イランの音楽家によるペルシャ古典音楽のコンサートが4月24、26の両日、東京で開催される。東日本大震災の犠牲者への哀悼を表す新曲も披露、収益や会場での募金は被災者支援のために寄付される。コンサートを企画し、一緒に来日するのは、世界的に有名なチャイコフスキー記念モスクワ国立高等音楽院の世界音楽文化センター長マルガリータ・カラティギナさん。日本の琴にも造詣の深い彼女に、日本公演の意義や、西欧クラシック音楽を学んだロシアの音楽家が、なぜ邦楽を含めたユーラシアの音楽にひかれるのかなどについて、在モスクワ日本大使館の井出敬二公使が聞いた。
大震災の後、世界各地では義捐金を集めるためのコンサートなどの活動が活発に行われている。ここモスクワでも様々な活動が行われている。その中には、世界的に有名なチャイコフスキー記念モスクワ国立高等音楽院(以下「モスクワ音楽院」と略記)の関係者(教職員、学生、留学生ら)による活動も多くなされている。同音楽院においては、日本を含むアジアの多くの音楽家達が留学し、またロシア人学生達が日本やアジア諸地域の音楽を研究・演奏する活動も行っており、国際的な交流活動は盛んに行われている。 ロシア人が邦楽を含めたユーラシアの音楽にいかに関心を持っているかについて、また彼らが日本、中国、イランなどの音楽をどのようにみているのかについてこの小文で紹介したい。
ロシアではその歴史的背景から、ユーラシアの周辺地域の研究(ロシアの探検家が周辺諸国を研究した成果も含め)が蓄積されている。また多民族を抱えることから、これらの地域との文化的交流もなされてきた。そのような背景もあって、周辺地域の文化に対する強い関心が育まれ、学術的研究が蓄積されてきた。ロシア人が他の文化に対して示す旺盛な知的好奇心と強い関心には、いつも驚かされる。そのような文化的共感は、国際的な友情、連帯の強固な基礎となると痛感している。
筆者は1997年7月から2001年1月までロシアの日本大使館で広報文化を担当していたが、その当時から交流をしていた「モスクワ音楽院」国際活動プログラム部部長であり、邦楽アンサンブル「WAON(和音)」のリーダーであるマルガリータ・カラティギナ氏と、今回の勤務(2010年9月からモスクワ在勤中)で再会することができた。彼女には、2008年7月、音楽を通じた日本とロシアとの文化交流の促進への貢献に対して、外務大臣表彰がなされている。9年半ぶりに再会した彼女は、以前よりも迫力を増し、活動範囲も日本に加えて、中国、韓国、インド、イランに広げていた。
そしてイラン人の音楽家と協力して、大震災被災者支援のためのコンサートを4月に日本で開催することとしている(詳細は後述。本文末のコンサート資料参照)。
西欧クラシック音楽を学んだロシアの音楽家が、なぜ邦楽を含めたユーラシアの音楽にひかれるのか?邦楽を勉強し、演奏し、交流活動をしたところで、金銭的に報われることもなく、むしろ持ち出しである。それなのになぜ?筆者はこの点に改めて感嘆するとともに不思議にすら思っていた。
1 モスクワ音楽院でのアジアの音楽研究の歴史 カラティギナ氏は現在、モスクワ音楽院の世界音楽文化センターの長を務めている。このセンターの基礎は、作曲家であり音楽学者のジヴァニ・ミハイロフ教授(1938〜1995年)が創ったものである。モスクワ音楽院には、1976年から、世界の音楽の研究をするコースが創設されていたということである。
カラティギナ氏が筆者に述べたところでは、ソ連時代の1983年から85年にかけて、彼女と夫(ともに音楽家)はモンゴルに住んでいた。夫はソ連文化省から派遣されて、オペラの演出家として、モンゴルのオペラ劇場で働いていた。彼女は、そこでヨーロッパ・ロシアの音楽の強い影響下で、モンゴルの伝統音楽が顧みられず、正規の音楽教育の枠外にあり、そのためもあって多くのモンゴルの伝統音楽が廃れ、あるいは変容していったことをとても残念に思い、大いに心を痛めたという。
筆者もモンゴルの音楽は大好きだ。ある人によれば、日本の一部の伝統音楽との共通点もあるという。蒙古斑をともにもつ日本人とモンゴル人が、音楽の共通点があっても不思議ではないかもしれない。
カラティギナ氏によれば、ひるがえってみれば、ロシア民族本来の伝統音楽も、ロシアがキリスト教を受け入れ、ロシア正教会の強い影響の下で、廃れていったということである。日本人も好きなチャイコフスキー、ラフマニノフなどのロシアの作曲家達が、多少は、ロシア民族本来の音楽を反映させているとしても、それは結局は19世紀の西欧音楽にのっとられたものであり、ロシア民族本来の音楽ではない、とカラティギナ氏は述べる。ではロシア民族本来の音楽は完全になくなり、もはやとっかかりは無いのだろうか?カラティギナ氏はこのような疑問を投げかける。
