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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2011年08月14日15時14分掲載
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文化
【核を詠う】(1)悶絶の夏から 山崎芳彦
私は三・一一以来、原爆短歌を読み、探し、パソコンに入力している。この三ヶ月余の間に、広島・長崎の有名無名を問わぬ被爆者の作品数千首を読み続けてきた。そしてどうする、という段になると、まだ先が見えない。しかし、まだこのことを続けようと思う。これらの作品の陰には、原爆によって一瞬にして生命を奪われた二十万を越える人間の生命があることを思わないではいられないし、この国が原子力の「平和利用」の名の下に、原子力発電を行なっていること、そして核兵器製造技術とその原料確保の黒い意図が脈々と生き続けていることを考えないではいられない。原爆と原発はやはり同根だし、このまま行けば同じ結果をもたらすだろう。未来が過去の過ちを映すスクリーンであってはらない。原爆短歌はそう詠った。
◆「原発は原爆なのだ」
原発は原爆と言ひしを嘲笑(わら)ひたる東電幹部らよ 忘れてはをらぬぞ 山崎芳彦
かつて、原発廃止を求めて、東京電力本社や通産省(当時)に対する要求活動に参加したとき、私は「原発は原爆と同じではないか」と叫んだことがあった。米国のスリーマイル原発事故の後のことだったが、東電側の応対者は冷ややかな笑いを浮かべ、答えもしなかった。そのときのことを、福島原発事故の直後に、熟さない、拙い歌ではあるが、私は一首にした。そして、私は、広島・長崎の原爆被爆者の短歌を読み、まとめようと思った。
どのようにまとめるかの構想は持てないままだが、先ず作品を読むことからはじめるしかないので、作品を見つけることから始めて、呆然とし、悲しんだ。後で述べる竹山広さんが歌集として出された作品は、『竹山広全歌集』を入手することが出来、それ以後の歌集も出版されるたびに品切れにならないうちにと購入して、すべてを読んできたが、そのほかはアンソロジーのなかから見つけては書き写し、手持ちしていた、短歌新聞社が二〇〇四年八月に『短歌現代』八月号別冊として企画刊行した『昭和の記録 歌集八月十五日』から原爆を詠った作品を抽いてパソコンに入力することまではできたが、そのあとは難渋した。
竹山さんが詠ったとおりなのであった。原爆を詠った作品は、ごく一部を除いて大切にされていないのである。広島・長崎の被爆者が死んでいった二十数万人とその家族や友人の無念と苦悶を背負って、所謂「歌人」ではない人々も含めて詠わないではいられなかった短歌は何処に行ったのか。私がわからないだけなのだろうか。
歌歴わずか十年の私の作品鑑賞、自身の作歌のなかに、原爆短歌はなく,また「原発は原爆だ」といいながら、日本の原発の歴史と現状について幾冊かの本を読み、表面的な関心事とするに止まってきたのである。
◆「悶絶の街」を詠う歌人
私の尊敬する歌人、いまは亡き竹山広さんの第十歌集である『地の世』の最後から五首目に
原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず
という作品がある。享年九十の竹山さんが逝去の前年に詠った一首。
一九四五年八月九日、二十五歳にして長崎市浦上病院に結核で入院中に原子爆弾に被爆し、放射能の満ちる焦土のなかを五日間さまよい、被爆地の惨憺たる状況を目撃するとともに上半身火傷の兄の死をみとるという体験をした竹山さんのこの遺歌を、東京電力福島原子力発電所の壊滅的な事故による放射能汚染が国内各地のみならず海洋汚染、空気汚染により海外にまで深刻な恐怖を与えているさなかに読みながら、膨大な作品群を残した竹山さんの、このように詠い残す最晩年の心境を思うと、頭を垂れないではいられない。
竹山さんは、原爆投下により「悶絶の街」と化したなかにあって遭遇し、体験し、目撃した体験を、短歌として表現するまでに十年の歳月を要したというが、過去形では詠わなかった。その現在形は、放射能被爆の影響もあったに違いない「病まみれといふ一生に点滴を受けしことなし思へばはかな」(『空の空』)と詠ったように「病まみれ」の中で九十歳の生を、原点をしっかと踏まえ全うした竹山さんをしてこのように詠わしめる日本であることへの無念さを、私は深くわが身に刻まなければならない。
いま、原発列島の中で必然とも言うべき原発事故に遭遇し、核放射能が空と土と水、山川草木、生命あるものを現在を越えて未来にまでその毒素を降り散らしているなかで、そう思う。 (続く)
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