8月1日の新聞各紙には、前日に開かれた原水爆禁止世界大会の記事が掲載された。初めて福島で開催された原水禁大会は、多数の福島在住者の参加を得た。1,700人に達した参加者たちは、「放射能のない福島を返せ」と声を上げ、福島第一原発事故の悲劇を繰り返さないよう「脱原発」を唱えた。メディアで報道されたのは、以上のようなことであった。しかしながら、アジア各国から40名もの人びとがやって来て、福島のデモ参加者と一緒に歩いたことに触れた報道は、見当たらなかった。彼らの多くは、台湾、中国、韓国、タイ、インド、フィリピン、インドネシアなどから、「ノーニュークス・アジアフォーラム(NNAF)の一連の行動に参加するためにやって来た。
◆NNAFが日本にやって来た
NNAFは、1993年に日本で最初の集まりが開かれた。当時はアジアの急速な経済成長が進んでいた時期である。急速な経済成長に伴うエネルギー需要の増加を見こして、アジア各国で原発の建設が計画されたり、実際に進められたりしていた。こうした状況の中で、NNAFのねらいは、アジアの反原発のアクティヴィストたちが、原発をめぐる諸問題を共有し、原発なきアジアをつくるため、国境を越えたつながりを築くことにあった。
NNAFはその後も、原則的には年に一回、各国持ち回りで開催されてきた。昨年は台湾で開催され、台湾各地の原発施設を回りながら、他のアジア諸国の人びとと一緒に原発をめぐる問題を共有した。今年は当初、タイで開催される予定であったが、福島原発事故が起きたこともあって、急きょ日本の主催に変更された。 NNAFは、そのネットワークが結成された当初から、東京のような大都市で会議をするだけでなく、原発現地に足を運んで、現場の人びとの話を聞くということを大切にしてきた。今回も、福島、さらには山口県の上関を訪問し、地元の人びとと話をすることになっている。スケジュールについては、以下を参照。
http://www18.ocn.ne.jp/~nnaf/110a..htm
◆アジアの原発ビジネスネットワークは、複雑化している
8月1日の国際会議の場は、それぞれの思いを持って日本にやって来たアジアのアクティヴィストたちの熱意に溢れていた。朝から夜まで続いた会議では、主に各国の原発をめぐる状況、反対運動の現状などが報告された。この会議では主に、次の三つのことが議論された。
第一に、アジアの原発ビジネスの状況である。1993年、NNAFの最初の会合が開かれた時には、アジア最大の経済大国であった日本が他のアジア諸国に原発を輸出しているというのが、アジアの原発ビジネスをめぐる構図であった。日本のメーカーや商社は、国内の原発機器の受注が頭打ちになっていたことを背景にして、アジアの原発市場へと積極的に乗り出していった。それには、日本政府のサポートが欠かせなかった。 政府は「アジア地域原子力国際会議」を主催するなどして、原発に対して警戒心を持つアジア諸国に向けて、啓もう活動をおこなった。たとえば、台湾の新台北市貢寮にある第四原発は、東芝、日立、IHI、三菱重工などが建設に関わったものである。
こうした官民一体となった日本の原発輸出の構図は、現在でも変わっていない。昨年の10月31日、菅首相は、日本がベトナムの原発建設の受注を請け負うという「商談」をまとめ上げた。他にも、国際協力銀行(JBIC)の公的資金を利用して、中国、メキシコ、インドネシアなどで原発建設に先立つフィージビリティ・スタディ(予備調査)が進められてきた。
しかし現在では、アジアの原発ビジネスのネットワークは、これまでよりも複雑になっている。アジア地域における新興の経済大国である韓国や中国からの参加者は、すでに自国の政府とビジネスが積極的に原発輸出を展開していることを報告してくれた。とくに熱心なのは韓国である。福島事故以降、各国で核開発が落ち込むことを想定し、事故をチャンスととらえて輸出を進めようとしている。
すでにUAEとの国家的な商談をまとめ上げたが、NNAF会議のちょうど一週間前にはインドとの間に原子力協定を結んだ。2030年までに東南アジアや中央アジアにも市場を広げて、80基の原発を輸出することをもくろんでいる。このようにアジアの原発ビジネスのネットワークは、以前よりも多くの国を巻き込みながら広がっていることが確認された。(続く)
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