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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2011年04月20日14時42分掲載
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東日本大震災
亘理町で被災地の現状を見る ボランティアを迎える町民ボランティアに地域の力を見た 安藤丈将
亘理町は、宮城県内部、阿武隈川の河口に位置している。仙台の中心部から常磐自動車道を使って車で1時間の場所にあるこの町は、人口約3万4千人、イチゴの栽培が盛んな農村地帯である。4月17日、私は、友人たちと一緒に、東京から車でこの町にやって来て、ボランティアをした。宮城県沿岸部の他の都市と同じように、亘理町の津波の被害も甚大である。津波によって海と川から水があふれ出て、多くの地域住民の生活を一瞬のうちに破壊した。海沿いの地域の被害はとくにひどく、行政も未だに手をつけられずにいる。荒浜港の近くにある漁業組合の施設はひどいダメージを受け、トタン屋根の一部がはがれて、強風に吹かれて、「ドン、ドン」とけたたましい音を響かせていた。海沿いを走る常磐自動車道が防波堤の役目を果たしたため、その陸側の被害は、比較的小さかった。この高速道路の海側と陸側との間のコントラストは、津波の被害の残酷さを鮮やかに映し出していた。
私たちがボランティアに入ったのは、高齢の女性が一人で住んでいた家屋であった。津波は彼女の2階建ての家の一階にまで押し寄せ、部屋という部屋を水浸しにしていった。亘理町は、私たちの訪問の1週間前からボランティアを広く受け付けており、彼女の家にもボランティアが数回入っていたため、濡れた家具や泥は、すでにかき出されていた。私たちは、同じボランティアの班に入った栃木県の宇都宮からやって来たきょうだいと一緒に、この家の掃除に取りかかった。
家具や泥が取り除かれていたとはいえ、泥まみれになった家を掃除するのは、簡単なことではなかった。床や壁のすき間に泥やごみがはさまっていて、それをたわしや歯ブラシを使ってきれいにするのが、私の主な仕事であった。家主の女性は、仙台に滞在しており、持病の治療で病院へ行った後に家にやって来た。彼女は、せめてもの気持ちと言って、スーパーで買ってきた食べ物を私たちに配ってくれた。彼女の親切に触れながら、私たちは必死に家を掃除した。
もし津波がなければ、亘理町の農家は、GW頃に田植えをするはずであった。今頃は、その準備で、田んぼに水が張られている頃だったろう。しかし今年、田んぼには水がほとんどなく、砂や泥、さらには津波が運んできた家財道具や車、折れた木で溢れていた。津波による農業への被害は、途方もなく大きい。海水で塩分含有量の上がってしまった土地は、また農産物を作り出せるようになるまで、いったいどれくらいの時間がかかるのであろうか。荒れ果てた田んぼを見ながら、そんなことを考えた。
こうした厳しい状況の中で、最近政府が組織した復興構想会議は、津波の被害にあった農地を再編して、大規模農業型に変えていくという構想を出している。東北地方の小規模農家は、長い時間かけて自分たちの農地を作り上げ、自立して経営を行ってきた。この農地を一瞬のうちに失った農民には、復興構想会議の提案が、現実的なものに感じられるかもしれない。他方で、この復興構想会議の提案は、地域の農業の主体を小農民から企業へとシフトさせていく結果を招くであろう。被災した農家がこの提案に抗し、荒れ果てた土を耕してタネを撒き、地域コミュニティを軸にした農業を復興させていく可能性があるのだろうか。農地が壊滅的な状態にある現状では、私はこの可能性に関して悲観的にならざるを得ない。
しかしながら、亘理町では、地域の自立的な動きの萌芽も見て取ることができた。町のボランティアセンターには、年齢や性別を問わず、多数の町民がスタッフとして加わり、全国各地から集まって来たボランティアを迎えていた。私には、ボランティアのために一生懸命におしるこを作っていた男性スタッフの姿が印象に残っている。こうした亘理町のホスピタリティから、地域コミュニティの力を基盤にした復興の可能性を感じさせられた。亘理町を始めとする被災地が地域の力を取り戻そうと苦闘している時に、私にはどのようなお手伝いができるのだろうか。今後も体を動かしながら、このことを考えていきたいと思う。
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津波に襲われた町、まだなにも手がつかない。
荒れ果てた田んぼ。例年なら田植え準備で忙しい。
各地からボランティアセンターに集まる
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