム諸国との関係を再び深めたい意向を強く表明している。その中にはアラブ諸国だけでなく、イランも含まれる。トルコは今年まで中東における唯一のイスラエルの同盟国だったのだが、イスラム諸国との関係強化に向けて、公然とパレスチナ支持を表明することに決めた。
最近、イスラエル海軍がパレスチナへの人道物資を積んだトルコ船籍の小型船団を襲撃した。この事件もトルコ政府の新しい方針を後押しすることになった。イスラエルの無分別ゆえにである。トルコ人の死者は9人に上るが、トルコにおけるパレスチナへの支持が一層強まった。事件はまさにトルコを揺るがした。イスタンブールの通りではハマス支持者がデモを行った。その中にはベールで顔を隠した女性たちも含まれていた。
エルドアンの率いるイスラム政党・公正発展党(AKP)が2002年に政権についたとき、おそらく第一の課題はトルコの欧州連合入りだと主張していたことだろう。だが、欧州連合はトルコの加盟申請に対してはっきり拒否することもせず、あいまいなまま拒絶し続けてきた。トルコにおけるイスラム主義の台頭を招いたのはおよそそのような欧州人自身である。トルコ人の中には欧州の態度に傷つき、イスラム教やイスラムの伝統、そして過去の歴史に回帰する人が増えている。
しかしながら、トルコの外交的な存在感は近年、ますます増大している。ユーゴスラビアとソ連邦の解体以来、トルコは少しづつ外交の足固めをしてきた。アゼルバイジャンや、トルクメニスタンなどの中央アジア諸国、そしてバルカン半島のマケドニア、アルバニア、コソボ、ボスニアなどの国々と特別な関係を結んできたのだ。これらの国々はかつてオスマン帝国を構成していた・・・。実際、トルコは地域の強国に戻ったのである。
トルコの首相は今、イスラエルとの同盟を破棄し、1918年まで支配していたアラブ世界と特別な関係を結びたいと思っているのだろう。そうすればイスラム世界の盟主になれるのだ。オスマン帝国の遺産である国々と再び関係を結ぶことはちょっとした誘惑であるに違いない。
だが、そのような政府の試みに対する反対意見もトルコ国内には根強くある。世論の一部や軍隊はイスラム主義に反対の立場だ。彼らにとっては欧州連合加盟が優先事項である。彼らはアラブの多くの指導者に対して不信感を持っている。というのもアラブの多くの指導者は随分昔にアラブ世界の統一を信じなくなったし、イスラム世界の統一についてはさらに一層信じなくなってしまったからだ。
寄稿:パスカル・バレジカ(Pascal Varejka) メールアドレス(言語は英仏伊) pascal.varejka@gmail.com 翻訳:村上良太
■ケマル=アタチュルク(1881-1938)
トルコ軍司令官ムスタファ=ケマルは第一次大戦の戦功により後にアタチュルクの称号を大国民議会から得た。 しかし第一次大戦で敗戦国になったオスマン帝国はシリア・イラクなどのアラブ地域を英軍に占領され、国土はアナトリアとトラキアを残すだけとなった。1918年11月には英仏伊米の連合軍が上陸し、アナトリア南部を占領。さらに1919年5月にはギリシア軍がイズミルを占領し、旧帝国内のギリシア人、アルメニア人、クルド人らが独立国家樹立の動きを見せ、帝国は崩壊の危機に瀕した。 連合軍に対し、妥協的態度をとるスルタンの政府に不満を抱いたムスタファ=ケマルはトルコ民族の主権・領土保全・国民議会の招集を決議し、祖国解放運動の口火を切った。1920年4月にはイスタンブルにある政府に反旗を翻し、戦闘状態に入る。同年8月、イスタンブルの政府と連合国との間で締結されたセーブル条約でトルコ領は約3分の1にまで縮小された。 しかし、この祖国解放戦争でケマルの指導力は強化され、22年10月にはスルタン制の廃止を決議。24年にはカリフ制を廃止。これにともないイスラム法廷やマドラサを廃止し、政教分離に踏み出した。そして主権在民と議会制を原理とする憲法を採択した。 さらに1925年に起こった反乱を機に治安維持法が制定され、トルコ帽や女性のヴェールの着用も禁止となった。また一夫多妻制も禁じられた。 (山川出版社「詳説 世界史研究」を参照した。)
以下は元のテクスト
■La Turquie va-t-elle changer de cap ?
