2008年のいわゆる「リーマン・ショック」以降、広告収入の激減で低迷期に入った英メディア界だが、ここ1年で状況が変わってきた。テレビ界では広告収入が大きな伸びを示し、大手紙の買収や新高級紙の創刊など、新聞業界にも活気が出てきた。日本新聞協会が発行する「NSK経営リポート2011年冬号」に掲載された分に補足を加えて紹介する。(ロンドン=小林恭子)
―20分で読み切る高級紙「i」
昨年10月26日、高級紙インディペンデントの簡易版「i(アイ)」が創刊の運びとなった。新聞離れが続く中、紙媒体の創刊は一つの発想の転換だ。これを実行できたのはその半年前の3月、ロシアの富豪で旧ソ連国家安全保安委員会(KGB)の元スパイ、アレクサンドル・レベジェフ氏がインディペンデントとその日曜版を買収し、新たな投資が可能になったからである。レベジェフ氏はその前年の2月、部数低迷で苦労していたロンドンの夕刊紙「ロンドン・イブニング・スタンダード」の株約75%を1ポンド(約130円)で買収し、事実上の経営者となった。同氏はスタンダードを無料にし、発行部数を3倍にした。
アイの創刊にはインディペンデント(本紙)による市場調査の結果が反映されている。これによると、読者の多くが、現在の高級紙は「情報量が多すぎる」「高すぎる」「忙しくて読んでいる時間がない」と思っていることが分かった。「ニュースを読みたいが、今のままだと読みたくない」のである。
アイの創刊直後、アイは本紙よりもかなり薄めだった(80数ページに対してアイが50数ページ)が、1月上旬までに両紙ともに50ページ弱構成となった。しかし、本紙が1部1ポンドのところ、アイは20ペンスと格安だ。
アイは本紙のコンテンツを簡便にした形を取る。ニュース、論説、ラテ面、ビジネス、スポーツといった面建てや広告も同じだが、ニュースの優先順位を含めデザインが異なる。各記事は本紙よりも短めだ。例えば本紙の1月5日付1面は連立政権に関する記事を置いたが、アイでは6面に入れた。アイの見開き2−3面は「マトリックス」と呼ばれ、後に続く紙面の内容を瞬時に一覧できる。アイは全体的に色味が多いが、逆に本紙は、アイ創刊を機に、モノクロを主とし以前より色味を抑えている。アイを全ページ読みきるのに要する時間は、約20分。忙しい人が電車の中で読み終えるのにちょうどよい新聞だ。
業界推測によると、アイの平均発行部数は、現在約7万部。本紙の約三分の一だ。「読みやすいが、内容は高級紙」というジャンルはこれまでになく、アイならではの視点が出るようになれば、部数は大きく伸びるという見方がある一方で、本紙の部数減につながるのではという懸念もある。(補足:最新の情報では、アイは推定約17万部が売れているという説もある。また一方では6万部という説も。本家インディペンデントが17−18万部なので、これに近い数字であるとすれば、「安い」「短時間で読める」が効いているのだろうか。−個人的には、内容はいいが、レイアウトが子供っぽい感じがする。どうだろう? 参考:http://www.guardian.co.uk/media/2011/jan/25/independent-i-ad-sales))
スタンダードもインディペンデントも、英国外からの「新しい血」=資金を元に新たな試み(無料化、新媒体創刊)を実施した。「お金がなければ、実験もできない」――そんなことを実感させてくれる2つの買収劇だった。
―タイムズのサイト全面有料化
昨年7月から、タイムズとその日曜版がサイト閲読の全面有料化を実行に移した。全面有料化は英国紙のサイトとしては初めて。1日のみの閲読(アーカイブも含む)では1ポンド、1週間では2ポンドで、既に両紙の(7日分の)購読者となっている場合、サイト閲読は無料だ。
1か月以上の購読者であれば、単にサイトを閲読できるだけではなく、会員制クラブ「タイムズ・プラス」のサービスを利用できる。このサービスは、サイト上で著名コラムニストなどとのチャットや情報交換に参加でき、映画や美術展などタイムズが推奨する催事を低価格で鑑賞できるというものだ。また、iPadやKindleなどの携帯電子機器での閲読も、1か月以上の購読者の場合、無料で可能となる。1日のみの有料購読をした場合、iPadには1・79ポンドを払う。
