広島、長崎の「原爆の日」は今年もめぐってきて、悲しみを新たにした。その悲しみは例年になく大きく広がった。その元凶は「3.11」の東日本大震災と福島原発惨事である。核兵器と原子力発電は核エネルギーとしてつながっている。だから核廃絶と脱原発も根っこは共通しており、そのキーワードは「核と人類は共存できない」である。 核廃絶と脱原発が実現するのは果たしていつの日なのか。追求すべき目標は明確だが、実現の道程は単純ではない。広島・長崎の平和宣言を読み解くと、見えてくるものは何か。特に脱原発ではためらいもあり、原発の安全神話からの脱却も容易ではない。しかしそれでもなお脱原発を求めなければならない。
▽ 広島平和宣言が訴えたこと ― 「核と人類は共存できない」
2011年(平成23年)8月6日の「原爆の日」、松井一実・広島市長が行った広島平和宣言は従来とは異色である。「3.11」の東日本大震災と福島原発惨事の発生が昨年までと違って、「原爆の日」を一変させた。つまり従来の核兵器廃絶にとどまらず、脱原発をも視野に収めなければならない。そのキーワードは「核と人類は共存できない」である。宣言の中で原発事故に触れている部分の要点は以下の通り。
今年3月11日に東日本大震災が発生した。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿(ほうふつ)させるものであり、とても心を痛めている。広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援している。
また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまった。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいる。
私たちは、「原爆は二度とごめんだ」、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓う。
<安原の感想> 「脱核」への市長の願いが伝わってこない 広島平和宣言の中で気になるのは次の表現である。 <「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいる>と。 この宣言からは広島市民を代表する広島市長としての願いは伝わってこない。<「核と人類は共存できない」のだから核兵器廃絶と脱原発をめざしたい>となぜ言い切れないのか。なぜ「脱原発を主張する人々」といかにも他人事のように客観性をもたせるような表現になるのか。世論調査によると、約7割の人々が脱原発へ意識変化を遂げている。 なぜ「原子力管理の一層の厳格化とともに・・・」と脱原発に曖昧で、原発推進を容認するかのような表現になるのか。核兵器と原発は同じ核エネルギーであり、異質の別物ではない。「脱核」の視点でつながっているのであり、広島市長の平和宣言としてはいささか物足りない。
▽ 長崎平和宣言が訴えたこと ― 安全神話をいつの間にか信じていた
田上富久・長崎市長が8月9日行った長崎平和宣言のうち、原発事故に関連する部分を紹介する。その要点は「安全神話をいつの間にか信じていた」である。
今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然(がくぜん)とした。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はない。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわからない。
「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅(おび)えることになってしまったのか。 自然への畏(おそ)れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきている。
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要である。
福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていた。 世界に2万発以上ある核兵器はどうか。核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないだろうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずである。
<安原の感想> いまこそ安全神話を克服するとき ここでは<被爆地こそ「脱原発」発信を>という大見出しつきの毎日新聞(8月9日付)・記者の目(長崎支局/下原知広記者)を紹介する。その趣旨は以下の通り。
田上市長は平和宣言で「原子力にかわる再生可能なエネルギー開発の必要性」を訴えるが、(中略)脱原発の文言を避けた。その歯切れの悪さは、原発依存にどっぷりつかってしまった日本の現実を示している気がしてならない。 「どのような社会を創っていくのか国民的議論が必要だ」。5月10日、今春の統一地方選で初当選した松井一実・広島市長の表敬訪問を受けた後の会見で、田上市長はそう述べた。世界に核兵器廃絶と放射線の脅威を訴えてきた市長の言葉としては歯切れの悪さが目立った。このとき「政府に脱原発を含めてエネルギー政策の転換を求めたい」と話していた松井市長も、6日の広島平和宣言で「脱原発」には踏み込まなかった。
以上の「記者の目」が指摘するように両市長ともに「脱原発」を唱えることに明らかにためらっている。その背景に何があるのか。田上市長の「安全神話をいつの間にか信じていた」という状況認識は正しい。いまこそその安全神話を克服するときだが、田上市長自身、いまなお安全神話に囚われの身になっているのだろうか。
▽ ユニークな「2011年 みんなの平和宣言」
「2011年 みんなの平和宣言」を紹介する。これは原子力資料情報室の共同代表・伴英幸さん発信のメールによるもので、なかなかユニークである。その全文は次の通り。これには賛同のメールが多数寄せられている。
66年前の今日、1発の原子爆弾が広島を焼き尽くした。 そして今、福島の4基の原子炉から漏れ出た放射能がふるさとの野や山に降り注ぎ、世界につながる川や海に流れ込んでいる。
「核と人類は共存できない」 あの地獄を生き延びた人間の叫びが「核抑止」と「核の平和利用」の言葉でかき消され、 声を奪われたヒバクシャを世界各地にうみだしている。
「過ちは 繰り返しませぬから」 平和公園の碑に刻まれた主語のない誓いは、核による「平和と繁栄」を国策にすることを許し、私たちは「放射能汚染」の加害側にたっている。
地球の恵みの中で私たちは育った。 そして科学と合理性の名の下に地球をむさぼり、進歩のためにと競い合った。
歩んできた道を振り返り、被爆地ヒロシマから私たちは宣言する。 地球を汚し、命を奪い、人間を破壊する核/原子力を私たちは拒否する。 暴力に仕える科学や法を、弱いものを犠牲とする文明を私たちは拒否する。 私たちは今ここから、地球のすべての生命が、共に在る未来に向かい、歩き始める。
2011年8月6日 原発・核兵器なしで暮らしたい人々 <問い合わせ>yuasa.masae@gmail.com
<安原の感想> 「地球のすべての生命」との堅い絆 原文は「ます」調だが、上述の文体に変更したことを断っておきたい。さてこういうスタイルの平和宣言は昨年まではなかったように思う。「3.11」の大惨事が歴史的な意識変化を促したともいえるのではないか。 特に注目したいのは、末尾の「地球のすべての生命が、共に在る未来に向かい、歩き始める」である。直接の被害者に限定しないで「地球のすべての生命」として「核/原子力を拒否する」という視点が貴重である。その含意は、原爆/原発の被害者と「地球のすべての生命」とは堅い絆で結ばれ、連帯できるという認識であり、期待であるだろう。
もう一つ、広島平和宣言、さらにこの「みんなの平和宣言」にも登場してくる「核と人類は共存できない」 ― この含蓄に富んだ名言は、「自らも被爆し、核兵器廃絶と被爆者擁護に半生をささげた故森滝市郎・広島大名誉教授が語った」ものだ(東京新聞8月7日付社説)。今では「核廃絶と脱原発」の意味で広範囲に認識されつつある。地球全体の認識として一日も早く定着することを願いたい。
ただこの平和宣言にあえて注文をつければ、なぜ「広島」に限定して、「長崎」に言及しないのか。冒頭の「66年前の今日、1発の原子爆弾が広島を焼き尽くした」に続いてつぎの趣旨の文言を加えれば、それで十分ではないか。 「その3日後、2発目の原爆が長崎に大惨事をもたらした」と。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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