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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2011年06月20日11時27分掲載
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イスラエル/パレスチナ
「パレスチナ国家宣言を国連で」 駐日パレスチナ大使ワリード.シアムが語る 文:平田伊都子 写真:川名生十
2011年5月19日、アメリカ大統領オバマが米国務省での「中東と北アフリカ」と題した演説の中で、アッと驚く発言をした。「1967年(第三次中東戦争以前)の国境線が基本」と明言した。 オバマが言う<1967年の国境線>とは、第三次中東戦争でパレスチナ側に勝利したイスラエルが占領地を拡大する以前のイスラエルとパレスチナとの国境線を指す。
国境線は戦争終結後に国連安保理決議242が定めた。 それによると戦勝国イスラエルが奪ったヨルダン川西岸とガザとゴラン高原などは不法な占領地と見なされ、当然、イスラエルはパレスチナ側に返還しなければならない。 が、イスラエルは国連安保理決議を無視して当該地を不法占領し続け、ようやくパレスチナ暫定自治政府の成立後にヨルダン川西岸の一部とガザを返還した。 しかし現在も一部を占領し、ヨルダン川西岸などにイスラエルの入植地建設を続けている。 オバマはイスラエルの入植地建設を非難してきた。
◆イスラエル首相ネタニヤフ
予告なしのオバマ<1967年の国境線>発言に、訪米中のイスラエル首相ネタニヤフは激怒した。 翌5月20日、オバマとの首脳会談の席で、ネタニヤフは断固として<1967年の国境線>提案に反対した。 これまでのアメリカ大統領はイスラエルを無条件で支援してきた。 仮に国連安保理で、イスラエルの非人道的で残虐な武力行為に対する非難が提案されても、アメリカは常任理事五カ国だけが持つ拒否権を使ってイスラエルの犯罪を庇ってきた。 <小癪な新米大統領めが、、>とばかり、ネタニヤフはアメリカの強力なユダヤ人協会にオバマ発言の修正を促した。 そして5月24日、ネタニヤフはアメリカ上下両院本会議での演説で、「イスラエルは1967年戦争前の国境線に戻らない」と宣言し、アメリカ国会議員全部が立ち上がり大喝采をした。 アメリカはイスラエルの支援者であることを明確に示した象徴的なシーンである。 アメリカがイスラエルのスポンサーではなく、逆にイスラエルがアメリカを牛耳り上納金を納めさせている実態を世界に知らしめた。 そしてオバマは5月22日に「私の演説が意味するのは、双方(イスラエルとパレスチナ)が1967年以前とは異なる国境を交渉するということなのだ」と言い訳をする羽目になった。 「イスラエルとパレスチナの国境は1967年ライン(国連安保理が決めた)を基本とする」というのが、オバマ演説の原文である。
◆オバマを信頼しているか?
ワリード.シアム駐日パレスチナ大使に筆者は、まずオバマ発言に関して質問した。 以下、質問は「Q」で、応答は「A」で表示してある。
Q-オバマ米大統領の<1967年以前の国境線>発言を信頼しているか? A-信頼していない。 確かに、アメリカ大統領が初めてイスラエル占領政策を否定する<1967年国境線>を明言したことは凄い。 しかし、すぐに修正した。 結局、アメリカ大統領はアメリカ外交政策を変えられない。 ワシントンに巣食うイスラエル.ロビーストたちがアメリカの政界を牛耳っている。 彼らは次期大統領選挙でのオバマ落としを目論み始めた。 Q-オバマが2010年9月2日に5人の男たちを集めて誓わせた和平交渉はどうなった? A-あんなもの全然だめだ。 1993年に始まったオスロ合意から2011年の今日に至るまで、パレスチナ.イスラエル和平交渉には何の成果もない。 イスラエルは最初の交渉相手だったアラファトをイスラエルの言い分を呑まないからと毒殺し、代わったアッバースをイスラエルの傀儡交渉相手にしようとした。 が、イスラエルの思い通りにいかないとなると、ガザを実効支配するハマスをテロリストと決め付け、テロリストを排除しないアッバース自治政府とは和平交渉に応じないとして席に着かない。 結局、この18年に及ぶパレスチナ.イスラエル和平交渉がパレスチナ人居留区にもたらしたものは、700以上のイスラエル.チェックポイントとイスラエルの軍事防御壁と入植地なのだ。 世界の人々は、400万人パレスチナ住民がいまだにイスラエル軍事占領下で抑圧されていることを知らない。 軍事占領下では経済活動も文化活動もなにもできない。
◆中東革命はポップコーン革命
