東日本大震災により福島第一原子力発電所が放射能漏れを起こしたことを受け、マレーシアの英字紙サンは、2021年から22年にかけて原発2基を稼働させることを計画しているマレーシア政府に、その計画を思いとどまるよう求める各方面からの投書を再三にわたって掲載してきたが、3月25日付号ではあらためて原発導入計画の再考を求める社説を掲載した。「原発への歩みの再考を」と題したその社説の要旨を紹介する。(クアラルンプール=和田等)
<3月11日に発生した未曽有の大地震と津波によってもたらされた福島原発の危機が長引いていることで、原発の安全性についての議論をあたらめたて白熱化させている。(中略) 24日には3号機で復旧作業にあたっていた作業員3人が被爆し、病院に運び込まれた。福島原発周辺の食料や水源は放射能に汚染され、マレーシアやオーストラリア、シンガポール、ロシアといった域内の複数の国が日本からの食品の検査をするか、輸入を禁止するといった措置をとっている。>
<予想通り、世界中の原発に反対するグループは、すかさずこの機会をとらえて将来計画されている原発の建設をとめようと圧力をかけている。こうした中でマレーシア人が自国での原発導入計画に躊躇するのを誰も非難できない。多くの人が、日本のように発展して技術的に進んだ国でさえ、危機を抑え込むのに四苦八苦しているのだから、どうしてマレーシアにこうした万が一の事態(偶発的事故)に対する備えができるのだろうかと主張する。 マレーシアで計画されている2基の原発導入計画は、閣議で見直しが必要かどうかを決定する前に首相府に報告書を提出するマレーシア原子力公社の手に委ねられている。数年前にマレーシアの原発導入計画が明らかにされると、これに懸念を表明するグループが安全性の面から問題提起するとともに、マレーシアに豊富にある太陽光と水力という2つの発電用のクリーンかつ再生可能なエネルギー源を十分に活用しきっていないのに、原発の導入に走る必要があるだろうかとの疑問を投げかけた。 これは原子力エネルギーに関する規定を管轄する当局に、福島原発の危機がより悪化するのを見守りながら神経質になっている国民に安全性に対する妥協はしないということや福島原発と同じようなシナリオにいたった際に対処できるだけの手段と専門技能、意志を持っていることを保証する義務を生じさせている。>
<それゆえ、私たちがマレーシアの原発導入計画を中止し、再審査し、再考するよう求めるのは不合理なことではないだろう。私たちには現在および将来の世代に対して、太陽光や水力ではなく原発使用への道を選ぶのが間違いなく確かであることを保証する義務がある。最も重要なのは、どんなに対価を払っても安全性を犠牲にしてはならないということである。>
また22日付の同紙には、「国家エネルギー政策の見直しを」と題するアジア太平洋知識人グループ・国境なき社会学者マレーシア支部による投書が掲載され、次のような主張が展開された。
<スイスやドイツ、イタリアといった国々は福島第一原発で起こったことにすばやい反応を示し、自国の原発の運転や原子炉の建設計画を見直すにいたった。 日本の体験(そして英国のウィンズケール(1957年)、米国のスリーマイル島での原発事故(1979年)、ウクライナのチェルノブイリ原発事故(1986年)といった、世界各地で起こった同様の事故)を鑑みるなら、私たちは政府に原発建設計画を撤回するよう求めたい。太陽光や風力発電といったより安全でクリーンなエネルギー源を利用するという実現可能な選択肢があるのだから。重要なのは、エネルギー効率を高めることとエネルギー消費を減らすことが原子力技術に頼ることよりもすぐれた選択肢になることである。こうした観点から、国家エネルギー政策を見直してほしい。>
<有能で技術に秀でた日本が完璧に安全な原子炉をつくれないのに、果たして私たちにできるのだろうか? 福島で起こったことは、原子炉が壊れて暴走すれば、私たちにはそこから放出されるものを制御できないということを思い起こさせてくれた。マレーシア人、とくに連邦政府は現在および将来の世代に対して原発の建設を中止する義務を負っている。地震には国境はないのだから。>
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