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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2011年03月01日01時31分掲載
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文化
佐渡島に復活する遍路旅 村上良太
佐渡島で島の住職らが手を携え、88箇所の寺を回る佐渡遍路旅を復活させる努力を行っている。かつて空海や日蓮が訪れた佐渡島は古来信仰が厚く、約6万人の住民に対し寺が250、神社が250と過密な信仰地帯だ。しかし、昭和に比べ島民が半減し、檀家不足から多くの寺が補修も満足にできない状態にある。貴重な島のインフラが宝の持ち腐れと化そうとしているのだ。そこで遍路旅の復活で島の信仰の再生を狙う。
遍路旅には「同行二人」という言葉があるそうだ。たとえ1人で歩いていても隣には空海が一緒に歩いているのだという。空海とともに修行し、新に生まれ変わるのである。佐渡で遍路旅が始まったのは延享2年(1745年)だ。交通網の発達していない当時、四国まで足を運べない地域の人々にとっては貴重な代替コースとなった。文化15年(1815年)には四国八十八箇所の砂が佐渡島の八十八の寺に奉納された。佐渡遍路旅は島の過疎化が始まる前の昭和初期まで行われていた。
今、その復活に賭ける中心人物の1人は弘仁寺の住職・日下敞啓(しょうけい)さん(43)。弘仁寺は空海が811年に創建した由緒ある寺で、日下さんは69代目の住職に当たる。以前、東京で建築設計業に携わっていたが、1995年に父親である先代住職が旧羽茂町長になったのをきっかけに、その翌年、幼い子供達と妻を連れて佐渡に戻った。先代が亡くなった後、住職に。佐渡に戻り収入は半減したが大自然の中で新しい生活が開けてきた。
日下さんが近くの寺を訪ねると、当時の遍路旅ゆかりのものが多数蔵にしまってあった。また寺には江戸時代に遍路旅をして寺を訪ねた人々の札が打ち付けられてある。風雪に耐えた文字もかろうじて読めるか読めないかだ。しかし、そこにはたしかに残っていた。農閑期の女性たちにとっては見聞を広める貴重な機会でもあり貴重な娯楽でもあった。かつては寺には旅人が泊まり、賑やかだった。
島に残された歴史に触れるうちに、遍路旅の復活と言う構想が日下さんに浮かんできた。もし遍路旅が再び普及すれば島に残る多くの寺も活用でき、後継者の育成につながるかもしれない。しかも、歩いて旅をすれば健康にもよい。
ウィキペディアによると、四国八十八箇所巡りでは推測だが年間およそ30万人が遍路旅を行っているという。その経験者の多くは第二第三の霊場めぐりをしたいという。そうした人々に佐渡にも来てもらえれば経済効果は大きく、寺の後継ぎも生まれるだろう・・。四国の遍路旅は総距離およそ1400キロだが、佐渡島の外周は220キロ。歩いても約10日のコースだ。遍路旅はグルメ・観光の旅と違い自分の心を見つめ直す旅である。だが、もちろん佐渡島にはうまい米も、うまい魚も、うまいおけさ柿もある。
■新倉山 弘仁寺
http://kouninji.jp/
村上良太
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