その「成果」だが、両紙を発行するニューズ・インターナショナル社は11月、月に5万人の有料デジタル購読者がいると発表した。これにはiPadやKindleなどを使っての有料購読も入り、業界内で注視される、従来の同紙サイト来訪者が有料購読を選択した数字が出ていない状態だ。
ネット調査のエクスペリアン・ヒットワイズ社によると、同紙サイトの有料購読者数は「月に5万4000人」。この中で、2万8000人がネット購読のみで、残りが紙媒体の有料購読者、と推定した。従来の紙の購読者とウェブ版閲読を契機に紙の購読を始めた人の比率などは、今のところ正式には出ていない。
発行社が正確な数字を出していないこともあって、現時点での全面有料化の成否は判別しがたいが、サイト来訪者の数が大きく減少したことは否定できない。ちなみに、有料化以前、同紙サイトには約2000万人が訪れていた(英ABC調べ)。有料化導入後、同紙はABCのアクセス数調査には参加していない。
親会社ニューズ社のルパート・マードック最高経営責任者は、iPadを代表とするタブレット型電子機器専用の新聞「デイリー」を、今年、米国向け大衆紙として発行すると発表したが、英新聞界の目下の「有料化」議論も、iPad上でどうするか?に収れんしつつある。(補足:デイリーは2月2日、創刊。それほど評価が高くない感じがするが、まだ模索中なのかもしれない。参考:http://www.guardian.co.uk/media/gallery/2011/feb/04/murdoch-the-daily-in-pictures?INTCMP=SRCH
http://www.guardian.co.uk/media/2011/feb/04/murdoch-the-daily-aol?INTCMP=SRCH )
机上に置いたPCを開いてニュースサイトを読む体験と比較すると、タブレット型機器では利用者の滞在時間と閲読ページ数に大きな差がある。iPad用アプリの開発を手がけるタイガースパイク社のニック・ニューマン氏は、タブレットの利用者は「まるでネット・ゲームに熱中するかのように、平均で30−40分、サイト上の情報を読みふける」(英ニュースサイト「ペイドコンテンツ」2010年11月23日付)。同氏によれば、iPad上で読めるニュースサイトの画面の大部分は「まるでPDF文書そのまま」だ。利用者との相互のやり取りを含めた「使い心地」に対する「執念」が、創刊予定のデーリーと他紙サイトとの差になるのではないか、という。
―「YouView」開始へ
放送業界で最も注目される動きは、無料ネット・テレビのプラットフォーム・サービス「YouView(ユービュー)」の年内開始である。現在、BBCのほかには民放ITV,チャンネル4、チャンネル5、通信業界からはBT,TalkTalk、 Arqivaが参加している。視聴者はブロードバンド・インターネットに接続された「セットトップボックス」をテレビの上に備え付けて番組を視聴する。高品位画像設定や番組の途中での巻き戻しや録画もできる。有料・無料のオンデマンド番組の視聴ができる上に、インターネットのコンテンツにアクセスできる。
BBCはまた、番組の無料再視聴サービス「アイ・プレーヤー」の海外展開を決定した。まずは米国で有料サービスの一つとして今年から開始する。当初はiPadでの視聴のみ。――ここでもiPad、である。
英メディア界は、PCの前に座る利用者をもはや以前ほどには重要視していないようだ。家族や友人と一緒にあるいは一人で、じっくりとかつ楽しみながら、読んだり、見たり、遊んだりできるプラットホームとして、大画面のテレビ受信機とタブレット型携帯機器に向けたサービスの拡充化に力を入れている。(「NSK経営リポート」2011年冬号―新聞経営 World Wide−1に掲載分に補足。)
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