Q−<アラブの春>と、新呼称がついた中東革命はパレスチナ革命に影響があるのか? A-私は<ポップコーン革命>と呼んでいる。 あっちこっちでポンポン破裂する行き当たりバッタリの騒動にすぎない。 失業、貧困、統制、自由、、名目はなんでもありで、はっきりした展望も建設的な予定もなく屋台のポップコーンのように跳ね回って、統治者の尻に火をつけまわっている。 パレスチナ革命には明確な指針と民主的な指導部がある。 なんでもかんでも民主化でくくって、ごちゃ混ぜにしないで欲しい。 Q-<ポップコーン革命>の狙いはどこにあるのか? A- アラブの分断だ。 1916年にフランスとイギリスが勝手にアラブ分割を決めたように、 彼ら(欧米)はアラブ各地で小競り合いを勃発させ、現在22あるアラブ諸国を50以上に細分化しアラブの団結力を潰そうとしている。 アラビア語というひとつの言葉、イスラム教という一つの宗教、アラブという一つの民族と、アラブはもともと強力な塊なのだ。 そのアラブ.ダイナミズムに彼らは恐れをなしている。 そこでアラブ世界を細切れにして、新しい世界地図をつくろうとしているのだ。
◆中東革命のスポンサー.イスラエル
Q-<アラブの春>におけるイスラエルの役割とは? A-イスラエルは<アラブの春>の活動家たちを援助している。ところが<アラブの春 >の方ではイスラエルの存在を知らない。 その仕組みは単純だ。 まず小規模の活動グループが「われわれ民主主義活動家グループはわが国の指導者に反対!」と、声明を出し、支援者を探す。 インターネット、ホームページ、フェースブック、グーグル、、手当たり次第にアピールする。 イスラエル情報局はそんな獲物を見逃さない。 すかさず資金を与え指令をだす。 金を貰ったグループは民主主義革命という響きの良い言葉をお墨付きに、思いっきり暴れる。 しかし、金の出所を知らない。 出所を探って行くとイスラエルの海外諜報機関モサドに突き当たるのだ。 NGO団体のバックにもモサドの存在が多々みられる。 NGO団体がモサドの存在を知ろうが知るまいが、モサドがNGOを操っている。 活動家の大部分はナイーヴで慈善的行為に自己満足している。 が、そんな良き人々は援助金がどこからくるのか、探るべきだ。 Q-どうやって金の出所を探ればいいのか? A-探索する気になれば手段はいくらでもある。 国内外の情報機関、独立調査組織、マスコミ、イスラエル情報、、我々パレスチナ人も援助で生かされ活動をしている。 革命に支援は不可欠だ。 しかし、常に我々は支援の透明性と正当性の裏づけをしてきた。
◆イスラエルは民主主義国家か?
Q-イスラエルは中東で唯一の民主主義国家だとアメリカは言ってきたが? A-イスラエルは400万のパレスチナ人を占領支配して集団虐待し、違法な入植地を作り続けている、、そんな国を民主主義国家と言えるか? イスラエルは世界で唯一あらゆる国連決議を無視してきた、、国際社会の決定事項を足蹴にする国が民主主義国家なのか? イスラエルは「神がパレスチナの地を我々に与えた」 と言うが、神がそんな不公平きわまりない<えこひいき>をするはずがない。 「地中海からユーフラテス川まで神が我々に約束した地だ」と、パレスチナの地にイスラエルを建国したシオニズムは主張する。 シオニズムは民主主義ではない、旧ソ連と同じ拡張主義のイデオロギーだ。 Q-オバマはイスラエルの安全保障はアメリカの安全保障につながると言っているが? A-結構だ! では「パレスチナの安全保障はどうなっているんだ?」とオバマに聞きたい。 オバマは常に、アメリカはパレスチナ.イスラエル和平交渉に関して中立だと言ってきたが、考え直して欲しい。 パレスチナのハマスはテロリストと決め付けるが、強大なテロリストはイスラエルのシオニストだということを歴史に学んで欲しい。 ネタニヤフ現イスラエル首相が率いるリクード党の前身はハガナという立派なテロリストだ。 その残虐なテロリストの手法で、ガザのハマスを殺しまくっている。
◆国連にパレスチナ国家を正式加盟国として承認させる
Q-パレスチナ.イスラエル和平交渉はどうなるのか? A-イスラエルの交渉姿勢は<一歩譲って十歩譲らせる>という、巧妙悪質な手口だ。 我々はパレスチナ大地の78%もイスラエルに譲ってしまった。 これ以上許すことはできない。 「パレスチナは、あんた達とテーブルに着くことに疲れきった」と、われわれはイスラエルに言った。 Q-どうするんですか? A-再度イスラエルと和平交渉を試みるが、決裂した場合には、国連に直談判する。 まず、国連事務総長に「パレスチナ国家を正式な国連加盟国として承認して欲しい」という主旨の正式要請書を提出する。 要請書は国連安保理に回され安保理が承認すれば、国連総会で審議される。 加盟国の三分の二が賛成すれば、パレスチナ国家は国連の正式メンバーとなる。 世界の131カ国がパレスチナを国家として承認している。 国連総会で賛同を得ることは可能だ。 Q-しかし、総会前の国連安保理でアメリカが拒否権を使い提案は否決されるのでは? A-アメリカが拒否権を使わないことを願っている。 もしアメリカが拒否権を使ったら、 ポップコーン革命だ。 パレスチナの若者たち、イスラム教の若者たち、アメリカに反発する若者たちが、アメリカに「NO」を突き付ける。 Q-マジッスカ! イスラエルのポップコーン革命に期待してるんですか? A-イスラエル製とは違う本物の人民蜂起だ。 そして、われわれパレスチナ革命の指導部は平和裡にアメリカや国際社会に対して、中東和平交渉を中立かつ公正な立場で推進していくように圧力をかけ続けていく。 アメリカは中国や新興諸国そしてロシアの存在を無視できない。 アメリカは謙虚にならざるをえなくなってきている。 人民は武器より強い。
