「ここは陸の孤島だよ」。福島県田村郡三春町にある西部アグリの事務所で、JAたむらの農協職員は、私を含む首都圏から来た三人に向かって、こう語った。実際には三春町は、「陸の孤島」ではない。もちろん地震の被害は大きいし、余震も続いている。しかし人は行き交っているし、物資も入って来ているし、東京と同じようにたいていの物を買うことができる。彼が使った「陸の孤島」という言葉は、こうした物理的な状況というよりも、むしろ地元住民が抱える精神的な孤立感を示していた。
◆三春の春
原発事故以降、三春町を始めとする福島県の住民に精神的な孤立感を抱かせるようなエピソードには事欠かない。トラックのドライバーが被ばくを恐れて引き返したため、支援物資が届かなかった。タクシー運転手が福島県に入るのを嫌がり、乗車拒否した。福島県からの避難民が、宿泊施設で受け入れ拒否された。大手食品メーカーが、福島県産加工用トマトの契約を見送った。福島から避難してきた住民が、放射能スクリーニング検査を求められた。このようなエピソードは、福島県の住民の心に深い傷を刻み込み、「陸の孤島」という言葉に象徴的に示されるような孤立感を生み出してきた。
こうした地元住民の孤立感を少しでも和らげてもらおうと、4月23日、福島と東京のNPOと有志、さらには地元の住民が主催して、三春町で滝桜花見まつりが開かれた。人口1万8千人の三春町は、桜の名所で知られている。毎年春には、日本三大桜の一つである、滝桜と呼ばれる樹齢1000年以上の一本木を見るために、全国から30万人の観光客がやって来る。しかしながら、福島第一原発から西へ45kmに位置するこの町は、原発事故の影響を考慮して、今年は花見に観桜料をとったり、ライトアップしたりすることを中止した。それでも数多くの見物客が桜を見にやって来ており、昼時の駐車場は車でいっぱいになっていた(地元の方の話では、例年の混雑は、こんなものではないそうである)。「三春」という地名は、桜、梅、桃の三つの花が一斉に咲くことに由来している。残念ながら、桃の花を見ることはできなかったが、梅と桜の美しさは、見物客を楽しませるに十分なものであった。
こうした花の美しさとは対照的に、三春町にも福島原発事故の影響を見て取ることができる。三春町には、避難命令が出された富岡町などから約400名が避難してきている。花見まつりの会場になった三春町の自然観察ステーションには、つい最近まで避難民が暮らしていた。避難民は、現在、ステーションの向かい側に立っている三春の里田園生活館近くの建物に引っ越した。彼らの中には、三春町への定住を希望する者もいるという。花見祭りの冒頭でスピーチをした三春町長は、避難民を三春の住民と同じように迎えたいと発言した。こうした町長の心遣いにもかかわらず、仕事や住居をどうするのかといった問題は山積したままである。
◆農民
原発事故の被害は、とりわけ農家の肩に重くのしかかっている。震災後しばらくして、福島県須賀川市の農民が自殺した。彼は、有機栽培にこだわって、30年以上も自分の畑の改良を重ね、地元の小学校の給食に使うキャベツをおろしていた。http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103280468.html
原発事故による放射能汚染の影響で、3月下旬には葉物野菜を中心に福島県全体に農産物の出荷制限がかかった。もともと三春町では、葉たばこや養蚕業が盛んであった。最近ではこれらの生産は減少し、花や野菜作りにシフトする農家が増えていた。出荷制限は、伝統的なたばこの生産にも、野菜の生産にも大きな打撃を与えた。
農作物の出荷制限によって、多くの農民は不安に苛まれている。地元の農家の方は、滝桜祭りで元気な三春町をアピールしようとしても、観光客に売る物がないという悩みを私たちに語った。農家は、出荷制限の対象になってしまった農産物の処分に頭を悩ませている。土壌を放射能で汚染してしまうため、肥やしにすることもできない。さらに農家が頭を抱えているのは、風評被害である。出荷制限外の農産物も、流通過程では福島産というだけで取引を拒まれたり、通常よりもはるかに低い価格で取引されたりしている。政府は、原発事故で被害を受けた農家に対して補償することを明言している。しかし補償の範囲がどこまでに及ぶのかは、定かではない。とくに風評被害がどの程度保障されるのかは、わからないままである。
