4年ごとに開催されるサッカーの世界選手権大会「FIFAワールドカップ」を主催する国際サッカー連盟(通称FIFA「フィーファ」)が、近年、数々の汚職疑惑に揺れている。昨年から今年前半にかけて、疑惑報道を主導したのは英メディアであった。(ロンドン=小林恭子)
「新聞通信調査会」発行の「メディア展望」7月号に掲載された筆者の記事を転載します。)
昨年12月、FIFAは2018年と22年の選手権開催国を選定・発表した。立候補した国の1つであった英国は、開催条件の面では高い評価を得ていたにも関わらず、FIFA内で十分な支持を集めることができず、落選した。開催国選定の直前までFIFAの不正・汚職疑惑を暴露する報道を行っていた英メディアが敗因を作ったとする見方が英国内で出た。一方、英イングランド・サッカー協会は、疑惑報道が相次いだため、6月1日のFIFA総会での会長選挙を延期するべきだと主張したが、十分な支持を得ることができず、ヨゼフ・(ゼップ)・ブラッター会長が4選を果たした。会長選から一週間後、デービッド・キャメロン英首相は、選挙は「茶番だ」と非難し、FIFAの名声が過去最低だと議会内で述べた。
英国とFIFAのこじれた関係の経緯を、英メディアによるFIFAの汚職疑惑報道を追いながら検証したい。
―FIFAと英国
FIFAにとって英国はやや特別な国である。この点を理解するためにFIFAの発祥を振り返ってみる。
英国は近代的なスポーツとしてのサッカーを誕生させた国といわれている。19世紀半ば頃、裕福な家庭の子弟が通う私立校「パブリック・スクール」の間で、手を使うか使わないかなど、サッカーのルールが異なっていたため、共通ルールを作るようになった。イングランド・サッカー協会とロンドンのクラブによる統一ルールが作成されたのは、1863年。これ以降、英国内各地や世界中にこのルールが広がった。
1880年代、英国では国際選手権を開くための統一ルールを決める団体、国際サッカー評議会が設立され、英国内の四協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)に所属するクラブ同士が戦う大会を開催するようになった。
FIFAは1904年、オランダ、スイス、スウェーデン、スペイン、ドイツ、デンマーク、フランス、ベルギーの8カ国で設立し、当初英国は参加しなかった。翌年、英国がFIFAに参加するにあたり、一つの国が「ナショナル・チーム」として参加する原則であったが、FIFAは英国の四協会それぞれの参加を承認したばかりか、FIFA副会長(定数7人)職を4協会のいずれかに保証し、近代サッカーの母国で当時最強のイングランド・チームを抱える英国に特権的扱いを行った。
FIFAは本部をスイス・チューリッヒに置き、現在208の加盟協会を持つ。理事会は会長1人に、欧州を代表する8人、アジア・アフリカ各4人、北中米・南米各3人、オセアニア1人の計24人で構成されている。ワールドカップ開催地の選出には、理事それぞれが1票ずつの投票権を持っている。
―汚職疑惑報道が始まる
2006年、英ジャーナリスト、アンドリュー・ジェニングズ氏が、「反則!FIFAの秘密の世界」(仮訳)と題する本を出版した。FIFAのスポーツ・マーケティング会社ISL(2001年倒産)を例に出し、契約を取るために賄賂の授受が日常的に行われていたと書いた。同年、ジェニングズ氏は、BBCのテレビの調査番組「パノラマ」の中で、ブラッター会長がサッカー界から1億ポンド(約131億円、今年6月14日計算、以下同)以上のわいろを秘密裏に受領し、スイス警察から取調べを受けていると報道した。
2007年、イングランド・サッカー協会は、2018年と22年に実施のFIFAワールドカップ開催地として立候補することを決定し、2009年5月にはワールドカップ招致活動開始を宣言するイベントがウェンブリー・スタジアムで開催された。
2010年5月、日曜大衆紙『メール・オン・サンデー』が、イングランド招致委員会の委員長でイングランド・サッカー協会会長のデービッド・トリーズマン卿が知人との会話の中でFIFAの不正疑惑に言及したと報道した。同紙はこの部分を秘密裏に録音したテープを公開した。トリーズマン氏は両方の職を辞任した。