1993年3月、ソ連崩壊から間もない時に、日本の琴の演奏家である岩堀敬子氏がモスクワを訪問し、演奏会を行った。彼女は日本の著名な作曲家であり、演奏家の澤井忠夫氏の弟子である。岩堀氏が訪露した経緯について、中日新聞の長谷義隆氏が以下のように報じている(注1)。 「旧ソ連崩壊後の混乱のただ中にあったロシアの人々を勇気づけようと、韓国の民族舞踊、中国の伝統音楽演奏家たちと訪露、『春の海』などを演奏した。」
カラティギナ氏らは1980年代後半にも日本の琴の演奏を聴いたことがあったということだが、岩堀氏の演奏を聞いて感激しすぐに琴を習いたいと願い出た。そして岩堀氏の快諾を得、ここにモスクワ音楽院に邦楽クラスが誕生することとなった。翌94年岩堀氏が再度モスクワを訪問し、カラティギナ氏らに琴を教え、また琴を寄贈した。その後邦楽を特訓をしたロシア人音楽家達により、96年10月26日にはモスクワ音楽院のラフマニノフ・ホールで大きなコンサートが組織された。この日にカラティギナ氏が率いる邦楽アンサンブル「WAON(和音)」も発足した。
「日本の心」と題する邦楽を紹介するフェスティバルは1999年から行われ、在ロシア日本大使館も応援してきている。「WAON」のレパートリーは17世紀から19世紀の日本の古典音楽が中心だが、宮城道雄や澤井忠夫などの現代日本人作曲家の作品も演奏している。「WAON」に参加するロシア人演奏家達は常時10名を超える規模となっている。彼らは琴、三味線、尺八、太鼓などに演奏の幅を広げている。岩堀氏が属する澤井箏曲院のプロ資格「講師」「師範」を有するロシア人は、カラティギナ氏を含め現在4名いる(注1)。これまで岩堀氏以外に、箏曲の富成清女氏、富緒清律氏、尺八の石垣征山氏、また若手人気グループ「ヒデヒデ」など多数の邦楽家が訪露されて、交流をされている。
モスクワ音楽院「世界音楽文化センター」では、邦楽以外に、インド、アラブ、中国、トルコの伝統音楽の研究もなされている。
なお、ロシアには、モスクワ音楽院の他に、国立ノヴォシビルスク音楽院にも日本音楽のアンサンブルがあるとのことである。
2 何故邦楽を? カラティギナ氏が邦楽をやる理由は何か?カラティギナ氏はインタビューで次のように述べている(注2)。 「最初私が好きだったのはアメリカのブルースとジャズで、それをやることになるのだろうと思っていたわ。」 「モスクワには、とても長い間、どんな日本音楽の音もなかった。70年代にやっと、日本の音楽家や音楽学者が少人数、来始めたのです。1993年、私とロシアにとって決定的な出来事がありました。それは我々のところに、琴の演奏家の岩堀敬子さんが来たこと。」 「琴をひいている時、30分弾くと、全ての力が戻ってくるの。私はそんな風にして、一日の仕事を始めているのよ。職場で琴を15分間弾くこと、これが私を一日中良い調子にしてくれるの。どうも私の肉体がそれを必要としているみたい。」 「それは私にとっては音での癒しだけではないから。琴を弾くことは、文字どおり、私の身体の全ての構成要素を必要な状態に整えるのです。3,40分の演奏で、自分が蘇るのを感じます。私は楽器のように調律されるのね。おそらく、琴のビブラートが私の心のビブラートだけじゃなく、身体や振動の内的リズムは細胞の脈動のビブラートに合っているんでしょう。」 「もしかしたら、私のDNAには、似たような音の振動で調子を整えていた先祖、ウラルのコサックから伝わった記号が記録されているのかもしれないわね。」
「和音」のメンバーの一人であり、琴の演奏家のナターリヤ・ゴルビンスカヤ氏は、「ロシアに日本音楽アンサンブルが生まれたのは、岩堀先生の献身的な働き、日本音楽への愛情、人間的な魅力のおかげです」とインタビューで語っている。筆者も岩堀敬子氏を存じ上げているが、大変きさくでオープンなお人柄で、外国の人も魅了するすばらしい方である。邦楽がロシア人の感覚にマッチしたこと、またこのような偶然の人間的な出会いもあって、モスクワで邦楽が受け入れられ根付くことになったのだと思う。 恥ずかしいことながら、筆者も、モスクワで日本の邦楽のプロによる演奏を聴くまでは、お琴、尺八のすばらしさをよく知らなかった。モスクワ音楽院の国際交流活動に感謝しているところである。
(注1)『ロシアに渡った邦楽』「中日新聞」2005年12月6日、13日、20日掲載記事) (注2)ガリーナ・ドトキナ氏によるカラティギナ氏へのインタビュー、「日本とユーラシア」2006年2月15日号
ユナ・ジャパン「ペルシャ古典音楽コンサート」資料。
http://www.yuna-japan.jp/en/content/99.htm
http://www.yuna-japan.jp/en/content/98.htm
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