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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2011年05月01日07時27分掲載
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文化
【演歌シリーズ(15) 番外篇】 福島第一原発惨事と反核日本映画 ―黒澤明監督『生きもの記録』ほか― 佐藤禀一
ドキュメンタリーでは、広島・長崎での被爆者の苦しみを描いた亀井文夫監督の『生きていてよかった』(1956年)がある。反核劇映画第1号は、『ゴジラ』(54年 監・本多猪四郎 特撮監督・円谷英二 出・志村喬 河内桃子 平田昭彦)であろう。相次ぐ水爆実験で、太古の眠りから目覚めた怪獣ゴジラ、邪悪な存在で口から放射線を吐き出し、東京を焦土に…。 『第五福竜丸』(59年 監・新藤兼人 出・宇野重吉 乙羽信子)54年3月1日午前3時42分、米国ビキニ環礁で水爆実験。その時、マグロ漁に出ていた「第五福竜丸」は、出入禁止区域外にいたのに、船員達は、暗闇を裂き天に立ちのぼる火柱を見た。そして、死の灰を浴びる。
◆数々の映像があった
『原子力戦争LOST LOVE』(78年 作・田原総一郎 監・黒木和雄 出・原田芳雄 風吹ジュン)失踪した情婦を探しに原発の町にやって来たヤクザが、知らぬ間に原発事故をめぐる汚職に巻き込まれてしまう。
『太陽を盗んだ男』(79年 監・長谷川和彦 出・沢田研二 菅原文太 池上季実子)中学校教師が、東海村原発からプルトニウムを強奪。自宅で小型原爆を製造。それをちらつかせ、TV野球中継を試合終了まで見せろの、ローリング・ストーンズ日本公演を実現させろのと様々な要求を政府に突きつける…。
『黒い雨』(89年 作・井伏鱒二 監・今村昌平 出・田中好子 市原悦子 小沢昭一)45年8月6日 瀬戸内海に浮かぶ小さな船の中で、一人の若い女が、目もくらむような閃光を見た。晴れた空がたちまち暗くなり、黒い雨が降った。若い女は、黒い雨でずぶ濡れになる。後に、梳るたびに彼女の髪の毛がゴソリと抜け落ちる…。
『鏡の女たち』(2002年 監・吉田喜重 出・岡田茉莉子 田中好子 一色紗英)24年前子どもを生んだまま失踪した娘を探す母、その娘の母子手帳を持っている記憶喪失した女、母を知らぬまま祖母から娘として育てられた孫娘が二十数年ぶりに再会。三世代で記憶をとりもどすため、かつて暮らした広島へ向かう。原爆をテーマにしながら爆発を映像化せず闇で表現、爆発を観客の想像力に委ねた。
広島を舞台にした日仏合作『二十四時間の情事』(59年 監・A・レネ)や外国映画の『渚にて』(59年 監・S・クレイマー)『博士の異常な愛情』(63年 監・S・キューブリック)『チャイナ・シンドローム』(79年 監・J・ブリッジス)などには、触れない。作品の良し悪しに感想もしない。見た邦画だけを紹介した。
そして、黒澤明監督の『生きものの記録』(55年 出・三船敏郎 根岸明美 三好栄子)を忘れるわけにはいかない。老いた町工場の主(三船が好演)が、ある日突然、工場を畳んでブラジルに移民すると言いだすのである。家族を含め工場で生計を立てている人々は、猛反対、てんやわんやの大騒ぎになる。何故、南米移民なのか。原水爆実験によって飛散された放射能に恐怖し、地球上で一番安全なのは、南米だと言うのだ。反対を押し切るには、工場をなくすしかないと考えた老工場主は、ついに、工場に火を放つのである。病院に閉じ込められた主人公は、鉄格子のはまった窓から、落日を指さし「地球が燃えとる!!」と夕陽をカッと浴びながら叫びつづける。「燃えとる!! とうとう地球が燃えてしまった!!」衝撃的なラスト・シーンだ。
『八月の狂詩曲<ラプソディー>』(91年 出・村瀬幸子 吉岡秀隆)長崎で原爆に合い被曝したおばあちゃん。その記憶を夏休みでやって来た孫たちに伝える。ある日、稲光に身を震わせたおばあちゃんが「ピカじゃ、ピカじゃ!!」と叫んで暴風雨の中、傘をさして外に飛び出す。傘が風雨でおちょぼになっても走る。この映像に「わらべは見たり 野中の」児童合唱による『野バラ』の歌声が重なる。印象深いシーンだ。
オムニバス作品『夢』(90年)の第七話『鬼哭』は、核戦争後の荒涼とした風景をさまよい鬼が泣き、第六話『赤富士』では、原発が爆発し富士山まで燃えてしまう。放射能漏れを隠しつづける電力会社のウソを暴くためストロンチウムは、赤というように色を付けさせる。原発暴発によって、様々な色の放射線が風に散り、人々は、戦き風上の海に向かい、つぎつぎと水死していく。
◆福島第一原発の核惨事
「核は、人間の手に負えません。手に負えないものをいじってはいけません」黒澤監督の言葉だ。すごくわかりやすく、しかも真実をついている。放射能は、生命とは相入れない物質なのだ。どうしてもいじると言うのであれば、<絶対安全>が求められる。
電力会社も政府も、原発は、何重にも安全の仕組みを施しているから大丈夫と言って来た。しかし、原発は、この仕組みをかいくぐって事故を起こしつづけて来た。原発の歴史は、事故の歴史でもあったのである。その喫緊は、「柏崎原発」の事故である。中越地震の直撃で三号機そばの変圧器が燃えた。自動消火システムが作動しなかった。電気系統が働かなかったのである。化学消防車もなく、消火栓も整備されていなかった。加えて、燃料貯蔵プールの冷却水が飛び散り、海を汚した。
今回の福島第一原発の事故は、こうした事故の教訓、映画や文学の警告が、まるで生かされていない。何故か。お金がかかるからである。
原発“絶対安全”の要は、電気系統のコントロールである。東日本大震災の大津波は、それを破壊し、バック・アップすべきディーゼル・エンジンまでぶち壊してしまった。その原因は、津波の規模が“想定外”であったと。しかし、「容易に想像できた」と東大理学部のロバート・ゲラー教授が指摘している。ほかの地質学者も、869年陸奥国大地震“貞観(じょうがん)津波”“明治三陸津波”が、今回と同じレベルであったとシュミレーションしている。まさに、想定範囲内なのである。これにも目を塞いだ。いのちを無視した経済優先の人災としか言えない。一方で「オール電化」などで電力需要の拡大、地球温暖化から守る「クリーン・エネルギー」だとして、<原発社会>体制を築いて来たのである。あまつさえ、民主党政府は、日本経済の救世主だとばかりに、原発輸出に奔走した。
原発は、稼働を停止させてからの方が危険なのだ。エネルギーが収まるまで冷やしつづけなければならない。電気系統は、その命綱だ。それが“想定外”津波によって非常用電源までぶっ飛んでしまったのだ。
最悪の事態は、東電と協力会社の社員、消防士、自衛隊の決死の作業によって免れている。原発は、いらない。余震に揺れながらVTRで『生きものの記録』を見ながら思ったことである。
(さとう・りんいち、福島市在住、作家)
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