「私にはユダヤ人の親友がいるし、叔父の一人はユダヤ人と結婚した。 一つの地に二国家が共存することにはまったく問題ない」と、ワリード.シアム駐日パレスチナ大使は最後に付け加えた。 インタヴューは2011年6月13日、駐日パレスチナ常駐総代表部で行った。
文:平田伊都子 ジャーナリスト 写真:川名生十 カメラマン
イスラエルに対するパレスチナ側が、<1967年の国境線>というオバマ発言に大拍手を送ったと想像したが、そうでもないようだ。 大喜びしてオバマに期待をかけたのは、外野席にいるパレスチナ.ファンぐらいだったのかもしれない。 パレスチナの人々は、政治屋たちの吐く言葉がいかに誠意のない場当たり的な方便なのかを、この63年間にわたる長い独立運動の中で思い知らされてきた。 紙約束も口約束も信用していない。 それより何より、2007年から強制収容所のようなガザに閉じ込められているガザ市民1,376,289(2005年)にとって、まず<食うこと>が先決問題だ。 イスラエルもエジプトもガザの検問所を封鎖して、ガザ市民を兵糧攻めにしていた。 2011年5月28日、エジプト政府が閉鎖していたガザとエジプトとのラファ検問所を4年振りに解放した時、ガザ市民は検問所に殺到した。 「もう密輸トンネルを這いずって食料調達する危険を冒す必要もない」、「届かない海外からの支援を待つこともない」と喜びの声が沸きあがった。 しかし、一週間後の6月4日に理由もなく、ラファ検問所は再び閉鎖された。 ガザ市民は怒った。 本気で奮い立ち検問所に抗議デモをかけた。 その勢いに圧倒され、エジプト政府は検問所を開けざるをえなくなった。
2007年6月11日から、ガザに拠点を置く政治団体ハマス(イスラム抵抗運動)がガザを実効支配し始めた。 その前年の2006年1月に行われたパレスチナ総選挙でハマスが圧勝し、パレスチナ暫定自治政府の実権を握った。 が、PLO主流派組織ファタハが反発し、イスラエルを初めとする欧米諸国もイスラム集団主導のパレスチナ暫定自治政府を嫌って、ハマス排除に動いた。 ハマスをガザに閉じ込めたイスラエルはガザ市民への空爆とハマス幹部の暗殺を続け、ハマスは散発的に貧しいロケット弾で応戦した。 2011年4月27日、やっとハマスとファタハは和解し、一年内のパレスチナ暫定自治政府議長と評議会の選挙を約束した。 が、パレスチナ住民は遠巻きに冷めた目でみている。
日本外務省のパレスチナ見解 外務省のホームページを開いてみると、「1967年の境界線を基礎として」という言葉が目に飛び込んできた! この文書を公表したのは2010年11月24日だから、オバマよりなんと半年も先行しているのだ。 <日本外交はアメリカ外交の追従>と思い込んでいた私には、嬉しいショックだった。 以下に外務省パレスチナ見解の一部を引用してみる。 「二国家(イスラエルとパレスチナ)解決にあたり、その境界は交渉を通じ相互に合意された領域の交換を伴いつつ1967年の境界線を基礎として、自立可能なパレスチナ国家と、安全かつ承認された国境を有するイスラエルが平和裡に共存を実現する形で、固定されるべきである」、、「オスロ合意以降これまで11億$を超える支援」、、「ガザ住民に裨益する支援を強化していく。中断していた国際機関経由の案件は速やかに実施されるべきだ」、、 是非、外務省のホームページを開いて、日本のパレスチナ問題見解を知って欲しい。
ついでに、外務省イスラエルの項も勉強してみましょう。
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転載について
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ワリード.シアム駐日パレスチナ常駐総代表大使。4月初旬に被災地の石巻を見舞い、被災者の人々と瓦礫除去作業をした.
国連安保理が定めた1967年戦争前のパレスチナとイスラエルとの国境線を基本にしたUNHCR(国連パレスチナ難民救済事業機関)の地図。白い部分がイスラエル領、薄いグレーがパレスチナ領。
1967年戦争でイスラエル軍から銃で追われ難民となって、アレンビー橋を渡りヨルダンに逃げるヨルダン川西岸のパレスチナ住民。写真はPLO(パレスチナ解放機構)提供
パレスチナ暫定自治政府の自治現状を表した地図。59%の白い部分はイスラエル占領地。黒い部分は自治政府地区だが、その6割はイスラエル警察の支配下にある。PLO提供
シアム大使は1955年にレバノン生まれで3男2女の父。両親は1948年エルサレムから逃げてきた難民。右は筆者、東京の駐日パレスチナ常駐総代表部にて。
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