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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2010年11月26日00時16分掲載
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TPP/脱グローバリゼーション
APEC横浜宣言を批判する(その2) ボゴール目標と自由貿易・投資は繁栄と成長をもたらしたのか? 小倉利丸
首脳宣言では、これまでのAPECを振り返り、ボゴール目標の正しさを次のように述べた。「アジア太平洋地域は,ボゴール目標の達成に向けた個別の及び共同の取組を通じて,貿易及び投資に対する障壁を相当程度削減してきた。これらの取組は,地域における貿易と投資量の増大,持続的な経済成長及び人々の福祉の大幅な改善へとつながった。」。本当にそうなのか。検証する。
しかし首脳宣言は他方で、次のようにも述べている。
「この歴史的な変容(APEC域内の経済的な相互依存と統合の深化)が,地域における著しい経済的活力をもたらしてきた一方,近年の出来事は,危機がエコノミー間にわたって急速に伝播し,地域そして世界全体の経済体制に劇的な影響を与え,成長及び雇用を鈍化させ得ることを示した。」
あるいは「アジア太平洋地域の経済は,近年の経済金融危機から回復しつつあるが,不確実性は,未だ残っている。」とも述べている。APECが結成され、自由貿易・投資という方向性は、いったい人々の繁栄と幸福をもたらしたのか、それとも危機の連鎖を強めるような相互依存に陥ってしまったのか?実は、この宣言では、この点をあいまいにしたまま、強引に自由貿易・投資を免罪している。 決定的に欺瞞的なことは、上記のような危機に関する問題意識がありながら、その原因が自由貿易・投資の構造にあるとは口が裂けても絶対に認めないという点にある。危機の原因がどこにあり、金融危機の不確実性がなぜ完全に払拭できないのか、そして危機の犠牲を誰が負い、危機から利益を得たのはだれなのか、この点を追求したとき、自由貿易・投資の責任を免罪することはとうていできないはずだ。資本の利益や経済成長を犠牲にしてでもこの自由貿易・投資が危機を招く危険性を排除することのほうが、質的な意味における人々の「繁栄」「幸福」に寄与するはずだ。ところが、横浜宣言では、危機をめぐって政府が検証しなければならない基本的な責任を回避し、ボゴール目標に固執している。危機の可能性と危機の域内伝播の危険性は、自由貿易・投資の構造に内在する資本のモラルハザードにあることは明らかなことだ。
ボゴール目標が策定された後の1997年のアジア通貨危機では、自由化を進めたタイや韓国が大きな打撃を被った。投機的な外国金融資本は、市場開放によって一気に投機的な資金を投入する一方で、危機に際してはいち早く資本を引き上げ、その結果として、国内の実体経済はこの煽りを受けて一手に危機のリスクを負わされ、破滅的な影響を被った。 投機的な外国資本の投資動機は、投資先国の人々の繁栄や福祉にあるのではなく、資本の利潤率最大化にある。外国資本の利潤最大化が投資先国の経済成長に寄与したということがあったとしても、この経済成長が、他に比べて人々の繁栄と福祉の最大化を実現すする唯一の手段であるとはとうてい言い難い。むしろ経済成長は、同時に、コミュニティの解体(マルクスが「本源的蓄積」として述べたような、自律的な経済の解体と資本のための労働力の半ば強制的な創出)と失業・貧困をもたらし、国内の階級的な格差、都市と農村の格差を構造化する。
リーマンショックにおいても、米国との貿易に依存するアジア諸国は、再び大きな打撃を被った。土地や住宅など不動産の証券化は、支払い能力のない低所得層の夢を食い物にした。資本主義的市場経済は、衣食住の基本的な条件を保障するどころか、住宅を購入した人々に多額の負債を負わせた。 リーマンショックの教訓は、資本主義的な金融システムが、人々の生存に不可欠な衣食住の基盤を保障するようには機能できないし、所得の低い階層は市場から単純に排除されるのではなく、逆に、投機的な金融資本のマネーゲームの餌食にされ、政府はこうした人々を見捨てる一方で、破綻に瀕した金融資本には多額の税金を投入して救済するものでしかない、ということだ。 ヘッジファンドによるリスク回避の理論なるものには、人々の生存を不安定にする市場的な要因(気候変動であれ天候不順であれ武力紛争であれ)を金儲けのゲームにすることだけにしか関心を寄せないものであって、経済が果たすべき社会的責任としての人々の生存の保障としてのリスクの回避への配慮は一切見られない。
横浜宣言は、こうした1990年代以降の新自由主義的なグローバル資本主義がもたらしてきた人々の生存への不安定を完全に無視している。このような政府が人々の生存を保障するはずがないことも明らかだろう。それは、はたして政府の名に値するのだろうか?彼らは一体何者なのか?信頼されない政府による統治は、先進国であっても潜在的な破綻国家へと転落するか、あるいは軍事独裁政権と酷似するファシスト国家へと変質するか、その二つに一つしかない。もし、民衆が的確にこうした政府を正すことをしないとすれば。(続く)
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