冒頭に紹介した農協職員は、市や県の職員、農協関係者、農民たちが対策を話し合っているが、「答えをもっていない、責任をとれない者同士が会話している」のが現状と語った。親戚に野菜を送っても、送り返されたりするのではないか。野菜や稲の種まきをしたとして、作物を収穫する時期に果たして出荷制限が取れているのか、風評被害が一段落しているのか。昼の花見の後、夜に郡山で開かれた交流会に参加した地元の農民は、このように不安な気持ちを語った。彼の話によれば、とくにインターネット販売の顧客は、原発事故以降、すぐに離れてしまう場合が多かったという。
◆「顔の見える関係」って何だろう
生産者と消費者との間の顔の見える関係。風評被害をめぐる現状は、今ではありふれたものになったこの言葉の意味を、もう一度考える必要性を痛感させる。インターネット販売は、時に生産者の利益になることもある。それは口コミでは考えられないスピードで、その商品の販路を拡大する。そして消費者は、ウェブに付記された生産者の情報を得ることができる。しかし生産者は、消費者のことを十分に知らない。実は一方的なこの関係は、今回の放射能汚染のような事態が起こった時に、消費者がネット上で別な生産者を選ぶことの歯止めにはならない。風評被害をめぐる事態は、このことを明らかにした。
福島の農家の気持ちをもっともよく理解しているのは、実は他の地域の農民なのかもしれない。私は郡山で開かれた夜の交流会の場で、こう痛感させられた。山形県の置賜地方からやって来た農民は、自分自身の種まきの準備で忙しいはずのこの時期に福島へやって来た理由をこう語った。「自分は農民だから、毎年春には種をまく。だから種をまくことのできない農民の辛さが、痛いほどわかる。それが今日、ここに来た理由である」。入浴を終え、宿の浴衣を着て、くつろいだ格好にもかかわらず、力強いまなざしでこの言葉を語った彼の姿は、私の心に強烈な印象を与えた。
困難な中で種をまくことを模索する農民の姿は、冒頭の農協職員が使っていた「生産者としての責任感」という言葉を私に思い出させた。昼の花見まつりには、福島第一原発近くの双葉町から避難していた農民が参加していた。10町歩を超える土地を持ち、「食味分析鑑定コンクール」で特別優秀賞をとったこともある米作農家の彼は、原発事故で自分の土地が放射能で汚染され、津波で妻と孫が行方不明のままだそうである。 彼は、地域の水管理の責任者を務めている。とりわけ農作業の時期に、この仕事の責任は重大である。彼は、自分の地区の田畑に水が溢れていないか気になるので、戻ってチェックしたいと私に語った。この厳しい状況になっても、農民としての、生産者としての責任感を見て取ることができる。
こうした話を聞きながら、首都圏から来た非農家の私は、自分が農民たちの責任感にどう応えるべきなのかを考えさせられた。もう多くの人が知るところになったように、福島原発で生産されている電力は、首都圏に送られている。福島の人びとの孤立感は、首都圏の人びとにとって、他人事ではない。首都圏から来た花見まつりの参加者の中には、意見交換の時間にこの点を強調している者が多かった。
◆恐怖感と孤立感のはざまで
花見まつりの当日は、あいにくの雨であった。準備のために前日から三春入りしていた私は、レインコートを着て、東京からやって来た参加者を迎えた。雨が降ったということもあって、正直なところ、放射能汚染への不安が消えなかった。花見まつりの参加者の一人が自ら持ち込んだ本格的なガイガーカウンターで測定したところ、三春の放射能汚染は、都心並みであったので、実際にはそんなに神経質になる必要はなかった。そもそも来る前に、地元の人が日々生活しているのに、放射能が怖いみたいなことは言えないと心に決めたはずだった。それでも、不安な気持ちを払しょくできなかった。
一方の極に福島の人びとの孤立感に対する責任があり、他方の極には放射能汚染への恐れがある。別に福島原発へ物理的に近づくことだけが、福島の農家の気持ちに向き合う方法ではないだろう。両方の極の間を揺れ動きながら、どこに自分の位置を定めるのかは、各自に委ねられている。もし原発事故と風評被害に悩む福島の人びととつながりたいという気持ちがあるならば、それぞれのやり方でその気持ちを表現すればよいと思う。しかし冒頭の言葉に示されるような農家の孤立感に思いを寄せることなくして、私自身の立ち位置を決めることはできない。ちょっと大げさな言い方かもしれないが、三春町への訪問を通して、私はそう感じた。
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