エコの時代、と言われながらも古着の再生は遅れています。かつて古着の再生物語をドキュメンタリー番組にしたテレビ東京のホームページにこんなデータがあります。
「現在、(日本で)1年間に供給されている家庭向け一般衣料はおよそ130万トン。一方、その7割に相当する100万トン近くが、可燃ごみや不燃ごみとして廃棄処分されている。」 (テレビ東京「ガイアの夜明け」〜古着が宝の山となる日〜より)。
日本にはものを大切にする伝統がありながら、大切にしてきたものを処理に困って焼却する、ということが見られます。そこで古着をこつこつ再生している企業を訪ねました。神奈川県にある昭和9年創業の老舗企業ナカノです。
神奈川県秦野にある選別工場の二階ではベルトコンベアで流れてくる衣類を女性作業員たちがジーンズ、Yシャツ、Tシャツ、ハンカチなどに分けていきます。一階では衣類の束が機械で圧縮され、束として積み上げられていきます。
「キャラクター入りの古着のTシャツはアジアで人気商品ですよ。ハンカチもアジアの人にとっては重宝なものです。そういう文化なんでしょう」
説明してくれたのはナカノに入社して9年目の藤田修司さん(34)です。
ナカノには年間およそ13000トンもの古着が寄せられます。これを手作業で選別して、そのまま服として使えるものは使い、解体して再生するものは再生しています。選別しているのは秦野の工場と、フィリピンのスービック湾に臨む工場です。作業の大半は人件費の安いフィリピンで行っています。横浜港から船に大量の衣類を積んで送っているのです。服として使えるものはそのまま古着として売り、使えないものはばらして新たな製品にします。
「秦野で古着を選別しているのはどんな作業かを日本の方々に知っていただきたいため、という意味があります。神奈川県では衣類の分別回収をしていますが、自治体によって衣類の扱いは様々です。」
ナカノが今、手がけているものの1つがリサイクルによる手袋(写真)です。今年神奈川県で始まったリサイクル認定製品の第一号となりました。ナカノに集められる古着から、再生したものです。素材としては綿、化学繊維、毛が混じっています。
「商品としては軍手と手袋の中間にあります。軍手なら1ダース(12セット)240円程度。この手袋は1ダース420円です。」
軍手に比べれば倍近い価格ですが、通常の手袋よりは安い商品です。庭作業などの作業用です。
フィリピンで行われている手袋作りの映像があります。ナカノ社員の窪田恭史さんが撮影編集した映像です。明るい女性工員たちの素顔が見えます。
http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/6fed7ecb65dde0e80dea520bc05b56a0 このフィリピンのスービック工場は保税地域にあります。古着自体はフィリピン国内には輸入されません。国内のアパレル産業を保護するためフィリピンが中古衣料品の輸入を禁じているからだそうです。港の保税地域で仕分け作業をした後、そのまま使える衣類はマレーシア、シンガポール、インドなどの周辺諸国に売られていきます。アフリカに行くこともしばしばです。
日本の古着はデザインや品質に優れ、また体形も似ているといった点でアジアでは重宝されています。箪笥に衣類を保管し、大切に使うということも日本の中古衣類の価値を高めています。さらに、これらの質の良い古着を日本人ならではのきめ細やかさで現地の人に喜ばれるよう、丁寧に選別することが何よりも大切なのだそうです。
ナカノが手袋作りに取り組みはじめたのは、これまで古着の再生品はウエス(一種の雑巾)などの工場の作業用品が中心で、一般の人には馴染みがなく、古紙などに比べ、リサイクルの姿が実感しにくかったからだそうです。そこでナカノが古くから行ってきた軍手製造の技術を応用して、この手袋を作りました。衣類のリサイクル品をもっと身近に、というのが藤田さんたちの思いです。
■ナカノ株式会社
http://www.nakano-inter.co.jp/ 昭和9年、縫製繊維屑や古布の再生繊維原料問屋として横浜の伊勢崎町に設立された。戦後はキリンビールにガラス屑を納入していた時代もある。アジアに中古衣料の輸出を始めたのは1974年に遡る。安全具や作業用品も1万点以上扱っている。
■かながわリサイクル認定製品 地味ながら、ちょっとしたアイデアを生かした様々なものがある。ペットボトルのキャップとつけかえればジョロにもなる。
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/05/0516/recycle/nintei/ninteipanfu.pdf
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