米CNNの看板トーク番組「ラリー・キング・ライブ」が昨年末で終了し、その後を引き継いだ新番組のホスト役に抜擢されたのは、英国人で元デイリー・ミラー紙の編集長ピアス・モーガンであった。モーガンは、英兵らによるイラク人への「虐待」写真問題で、同紙を解雇された過去を持っている。一体どのようにして、米国テレビ界のスター番組を担うところまで上り詰めたのだろう。モーガンの人気の秘密を、「英国ニュース・ダイジェスト」最新号にまとめてみた。以下はそれに補足したものである。(ロンドン=小林恭子)
―モーガンのこれまで
25年間続いた米CNNの看板トーク番組「ラリー・キング・ライブ」の代わりとして、今年から始まった「ピアス・モーガン・ツナイト」の司会者であるピアス・モーガンのこれまでを振り返ってみる。
―28歳で日曜大衆紙の編集長に
モーガンの幸運は、メディア王といわれるルパート・マードックにその存在を知られたことだった。学業を終えてロンドンの数紙の記者をしていたところ、マードック傘下の大衆紙サンに引き抜かれ、ゴシップ・コラムを担当した。このコラムを通じて芸能界のみならならず幅広い人脈網を築き上げたモーガンは、マードックの一声で、同じく同氏傘下の日曜大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドの編集長に、28歳にして抜擢された。
しかし、日刊紙の編集長を夢見たモーガンは、1995年、ニューズ社のライバルとなるミラー・グループ発行の大衆紙デイリー・ミラーの編集長に鞍替えした。約10年に渡り、同紙の編集長としてダイアナ元皇太子妃やブレア首相(当時)を含む著名人、政治家などと頻ぱんに食事やお茶をともにし、人脈網を拡大させた。
2004年、イラクのアブグレイブ刑務所での米兵らによるイラク人拘束者への虐待写真が暴露された。モーガンは、頭部に袋をかぶせられた数人のイラク人拘束者に英兵らが放尿するなどの虐待写真を1面に掲載した。衝撃的な写真はミラーの部数を伸ばしたが、この写真が偽物である疑惑が発生した。本物ではないとする見方が確定すると、モーガンは編集室から護衛付きで追い出され、解雇処分となった。
―カムバックへ
モーガンの評判は地に落ちた。2005年、著名人との交流が興味深い、編集長時代の日記を元にした自著「ザ・インサイダー」が出版されると、「有名人好きの実態のない奴」「傲慢」というイメージがさらに強化された。
その後、モーガンは政治家や著名人から思いがけない一言を引き出す人物として知られるようになった。2008年、雑誌「GQ」用のインタビューで、自由民主党党首ニック・クレッグの口から「30人ほどの女性と寝た」という文句を引き出した。2010年2月にはITVの番組の中でブラウン首相(当時)をインタビューし、首相が生後まもなく亡くなったジェニファーを思って涙する場面を作った。
2006年ごろからはテレビ界に進出し、タレント発掘番組の制作者で友人のサイモン・コーウェルの口利きで、「アメリカズ・ガット・タレント」の審査員役になった。「コーウェルが友人だった」−ここに、モーガンの成功の秘密があった。その後は次第にテレビ出演の機会を増やし、米国テレビ界の重要人物になるべく、歩を進めた。
―人懐っこさと真剣さ
モーガンの魅力は、下世話な話題へのあきることのない関心と普通であれば失礼と思われるような話題を相手に聞いても、決していやな気持ちを与えない、天然のソフトさであろう。今年1月から始まった「ピアス・モーガン・ツナイト」で、モーガンはコンドリーザ・ライス元国務長官に「あなたを誘惑するにはどうしたらいいですか」と聞いている。怒るどころか、ライスはこれに嬉々として答えた。
「なんだか憎めない奴」として出演者がモーガンを許してしまうのは、モーガンの人懐っこさやその童顔の笑顔が効いているせいもあるだろう。
その一方で、モーガンは時には「厳しい質問を放つジャーナリスト」という面も見せる。米軍によるオサマ・ビンラディン殺害の是非を映画監督マイケル・ムーアに聞く中で、ムーアが「オバマ米大統領の決断を支持する」、「オバマは言行が一致している」と話すと、「でもキューバの米グアンタナモ基地をオバマは閉鎖するといっておきながら、まだ閉鎖してないではないか」と切り返した。