10月、招致委員会は22年の招致を断念し、18年での招致に力を傾けるようになっていた。
同月、今度は日曜高級紙『サンデー・タイムズ』が、オセアニア・サッカー連盟のレイナルド・テマリィ会長と西アフリカ・サッカー連盟のアモス・アダム会長におとり取材を実行。米国招致団に扮したタイムズの記者が米国への投票を両氏に頼み、その見返りとして、テマリィ会長は150万ポンド、アダム会長が50万ポンドの支払いを求める映像を公開した。両会長は理事職務の暫定的な職務停止処分を受けた。
開催国の決定は、FIFAの理事24人の投票によるが、上記の2人が職務停止処分のため、今回は22人による投票となった。
投票が3日後に迫った11月29日、BBCのパノラマは「FIFAの汚い秘密」と題する番組を放映した。番組は、1989年から99年の間に175回に渡り、FIFAの理事3人が、ISLから総額一億ドル(約80億円)の賄賂を受けていたと報じた。また、北中米カリブ海サッカー連盟のジャック・ワーナー会長(FIFA副会長)が、2006年のドイツ大会と2010年の南アフリカ大会の入場券をダフ屋に流し、巨額の利益を得た疑念を放送した。
この時、一連のFIFAに関わる不正疑惑報をよそに、英国は政府が音頭を取って、イングランドへのワールドカップ招致に力を入れていた。招致のための最後の演説には、キャメロン首相、世界的に知名度が高いデービッド・ベッカム選手、婚約発表を行ったばかりで話題性が高いウィリアム王子が参加した。近代サッカーの発祥の国であること、著名人によるプレゼンテーション、スタジアムや宿初施設、交通手段の面からも最有か国の1つとして英国は見られていた。
ところが、12月2日の投票日、全22票の中でイングランド開催を支持したのはほんの二票であった。イングランド代表が投じた1票を除くと、他国・地域代表でイングランドに投票したのは1票のみ。ほぼ完敗の結果となった。英国全体に衝撃が走った。これほどのまでの完敗振りを誰も予期していなかったのである。
FIFA理事が2018年の開催地として選んだのはロシア、22年はカタールであった。ロシアやカタールはワールドカップ開催の経験がなく、投票前のFIFAによる開催候補国の査定報告書では「リスクが高い」という評価を得ていた。
―放送するべきではなかった?
イングランドへの招致活動の極端な敗退振りに、英国内では「犯人探し」が始まった。投票権を握るFIFAの理事を批判する番組を投票日の数日前に放映していたBBCパノラマへの批判が特に強くなった。キャメロン首相やイングランド招致委員会のアンディー・アンソン委員長らは、複数のメディアの取材に対し、パノラマの放映時期に疑問を投げかけた。
一方、筆者が英放送業関係者数人に放送の是非を聞いてみると、ほぼ全員が「パノラマの報道は時期を含めて、正しい」「投票への影響を考えて時期をずらした場合、報道の自由の原則を曲げたことになる」と答えた。
しかし、「権力の批判は民主社会に欠かせないもの」「批判されたことと、投票行為は切り離して考えるべき」という英メディア関係者の間に共有されている、いわゆる「報道の自由の原則」が、FIFA全体あるいはFIFA理事らの間でどれぐらい共有されているかというと、筆者は心もとない感じがした。権力におもねる必要はもちろんないが、パノラマがせめて投票日の1か月前に放映されていたら、結果は若干異なっていたのではないだろうか。
―FIFA会長選挙でも、英国は支持を得られず
FIFAの汚職疑惑に再び大きなスポットライトが当たったのは今年5月であった。
下院の文化・メディア・スポーツ委員会は、昨年末から、サッカーの統治に関わる調査を実施してきた。5月10日、委員会は、元イングランド招致委員会の委員長でイングランド・フットボール協会の会長でもあったトリーズマン氏を証人として召喚した。同時に、不正疑惑を追ってきた『サンデー・タイムズ』からも二人の調査報道記者の連名による文書を提出させた。
