英国の劇作家アーノルド・ウェスカーが書いた戯曲「シャイロック」が今週金曜から東京演劇アンサンブルによって上演される。シャイロックはシェイクスピアの戯曲「ヴェニスの商人」に登場するユダヤ人の金貸しの名前である。ご存じの方が多いだろうが、金の亡者の代名詞である。ウェスカーはシャイロックを主人公にして「ヴェニスの商人」を改作した。
シェイクスピアの原作でシャイロックは金貨3000ダカットをヴェニスの商人のアントニオに貸すが、返済が間に合わなかったら肉を1ポンド切り取ることを許諾するよう証文に書かせる。肉など取っても儲からないからこうした行為は本来「金の亡者」のやることと裏腹なのだが、昔の英国の観客たちはこうした行為にユダヤ人の姿を重ね溜飲を下げていたのだろう。 この証文の有効性をめぐる裁判が原作・改作いずれも劇のクライマックスになる。「肉を取るのはかまわないが血を1滴も流すな」という判決のくだりは有名である。かつてユダヤ人は居住地をゲットーに限定され、職業も金貸しに限られていた。その上、ユダヤ人は高利貸しと見下されていたのである。そうした積年の怒りをシャイロックはアントニオウにぶつけるのである。
「ヴェニスの商人」を改作したウェスカーはユダヤ系である。この劇が不愉快だったのではなかろうか。そこで、ユダヤ人の劇作家からこの芝居を見るとこう見える、というのがこの「シャイロック」である。勝手にそんなことをしていいのか、という声があるかもしれないが、シェイクスピア自身、古い本を下敷きに書いた。だから、この劇はシェイクスピアとウェスカーの演劇的決闘という風にとらえたい。
ウェスカーの改作上の最大のポイントはシャイロックを教養に満ちた深みのある人物に替えたことにある。さらに原作ではシャイロックの高利貸しを批判する平板なキリスト教徒に描かれていたアントニオウも、改作では深みを持つ男になっており、驚いたことにシャイロックの親友になっている。そんなことをしたら、劇の対立葛藤が消えてしまうのではないかと思われる方も少なくないだろう。ウェスカーも苦労したようである。稿を改めること10回に及んだという。演劇史上最大の巨匠に挑戦するのだから無理もない。
ウェスカーはアントニオウの若い仲間たちを人種偏見に満ちた反ユダヤ主義者にし、彼らに代表される排他的なヴェネチア社会に対して、シャイロックとアントニオウが命を賭して裁判で戦う話にした。だからこの劇のクライマックスは立場が違うシャイロックとアントニオウが裁判で互いに反目する席につかされながらも、生き残るために「共闘」するところにある。そういうわけで「シャイロック」は「ヴェニスの商人」のさかさまになった。
こうした劇の構造を味わい深く見せる上で欠かせないのが、原作にも登場するポーシャ、ジェシカ、リブカ、ネリッサといった女たちである。彼女らの立場は原作と同じだが、男たち同志の関係が根本的に変わっているため、彼女たちの行動もまた違って見える。
演出の入江洋祐氏は次のように語っている。
「プロット、登場人物はそのままで、シャイロックを学問好きの心優しい老人、肉1ポンドの証文は親友アントニオウと話し合いの上で、ヴェニスの不当な法律をからかってやろうという冗談なのだという話を成立させるのは、大変な力技だ。悪戦苦闘している。そのジタバタが稽古している時身に沁みて嬉しい。そこにいかにもウェスカーらしいエネルギーが満ちているからだ。」
劇に違った視点から光を当てる。その試みが面白い。イタリアの作家、ジャンニ・ロダーリは物語をさかさまにしてみることは優れた創造だと言っている。必要なことは想像の中で立場を入れ替えてみることである。英国にはやはりシェイクスピアの戯曲を改作した「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」がある。これなどはちょい役を主役にして、主役をちょい役にした。つまり、ちょい役の身から「ハムレット」という劇を体験する話である。こうした試みから得るものは小さくないだろう。
今回、主役のシャイロックを松下重人が、アントニオウを竹口範顕が演じる。いずれも同劇団の味のある中堅俳優である。
■東京演劇アンサンブル公演 「シャイロック」 9月9日(金)から9月19日(月)まで。 「ブレヒトの芝居小屋」東京都練馬区関町北4−35−17
http://www.tee.co.jp/ ■劇作家アーノルド・ウェスカーのホームページ
http://www.arnoldwesker.com/ 1932年、ロンドンのイーストエンドに生まれる。現代英国演劇界の巨匠の一人。代表作に「大麦入りチキンスープ」「根っこ」「僕はエルサレムのことを話しているのだ」「調理場」など。戯曲は44作を数える。
|