ムーアのインタビューの一部:http://piersmorgan.blogs.cnn.com/2011/05/06/clips-from-last-night-michael-moore-on-bin-ladens-death-republican-party-focus/ 窮地を一瞬にして自分の利にする手際も抜群だ。米俳優チャーリー・シーンが番組に出演することになっていたある日、シーンは放送の打ち合わせに姿を見せず、番組が成立しない危機に見舞われた。オンエア5分前にシーンが放送局に入ると、モーガンはツイッターで「今、シーンがやってきました。この後、すぐ生中継です」と打った。このたった5分で、約50万人が番組にチャンネルを合わせたという。
独自に作り上げた人脈網、著名人・有名人を取材対象として限定していること、持ち前のソフトさ、そしてこれに相反するようなジャーナリスティックな視点―そんな複数の要素を内包するモーガンは、これまでにいくつもの人生の浮き沈みを乗り越えてきた。本国英国よりも米国でもっと著名になる可能性もあるだろう。
―経歴
左派系大衆紙デイリー・ミラーの元編集長で、今年1月から米CNNの新トーク番組「ピアス・モーガン・ツナイト」の司会者、ジャーナリスト。熱心なツイート利用者(@piersmorgan)でもある。1965年、英南部サリー州ギルフォード生まれの46歳。幼少時に父を亡くし、再婚した母と3人の兄弟とともに育つ。ハーロー・カレッジでジャーナリズムを勉強後、ロンドンの複数の地元紙に原稿を書く記者となる。大衆紙サンに転職し、ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙の、そしてデイリー・ミラーの編集長に就任。2004年、ミラーを解任されてからは、月刊誌「GQ」でコラムを執筆するほか、テレビ界に本格的に進出。著名人とのランチの逸話などが入った「ザ・インサイダー」(2005年)など、著書多数。2010年、デイリー・テレグラフの記者シリア・ウォルデンさんと再婚。先妻との間に3人の息子をもうけた。クリケットが大好き。サッカーはアーセナルのファン。
―モーガンの人生の浮き沈み年表
1965年:誕生。幸福のスタート? 1987年:地元紙の新聞記者として取材に専念 1989年:サン紙の編集長ケルビン・マッケンジーに「才能」を見込まれ、芸能ゴシップ・コラム「ビザーレ」担当として引き抜かれる 1994年:メディア大手ニューズ社の最高経営責任者ルパート・マードックに気に入られ、28歳にしてニューズ・オブ・ザ・ワールド紙の編集長に就任 1995年:デイリー・ミラーの編集長に就任 2000年:IT企業ビグレン社の株購入にインサイダー取引の疑惑が発生。この件で部下二人が解雇された。 2002年:9・11米国中枢大規模テロの優れた報道で、ミラーが最優秀新聞賞を取る 2003年:BBCのドキュメンタリー番組に出演 2004年:英兵らがイラク人らを虐待する写真を掲載。偽装写真と判明し、編集長職を解任される 同年:チャンネル4の番組で司会役を務める 2006年:米国のタレント発掘番組「アメリカズ・ガット・タレント」の審査員に 2007年:本家英国の「ブリテンズ・ガット・タレント」(ITV)の審査員に 2008年:米著名人版の「アメリカズ・ガット・タレント」で勝利者に 2009年:世界各地を訪れる旅のドキュメンタリー「ピアス・モーガン・オン・・・」(ITV)が人気に。 同年:著名人の人生を振り返る「ライフ・ストーりーズ」(ITV)開始 2010年9月:米CNNの「ラリー・キング・ライブ」が翌年から「ピアス・モーガン・ツナイト」に引き継がれると発表 2011年1月:「ピアス・モーガン・ツナイト」開始
―関連キーワード
Daily Mirror:デイリー・ミラー。1903年創刊の大衆紙。英国で元祖新聞王といわれるアルフレッド・ハームズワース(後のノースクリフ卿)が、女性が作る女性のための新聞として創刊した。当初部数が伸び悩んだ。1904年、全員が女性だった編集陣は解雇され、男性編集長ハミルトン・ファイフェの下に、写真を中心にした紙面に変えて再出発。第2次大戦中、兵士や国民の思いを汲み取る新聞として部数を大きく伸ばした。1940年代末から11960年代半ばが人気の頂点で、500万部の部数を誇った。その後はセックスとゴシップを前面に出したライバル紙サンの攻勢に、大衆紙トップの座を奪われた。左派系ミラーは労働党を一貫して支持する。現編集長はピアス・モーガンの後を継いだリチャード・ウォレス。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
*「英国ニュース・ダイジェスト」最新号(http://www.news-digest.co.uk/news/index.php )
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