・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・国際
・農と食
・教育
・文化
・アジア
・入管
・中国
・市民活動
・米国
・欧州
・みる・よむ・きく
・核・原子力
・検証・メディア
・反戦・平和
・外国人労働者
・司法
・国際
・イスラエル/パレスチナ
・市民活動告知板
・人権/反差別/司法
・沖縄/日米安保
・難民
・医療/健康
・環境
・中東
提携・契約メディア
・AIニュース
・司法
・マニラ新聞
・TUP速報
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2024年11月22日
・2024年11月21日
・2024年11月20日
・2024年11月18日
・2024年11月17日
・2024年11月16日
・2024年11月15日
・2024年11月14日
・2024年11月13日
・2024年11月12日
|
|
2010年08月19日22時44分掲載
無料記事
印刷用
沖縄/日米安保
マンスフィールド研修と対日政策 村上良太
アメリカ大使館のホームページによれば、マイク・マンスフィールドフェローシップ・プログラム(以下、マンスフィールド研修)が始まったのは1994年だ。元駐日米国大使マイク・マンスフィールドの名前にちなんだこの研修は日米政府間交流プログラムとされている。つまり、アメリカ合衆国連邦職員の中から選抜された「フェロー」が日本の各省庁に派遣され、1年間「日本と日本政府について理解を深め」ることが目的とされている。だが、その裏にあった真の目的は何か?
彼らが派遣される日本の省庁は「国防と安全保障、医療、エネルギーと環境、貿易と経済、電気通信、運輸、教育、銀行など」多岐の分野にわたる。中には警察庁も含まれる。2007年の時点で、すでに80人のフェローがアメリカから来日して、研修を受けたと書かれている。「これまでに参加した80人のフェローの出身機関の数は、22に及んで」いる。
マンスフィールド研修に選抜された米連邦職員はまずワシントンDCで10ヶ月間研修を受ける。この10ヶ月の間に日本語と日本に関する知識を集中的に学ぶ。その間に、彼らの専門に合わせた詳細な計画を立て、1年目の終わりに6週間来日し、語学研修とホームステイに参加する。2年目は東京で過ごし、各省庁でフルタイムで勤務する。
アメリカ大使館のホームページによると、マンスフィールドフェロー1期生(1995−1997)には現在、国防省東アジア担当首席部長のジョン・ヒル氏、10期生(2004−2006)には現在、横田基地の空軍中佐(ロジスティックス担当)エイミー・マコール氏などがおり、同サイトでも紹介されている。エイミー・マコール氏は次のように参加した動機を書いている。
「まず防衛庁(現防衛省)の運用課で仕事をしました。その後、内閣府の平和維持活動担当部署に移り、最後は航空自衛隊幕僚監部装備部で仕事をしました。私は、日本がどのように自衛隊を国際任務に使うか、あるいは使うことができるかを知りたいと思っていました」
マンスフィールド研修に応募したのはペンタゴンで空軍の参謀将校として働いていたときだったという。
「空軍の後方支援担当官という仕事柄、私は単純に、航空自衛隊のC-130輸送機が、自衛隊が国際支援を行うときの唯一の装備だと決め込んでいました。しかし、海上自衛隊の補給能力や人道支援能力、そして陸上自衛隊のエンジニアリング分野での評判を知って驚きました。」 (エイミー・マコール氏)
国際任務とは聞こえがいいが、自衛隊が戦地に送られることもその中に入っているだろう。そこでは前線と後方の区別がなくなりつつある。それが今日行われている「テロとの戦い」の本質である。日本人はそんなことを望んでいるのだろうか。しかし、このマンスフィールド研修は先述したとおり、防衛だけを視野に入れたものではない。これほど多岐にわたる研修を立ち上げたのには相当の理由があるからだろう。
アメリカ大使館のホームページによると、「日米規制改革および競争政策イニシアティブ」(規制改革イニシアティブ)が設置されたのが2001年である。この規制改革イニシアティブから毎年日本政府につきつけられる要望書がいわゆる年次改革要望書である。多岐にわたって日本に規制改革を迫るものだ。2001年と言えば小泉総理とブッシュ大統領の時代である。
「本要望書に盛り込まれた提言は、主要分野や分野横断的課題に関わる改革措置を重視しており、現在の日本の経済成長支援および日本市場の開放促進を目的としている。さらに、米国は、通信、情報技術(IT),医療、エネルギー、競争政策など、小泉内閣が改革に重要であると位置づけた分野の問題に焦点を当てる努力をした」とある。
格差社会を作った新自由主義の原点がここにある。この年次改革要望書なるものがそもそも生まれたきっかけは、ウィキペディアによると、「1993年7月の宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談で決まった」とある。だとすればマンスフィールド研修の始まる1年前に当たる。
一方、ウィキペディアには日米間の貿易不均衡を是正するために行われた日米構造協議(1989−1990)が1993年に「日米包括経済協議」と名を変え、現在の年次要望書への流れを形成したとも書かれている。いずれにしても、マンスフィールド研修が開始された時期はアメリカが日本に規制改革をつきつける準備期間とほぼ重なるのである。
日米友好という目的は大変結構だ。しかし、日本の省庁の人脈や力関係、様々な情報がアメリカで対日政策を形成する人々に筒抜けになったのは間違いないだろう。このマンスフィールド研修を立ち上げた中心人物はデラウェア州選出の共和党上院議員ウイリアム・ロス(William V.Roth,Jr 1921-2003)氏と、かつてロス議員の事務所でインターンとして働いていた現・参議院議員の林芳正氏(自民党)である。
故ウイリアム・ロス上院議員は1971年から2001年まで5期30年に渡って上院議員を務めた共和党の重鎮である。共同通信の記事によると「米政界ではレーガン政権下での減税法案で知られ、90年代後半には上院財政委員長として、日米貿易摩擦などに影響力を持った。」(ワシントン共同 2003年12月15日の死亡記事より)とある。経済学者のポール・クルーグマンによれば、レーガン時代のこの減税政策こそ、アメリカにおける中産階級が没落した元凶であり、格差社会が始まった源だということになる。
村上良太
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
|