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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2011年09月18日03時59分掲載
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コラム
語学に再挑戦 8 戦争と語学 村上良太
日本人が英語を学ぶのは端的に言えばアメリカとの戦争に負けたからである。戦時中、英語は敵性外国語だった。野球用語も英語から日本語に換えられた。だから戦争は外国語の学習を左右する大きな要因である。また戦争は否応なしに「語学に再挑戦」を強いる。
第二次大戦中、横浜港に停泊中だったドイツの軍艦が謎の炎上沈没を起こした事件があった。船を失ったドイツ海軍の水兵たちはやむなく、箱根の旅館に逗留し、防火池などを掘って過ごしていた。ところが日本が敗れた後、米軍がジープに乗ってやってきた。すぐに武装解除を求められたが、ドイツ兵たちは容易に米兵の支配を受け入れようとしなかった。「世界に冠たるドイツ」の誇りがあったからだ。そこで米軍は、焼け跡になったがれきの山のベルリンを記録したフィルムを何度も上映してドイツ人たちに見せたのだった。最初はドイツが降伏したと言うのは米軍のプロパガンダだと思っていたドイツ兵たちも、やがて米軍に屈したばかりか、英語を学び始めた。彼らの何人かはすでに中年になっていた。
アメリカ人の日本文学研究者ドナルド・キーン氏やエドワード・G・サイデンステッカー氏らは海軍で日本語を学び、日本との戦線に投入されている。当時、敵性外国語だった日本語を彼らが学んだのはアメリカ合衆国が戦争に勝利するためだった。彼らの多くは若かった。ドナルド・キーン氏の場合、日本との戦争が始まる前にコロンビア大学で「源氏物語」を英訳で読むなど、日本文学への関心を持っていたようである。アメリカは日本との戦争に勝つために、さらに勝利した後の戦後処理のために日本語のできる人材を急速に多数育成した。そこには日本の暗号を解読するという任務もあった。語学を学んだ兵士たちの中には戦後、キーン氏のように今度は自分の知的好奇心のために学び続けた人もいる。
戦後、日本は長く平和が続いたこともあって、語学を学ぶのはその国との友好が目的であったり、貿易をするためであったりと幸せな動機からやるのが普通と思われている。しかし、世界史を見れば語学を学ぶのは必ずしもその国を愛したり、その文化を尊敬したりした時ばかりではないことがわかる。戦争に勝つためだったり、外交で優位に立つためだったりしたことも多い。あるいは戦争に敗れて外国の支配下に置かれた場合にも当てはまる。語学を学ぶことは否応なしに、その国の文化や人間を少しでも深く理解しようとすることになる。しかし、戦争に勝つためにおいても相手国の人間を深く理解することは不可欠であり、そこに矛盾はないのだ。
たとえばインドのガンジーの場合、英語の学習は英国の植民地下で自己の社会的地位を確立するために必要だっただろうが、英国から独立するためにも必要だった。英国人との交渉は英語でやらなくてはならなかったからだ。ガンジーは英語を学び、英国の法律を学び、英国人の精神を学んだ。もし、インドを植民地にしていたのがヒトラーのドイツだったら、ハンガーストライキなどの非暴力不服従運動が実を結んだかどうかわからないというジョークもある。
アメリカの元国務長官、コンドリーザ・ライス氏はロシア語に堪能でソ連の赤軍の研究者だった。ソ連はアメリカにとって最大の敵国だったが、だからこそアメリカ人にとってロシア語の学習は出世コースの1つだった。相手国のキーマンたちの行動とその動機を理解し、将来の動きを予測する必要があったのだ。ちなみに彼女の場合は、ロシア語の他にチェコ語、フランス語、スペイン語ができたそうである。ライス氏のロシア語力が最大限に活用されたのは父ブッシュ大統領のもとで実現した米ソの冷戦終結である。ウィキペディアには次のように書かれている。ライス氏は国家安全保障のアドバイザーだったブレント・スコウクロフトに見いだされ、政治の階段を上っていくことになった。
‘At a 1985 meeting of arms control experts at Stanford, Rice's performance drew the attention of Brent Scowcroft, who had served as National Security Advisor under Gerald Ford. With the election of George H. W. Bush, Scowcroft returned to the White House as National Security Adviser in 1989, and he asked Rice to become his Soviet expert on the United States National Security Council. According to R. Nicholas Burns, President Bush was "captivated" by Rice, and relied heavily on her advice in his dealings with Mikhail Gorbachev and Boris Yeltsin.’ ( ウィキペディアより)
今日、最も象徴的なのはイスラエルかもしれない。以前、「フィッシング」というインターネット犯罪の取材でイスラエルの情報セキュリティ企業を取材したことがあった。その施設には語学のできる人材が多数控えていると言われ、対象言語は100か国語以上に及んでいた。彼らはインターネット上のテロ活動を監視していたのである。フィッシングに関してはその犯罪で得た資金をテロ活動に活用している団体があると彼らは目を光らせていた。こうしたことができるのも世界各地に散らばっていたユダヤ人がイスラエルに移住したという背景があるからだろう。
だが、戦時中、日本の植民地下にあった国の人々にとってはこうしたことは自明だろう。植民地では日本語を学ばされたからである。同じことは戦後の日米関係にも言える。われわれは英語を日常的に話す必要こそないが、それでも英語を第一外国語からはずすことはできないのである。そして、英語の学習を始める年齢も低年齢化しているのだ。
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