トリーズマン氏はワーナーFIFA副会長がイングランド・サッカー協会に対し、副会長の出身国トリニダード・トバゴに学校を建設する費用(推定250万ポンド)を支払うよう依頼し、地震で被害を受けたハイチでのワールドカップのテレビ放映料買収のため5万ポンドを払うよう頼んだ(後に、トリーズマン氏は、ハイチでの放映権をワーナー副会長が持っていることを知った)、と発言した。
トリーズマン氏によると、タイ出身のFIFA理事ウォラウィ・マクディ氏はイングランドが票を取りたかったら英国でのテレビ放映権の一部をもらいたいと持ちかけたいう。また、パラグアイ出身のFIFA理事ニコラス・レオス氏は爵位を欲しがり、ブラジル・サッカー連盟の会長でFIFA理事リカルド・テイシェイラ氏は、票が欲しいなら、見返りとして「何を私にくれるのか、オファーして欲しい」と述べたという。トリーズマン氏による生々しい証言の模様はテレビで生中継され、翌日の新聞はその内容を大きく掲載した。
トリーズマン氏が発した疑念の数々を検証するため、イングランド・フットボール協会はジェームズ・ディングマンズ弁護士に調査を依頼した。
同弁護士は5月11日から26日の間に関係者に面接し、関連書類を分析した後、疑念の信憑性を裏付ける証拠を見つけられなかったと結論付けた。また、FIFA自身も独自調査を行い、5月29日、疑惑を裏付ける明確な証拠がなかったと発表した。
一方の『サンデー・タイムズ』の文書によると、FIFA副会長イサ・ハヤトゥー氏とFIFA倫理委員会のジャック・アヌアマ委員は、カタールに票を投じるため、それぞれ150万ポンドをカタール側からもらっていたという。カタール側はこの疑惑を完全否定したが、FIFA事務総長ジェローム・バルク氏が「カタールはワールドカップを買った」ことを示唆する電子メールをワーナー副会長に送っていたことが判明した。バルク氏は後、カタールが「強固な財力を使って招致したというのが真意だった」と弁明した。
6月1日に開催されたFIFAの総会では、次の4年間の会長選挙が行われる予定となっていた。イングランド・サッカー協会は、数々の不正疑惑が発生する中、会長選挙をやるどころではないと主張し、選挙の先延ばしを総会で訴えた。しかし、200を超える加盟協会の中で、イングランドが主導した選挙の先延ばし案を支持したのは17のみだった。
会長選は混迷を極めた。ワーナー副会長と、先に立候補を表明していたモハマド・ビン・ハマム理事(アジア連盟会長)とが、5月末、会長選に絡む買収疑惑を内部告発されたために、一時活動停止措置となった。このため、ハマム理事は出馬を断念せざるを得なくなった。対立候補のないまま、ブラッター会長は全体の9割を超える186協会の信任を得て、4選した。
会長戦は終わったが、主要スポンサーが相次ぐ不正疑惑がサッカーのイメージを傷つけるとして懸念の声を上げ出し、嵐が静まったわけではない。
「疑惑が事実である十分な証拠が見つからなかった」と先のディングマンズ弁護士は報告書の中で結論付けたが、「不透明な意思決定の過程」が疑惑を招いたのではないかとも書いた。
ワールドカップは巨額のスポンサー収入やテレビ放映権料を元手に活動する。FIFAの2007−10年の収入は41億8900万ドルに上る。巨額が絡むビジネスとなったワールドカップ開催地の決定をFIFAの理事会のみで決めること自体が汚職や汚職疑惑につながる。この点はブラッター会長も認識しているようで、今後のワールドカップ開催地をFIFAの加盟協会全体で決める方式を自ら提案し、総会で正式承認された。
英メディアはFIFA理事からの反発を度外視して継続的にFIFAの暗雲を告発した。英国はワールドカップ招致を逃したが、同国のメディアの報道によってFIFAの組織運営の透明化、民主化につながる道を作ったとすれば、一石を投じた価値は大いにあるだろう。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
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新聞通信調査会ウェブサイト
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