詩人ジャック・プレヴェール(Jacaues Prevert 1900-1977)に「自由の街」と題する詩がある。権力に抗する庶民の心を歌ったプレヴェールらしい詩である。
「自由の街」
軍帽を鳥かごに入れ、 鳥を頭に乗せて僕は出かけた。
「おや、もう敬礼はなしですか」 司令官が尋ねた。
「ええ、もう敬礼はしませんよ」 鳥が答えた。
「あぁ、そうでしたか。失礼しました。 てっきり、敬礼してくれるものと思っていましたので」 司令官が言った。
「気にしないでください。誰しも間違えることがありますから」 鳥が言った。
司令官の問いかけに頭の上にいる鳥が答えるのが新鮮であり秀逸である。鳥には自由が象徴されている。この詩はプレヴェールの最初の詩集に納められた8篇の中の1つだ。詩集は高校生たちがガリ版で刷った手作りの詩集だった。紙質は粗末なものだったが、1944年7月に200部が刷られた。1部はプレヴェールに送られ、詩人をいたく感激させた。それまで彼は詩を書いても、書きっぱなしで落ち葉のように散逸してしまっていたからだ。
ノルマンディ上陸作戦が1944年6月で、パリ解放は8月25日である。その間の出来事だ。ナチ支配からようやく自由が戻ってくる、その喜びがにじみ出る詩である。しかし、「自由の街」が書かれたのは1943年9月だった。まだドイツ軍による統治下で、詩人も南仏に疎開していた頃だ。元々シュールレアリスムから出発したプレヴェールにとって、まだ見ぬ自由を歌うことはわが意を得たりだったのかもしれない。
ここで敬礼を求める「司令官」はナチの軍人を直接的には意味していたのだろうが、同時にあらゆる抑圧的な存在を象徴するものでもあるだろう。プレヴェールは戦前戦後を問わず、このような詩や台詞を書き続けた。
戦後の1946年、改めて再編集されたプレヴェールの詩集「パロール」が出版されると、爆発的なヒットを記録した。未だに世界中で翻訳され版を重ねている。このような詩集はそれまで絶無だった。プレヴェールはその秘密をこう語っていたという。
「僕は憎しみという言葉を書いたことがない」
いつも反抗しているかのようだが、実は彼ぐらい愛と太陽を歌った詩人もいないというのだ。
ところで、長年、高校生たちの逸話は僕の記憶にも焼き付いていた。しかし、具体的にどんな経緯で彼らが詩集を印刷したのかはよくわからなかった。ところが、最近、出版社「六面体」のレミ・ベランジェ氏が出版した伝記本「エマニュエル・ペイエ(Emmanuel Peillet)」の中にその経緯が書かれていた。
エマニュエル・ペイエは作家アルフレッド・ジャリが提唱した反常識の学問をうたう集団「コレージュ・ド・パタフィジック」を実際に組織した創始者である。詩人プレヴェールも「コレージュ・ド・パタフィジック」の一員だった。そのエマニュエル・ペイエは当時、パリ北東の街ランスで高校教師をしており、プレヴェールの手作り詩集を作ったのはペイエの生徒たちだったのだ。これで年来の謎が解けた。
ちなみにベランジェ氏はペイエの伝記の出版の後、ペイエが生前に撮影した写真を集めて個展を開催し、さらにペイエのコラージュ作品集を出版するなど、奔走中である。
村上良太
■パリの散歩道11 パリのブッキッシュな青春「1969年」 村上良太
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201009182202136
■パリの散歩道5 個性的なパリの書店に忍び寄る危機 村上良太
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■パリの散歩道12 詩人プレヴェールと「自由の街」 村上良太
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201009190518140
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