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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2011年09月19日10時39分掲載
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文化
【演歌シリーズ】(18)番外篇 原発がひとのあかしを壊した―福島市、事故原発から北西へ60キロー 佐藤禀一
福島市。事故のあった福島第一原子力発電所(以下福島第一原発)から北西へ60キロ、警戒区域でも、避難指示地域でも、緊急避難区域でもない。しかし、風下に在り、モニタリングポストの線量は、比較的高く、ずーと毎時1.6マイクロシーベルト前後をカウントして来た。年に換算すると14ミリシーベルト。20ミリシーベルトより低いので安全?
◆福島市民は棄てられた?
いま、私たちは数量に振り回されていないか。放射能は、生命(いのち)とは、相容れない物質である。例えそれが微量であろうと人体に影響が無いわけがない。「長期間低線量被曝」は、前代未聞、「晩発性障害」の可能性がある。
自然界にも放射線が存在し、常に被曝している。大部分が空気で遮蔽されているが、太陽や銀河から宇宙線が発せられ、高度1万メートルを飛ぶ飛行機に乗っていると被曝する。そういうものも含めて、生命は、自然界に存在する放射線とは、バランスをとり、折り合いを付けて来た。地球上に、生命が誕生してから上手に付き合い、人間の体内に蓄積されることがなかった(尿で排泄されるなど)。原発から放出される放射能は、これらのバランスを崩している。また、ストロンチュウム90など自然界に存在しないものがあり、人間の体内の骨や臓器に留まり、放射線を出しつづけているのである。飛行機に乗っての被曝は、一過性のもので、微量被曝の安全論に持ち出す科学者がいるが、論外だ。
◆公表されたデータが信用できない
放射線量が増えた減ったで一喜一憂しているが、公表される元の数字がかなり怪しい。 その一例をあげる。
三月十二日、福島第一原発一号機が水素爆発、建屋がぶっ飛んだ。このとき、大量の放射能が、強風に乗って拡散。 <水素爆発後の放射能モニタリング> 一、国の公表データ 福島市 三月十六日午前八時 試料 上水 ヨウ素177ベクレル セシウム33ベクレル 二、福島県の調査データ 福島市 三月十五日午後六時二十一分 試料 雑草 ヨウ素119万ベクレル セシウム16万9千ベクレル
いずれも1Kg当たりである。国公表の数字は、日時、試料が違うとは言え、県調査数字の実に6千分の1ほど低い。県調査のこの数字が判明したのは、五十日後である。県は、国に連絡したが、当初公表されなかった。 また、メルトダウン(核燃料の大部分が圧力容器の底に溶け落ちる)が起きたのは、一号機三月十二日午前八時頃、二号機十四日午前十一時頃、三号機十四日午前十時頃であった。にもかかわらずTVに出演した学者達は、メルトダウンの心配ありません、と言いつづけ、この事実を経産省原子力安全・保安院が明らかにしたのは、三月十二日から八十日後。
日本の原子力発電所の歴史は、事故とその隠蔽の歴史である。“絶対”安全にとって事故があってはならないからだ。熱(ほとぼり)が冷めたと思える頃を見計らって公表しているとしか思えない。そして、科学者が“絶対”という最も非科学的なことを言いつづける矛盾を何故感じないのか……。
公表されたデータに話をもどす。六月七日に、国際環境NGOグリーンピースが、完全防護服装で福島市の調査に入った。高額高性能の数量計を手にしていた。<子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク>の依頼による。そのデータは、場所によっては、チェルノブイリ避難区域と同レベルであったと言う。この調査では、セシウムに加えてコバルト60まで検出された。
◆どのデータを信用しろと言うのか
福島市内の保育園・幼稚園・小・中学校の児童数がかなり減っている。放射線量の少ないと思われる地区の親戚知人を頼って転園・転校させているのだ。父と母子が離れるという別居生活が強いられている。 福島市民の間で、こんな言葉がささやかれている。「私たちは棄てられた」本当は、避難指示区域なのに、国も県も市も「逃げろ」と言えないでいるのではないか。フーテンの寅さんではないが「それを言っちゃおしまいよ」
福島市の約29万人。どこが受け入れてくれると言うのか。また、東北・山形新幹線、東北自動車道、国道4・13・115号線が寸断される。主な大・中・小企業の本支社、主な金融機関の本支店、デパート、スーパー、商店、飲食店、文化娯楽施設などなどが姿を消すことになる。とても「逃げろ」とは言えないのだ。
◆避難先に仕事はあるのか
働く場が無いと人の心は、荒(すさ)む。 常にも増して、福島市内の夜の飲食店が賑っていると言う。災害(原発事故対応)で関係官庁の職員が出張って来て、どのビジネスホテルも満杯、その人達が利用しているのも一因であろう。
一方、警戒区域の南相馬市、浪江町、富岡町などから福島市に避難している人が三千人を超し、その彼らも上客となっていると言うのだ。昼パチンコをする人もいるだろう。この人たちを批難する人がいるが、その批難は当たらない。 働くところが無い。一日することがない。あなたならどうする? 無論、ハローワークには、通っている。警備、園芸関係……仕事が無いわけではない。しかし、多くは、社会保障はなく時給制、怪我や病気になれば収入ゼロ。将来の見通しがたてられない。
原発事故は、放射能による健康被害は、言うまでも無いが、その周辺に住む人達の絆をズタズタにし(立地地区だけではない)、その周辺の農・漁業を潰し、その周辺の町を喪失させ、その周辺から逃げた人達の仕事を奪った。その結果、人々の心に寒々とした荒野を生じさせたのだ。
七月末現在、県外転出者数3万3千人強、福島市で避難生活をしている人も4千人を超える。今日の政界(野党も含め)財界そして、自治体に絶望するのは、避難生活を強いた後の人間の尊厳についての想像力に欠けていることにある。住居・インフラが最重要課題であることに間違い無いが(それも不十分)、政界、財界、自治体あげて働く場を創造しなければならないのに手をこまねいているとしか思えない。日がな一日何も出来ない人、農民・漁民にどう手を差し伸べるのか。
私は、後期一歩手前の高齢者であり、先が短いので被曝しても……という気持が無いわけでもない。でも、ここに書いてきた状況を肌で感じ、小さな庭の除草もせず生い茂るにまかせた放射能を含んだ草と地を見つめていると気持が沈み、毎日、鬱々としている。酒の量も増えている。働き盛りの人には、こうした気分に加え生きていることへの希望さえ失わせているのではないか、そう思うのである。
原発事故から、日を追うにしたがい気分が重くなり、なかなか筆をとる気分になれないでいた。この[演歌シリーズ]も五月六日の「『黒髪幻想』星野哲郎の情歌鵺」から休んでいた。福島第一原発から25キロに位置する南相馬市に住む詩人若松丈太郎さんの鋭い眼差しが見つめたつぎの詩に突き動かされ、連載を再スタートさせることにした。
「ひとは作物を栽培することを覚えた/ひとは生きものを飼育することを覚えた/作物の栽培も/生きものの飼育も/ひとがひとであることのあかしだ」「あるとき以後/耕作地があるのに作物を栽培できない/家畜がいるのに飼育できない/魚がいるのに漁ができない」「ということになったら」「ひとはひとであるとは言えない/のではないか」(若松丈太郎「ひとのあかし」同名詩集清流出版)
(作家、福島市在住)
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