日刊ベリタに最初に寄稿したのは丁度2年前の夏である。最初に書いたのはニューヨークタイムズ(以下NYT)のコラムニスト、ロジャー・コーエンについてだった。その後もNYTの論客について断続的に拙い紹介の文章を書き続けている。
そもそも僕がNYT(インターナショナルヘラルドトリビューンはその国際版である)の論説欄を熱心に読むようになったきっかけは9・11同時多発テロだった。というのは、当時読んだコラムの中にサダム・フセインとアルカイダの関係を匂わせる文章が何度か出てきたからである。それは2001年の9月から年末にかけてのことだ。
プラハでサダム・フセインの部下がアルカイダ関係者と密談していた、という話や、バグダッド郊外で航空機を使ったテロ訓練が行われたという情報筋の話などが通常の記事ではなく、コラムニストの文章で掲載されていた。しかし、その後、サダム・フセインはアルカイダと関係がなかったことがだんだん判明してくる。それではあれらのコラムはいったいなんだったんだ?というのがそもそもの疑問の出発点である。
2001年の9月12日から年末にかけて、9・11同時多発テロを操ったのは誰だったか、ということはメディアの大きな関心だった。それによって米軍の攻撃目標も変わってくるからだ。テロから数日の間、まさに東日本大震災と同様に、連日、僕は食い入るようにアメリカの報道をテレビで見ていた。テロが行われた9月11日、日本時間の夜から朝にかけてパレスチナのアラブ人たちが踊って喜んでいる短い映像が繰り返し流された。それはテロの背後にはパレスチナ人のテロリストがいるということを暗示するかのようだった。その後、疑わしい人物としてオサマ・ビン・ラディンの名前が浮上し、さらにサダム・フセインも浮上してきた。
しかし、サダム・フセインはある時を境に同時多発テロの話題から外れるのである。ペンタゴンのブリーフィングの地図からもイラクが急に消え去り、アフガニスタンだけになってしまった。最初はイラクも入っていたはずである。その消え方が不自然な印象を与えた。この時、僕は逆に「イラクを本気で攻める気だな」と直感した。アフガニスタンをまず攻撃したのちにイラクをやるつもりだろう、と思ったのである。
そう思ったのはアメリカのメディアではその頃、イラクのテロ関与を匂わせる記事が出ていたからである。国防総省はイラクを報復攻撃の対象地図から外したものの、庶民はイラクが怪しいと思うような文章をたくさん読まされていた。実際、イラク戦争でバグダッドを陥落させるまで米国民の多数はサダム・フセインの関与を信じていたのである。米国民も政府も本当にイラクが9・11同時多発テロに関係ないことが納得できているならそういう記事がちょろちょろ湯水のように出て来ることはなかったと思われるのである。
僕はその後、9・11で自爆したモハメド・アッタとイラクのエージェントがプラハで密会していたというコラムを書いた人物が政治コラムニストのウイリアム・サファイア(William Safire)だったことを知った。そのコラムは2001年11月12日のニューヨークタイムズに掲載された。タイトルは「プラハコネクション (Prague Connection)」である。サファイアはピューリッツァ賞も受賞している保守派の大物論客である。2006年にはブッシュ大統領から「自由」のメダルを授与されている。
サファイアは11月12日のコラム「プラハコネクション」の中で、モハメド・アッタが急にプラハに飛び、すぐまたあわただしく帰米するのが怪しいと書いている。サダム・フセインの資金が9・11同時多発テロの資金源になった可能性を示唆しているのだ。さらに、サダム・フセインの侍医で、腎臓病の専門医がアフガニスタンに出張したことも書き添えている。アフガニスタンで治療を受けたのはオサマ・ビン・ラディンらしいというのである。
http://www.nytimes.com/2001/11/12/opinion/essay-prague-connection.html?ref=williamsafire サファイアはすでに亡くなっているし、ここでサファイアを糾弾するつもりはない。ただ、僕がNYTの論説欄に興味を持つようになったきっかけがサファイアのコラムだったことは確かである。論説ページは通常の記事とは違って、そこには過去の出来事と言うよりむしろ未来の青写真が並んでいる。いろんな論客がいろんな論を披露する。NYTの論説ページは世界中で読まれており、その影響力は大きい。そこには時代の本質を突く洞察もあるし、また情報操作もあれば政治的な観測気球もある。
キューバ危機の時、ケネディ大統領はNYTのコラムニストを使って、トルコに設置された米軍のミサイル基地を撤去する可能性を示唆して世論の反応を見たという。そこには癖のある変化球が並んでおり、真実がどこにあるのか、自分で様々に考えるほかない。それがNYTの論説欄を読む面白さだと思う。
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