Mustapha Kemal Atatürk a créé la Turquie moderne après les bouleversements qui ont suivi la première guerre mondiale, sur les ruines de l’ancien Empire Ottoman. Un État républicain - qui a eu la sagesse de rester neutre au cours de la seconde guerre mondiale ; et surtout un État laïc - une rareté dans le monde. Depuis les années 50, la Turquie s’est délibérément tournée vers l’Europe et les États-Unis, en adhérant à l’OTAN en 1952, puis en présentant sa candidature à l’entrée dans le Marché Commun (qui a précédé l’Union Européenne) en 1963.
Mais les choses sont en train de changer. D’une part, le premier ministre actuel, Recep Erdogan, affirme une volonté de renouer avec les autres pays musulmans, aussi bien l’Iran que les pays arabes. Pour y parvenir, la Turquie, qui était jusqu’à cette année le seul allié d’Israël au Moyen Orient, a décidé de soutenir ouvertement la cause palestinienne. L’épisode récent de l’assaut donné par la marine israélienne à la flottille humanitaire venue de Turquie a servi cette nouvelle politique -grâce au manque de discernement d’Israël, les victimes turques (9 morts) ont constitué autant de gages donnés à la cause palestinienne. L’affaire a provoqué des remous en Turquie : on a même vu des manifestations d’activistes pro-Hamas comportant des femmes voilées dans les rues d’Istanbul.
Pourtant quand l’AKP, le parti islamiste d’Erdogan, est arrivé au pouvoir en 2002, il affirmait que son premier objectif était l’adhésion de la Turquie à l’Union Européenne. Mais en reculant sans cesse l’hypothétique entrée de la Turquie dans l’Union, en tergiversant au lieu de formuler franchement un refus, les Européens ont largement contribué à la montée de l’islamisme en Turquie : une partie des Turcs, blessée par l’attitude de l’Europe, s’est retournée vers la religion, vers la tradition, vers le passé.
Toutefois, le poids diplomatique grandissant de la Turquie date d’il y a plusieurs années. Dès la désintégration de l’ex-Yougoslavie et de l’ex-URSS, la Turquie a peu à peu avancé des pions, en nouant des liens privilégiés avec l’Azerbaïdjan, avec des pays d’Asie centrale comme le Turkménistan et avec des États balkaniques comme la Macédoine, l’Albanie, le Kosovo, la Bosnie -qui ont fait partie autrefois de l’Empire ottoman… La Turquie est de fait redevenue une puissance régionale.
Le Premier Ministre turc voudrait maintenant mettre fin à l’alliance entre la Turquie et Israël et nouer des liens privilégiés avec le monde arabe - que la Turquie a dominé jusqu’en 1918 -pour jouer le rôle de leader du monde musulman. Il s’agit un peu d’une tentation de renouer avec l’héritage ottoman. Ces projets se heurtent toutefois à l’opposition d’une partie de l’opinion (et de l’armée) turque, pour laquelle la priorité reste l’adhésion à l’Union Européenne, et à la méfiance de nombreux dirigeants arabes, qui ne croient plus depuis longtemps à l’unité arabe et encore moins à l’unité du monde musulman…
Pascal Varejka
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パスカル・バレジカ氏 ジャーナリスト。またパリやプラハの都市史を多数執筆。今春パリのガイドブックをフランスで刊行。「図像で見るパリの歴史」「中世のパリ」「欧州の奇妙な象」など。
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