パリの出版社「六面体」を営むレミ・ベランジェ(Remy Bellenger)氏が、出版・書店業に足を踏み入れたきっかけは1969年8月のことだ。五月革命の1年後、ベランジェ氏は学生アルバイトで国鉄(SNCF)のパリ駅で切符切りをしていた。パリジャンの多くはバカンスに出かけていない。列車と列車の間はあくびが出るほど退屈だった。
「列車を待つ間、駅の書店に入ったんだ。文庫版の『’ユビュ王’大全』を見つけてすぐに買ったよ。読み出したらすっかりやみつきになって、二日後には同じくジャリの『緑の蝋燭』を買っていた。」
ベランジェ氏は13歳から写真狂で、大学では理工系のコースにいた。しかし、常識や通念を越えようとする作家アルフレッド・ジャリ(1873-1907)の虜になってしまった。破天荒な男ユビュ王、奇妙な学者と狒々の冒険、人間は永久機関になれるかをテーマにしたSF小説など、そこには常識を破る世界があった。ジャリはそうした反常識の‘学問’を「パタフィジック」と呼んだ。ジャリを信奉する作家たちは後に「コレージュ・ド・パタフィジック」というサークルを作った。
作家のボリス・ヴィアン(1920-1959)も「コレージュ・ド・パタフィジック」のメンバーだった。ボリス・ヴィアンは死後、忘れられたかに見えたが、68年の五月革命で若者の圧倒的な支持を得て、復活していた。ベランジェ氏はその夏、ノエル・アルノーが書き下ろしたヴィアンの伝記「ボリス・ヴィアン〜平行線の人生〜」を買いに、パリ6区の書店「ル・パリミューグル(Le Parimugre )」に出かけた。
ル・パリミューグルの書店主はジャン=ジャック・ポーヴェールという男だった。頭は禿げ上がり、ヒゲ面で、一見どこにでもいそうな中年男だ。だが、このポーヴェール氏こそ19歳でサルトルを出版し、20歳そこそこでサド全集を出した天才編集者だった。物議をかもしたポルノ小説「O嬢の物語」の出版も手がけ、さらにレーモン・ルーセル、ピエール・クロソウスキーなど癖のある作家の本を多数出版している。また漫画家ボブ・シネの有名な「猫」も編集した。パリの書店は本を右から左に流す場ではない。こういう男がたむろしている場所なのだった。
「ジャリの後、ボリス・ヴィアン、ジャン・リシュパン、セリーヌ、クノー、プレヴェールと、それぞれ関連性のある作家たちを次々に読むことになった。19世紀末の作家も多数読んだよ。」
9月には早速コレージュ・ド・パタフィジックに入会を申し込んだ。当時、ベランジェ氏には大学の講義が週43時間あったが、月平均20冊は読んでいたという。夏の3ヶ月のアルバイトで得た収入はすべて本とレコードにつぎ込んだ。
「フィッシャー・ディスカウ出演のモーツァルト作曲『ドン・ジョバンニ』のレコードは今でも、初めて聞いた時の感覚を鮮明に覚えているんだ。本と音楽に勝る喜びはないね。」
ベランジェ氏は卒業後、巨大な国立の研究機関CNRSに入り、人工衛星の開発で有名になった。しかし、その後、書店を立ち上げ、さらに出版活動にも乗り出すことになる。駅で「‘ユビュ王‘大全」を手にしてから20年後の1988年のことだ。
「出版社の名前は‘六面体’と言うんだ。本は六面体だからね。」
ベランジェ氏は「コレージュ・ド・パタフィジック」を創始したエマニュエル・ペイエの伝記など、決して数多くはないが個性的な本の出版を続けている。コレージュの同人たちは年を経ても精神は若い。これからパリの夜は長くなり、読書には最適の季節となる。
■ジャン=ジャック・ポーヴェール(Jean-Jack Pauvert)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Jacques_Pauvert ■ボブ・シネの「猫」
http://rocbo.lautre.net/illus/sine/les_chats.html ■出版社「六面体」
http://www.hexaedre.fr
村上良太
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