ドイツの科学者に取材の段取りの為に日本から電話をしたことがある。その頃〜今もさして変わらないのだが〜互いに顔の見えない電話での英会話には中々骨が折れた。もちろん、僕はドイツ語は話せなかった。科学者は当方の心中を察してくれたのであろう、こう助け舟を出してくださった。
「英語が話しにくいのなら、フランス語はどうですか?」 「フランス語はできません」 「ではイタリア語はどう?」 「イタリア語はできません」 「スペイン語なら?」 「それもできません」
この人ナニモノなのか?科学者は語学の専門家ではないが、少なくとも、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語の5か国語を話す人だということがわかった。こうした人と接すると、語学に対する常識が覆される。欧州語だから、互いに関連があり、難しくないのだろう、と言えば言えなくもない。しかし、その後、僕はフランス語、英語、ドイツ語、日本語、スペイン語の五か国語を話すフランス人に出会った。
特殊な人、関係ない人と思えばそれまでである。しかし、今の時代、インターネットで様々な国の新聞や雑誌が読める。英語では得られない情報は山ほどある。英語以外の言語を学ぶには好条件の時代になったように思うのである。ユーチューブやインターネットラジオなどを使えばヒアリングのトレーニングもできる。
日本のインターネットで考えてみればわかることだが、日本のウェブサイトでいったい何%が「国際語」である英語で発信されているだろうか?世界の大新聞や著名な雑誌では英語版をウェブで出しているところが少なくないが、それでも原語から英語に翻訳されている部分は少ない。ましてや一般の企業や組織などで英語にいちいち翻訳して発信しているところは限られているのが現状である。さらにこの先、10年後、日本のウェブサイトの何割が英語で発信しているだろうか?こう考えれば英語が国際社会でいちばん普及している言語だとはいえ、英語で拾える情報は必ずしも多くはないことに気づかされる。だから、第二外国語をやっておくと得なのである。
しかし、こう思う人は多いのではないか。「英語ですら苦労しているのに、その他の言語なんて冗談じゃない・・・」僕も長年そう思ってきた。だから、英語が一人前になるまで他の言語を学ぶどころじゃないな、と思えたのだ。
最近では英語も小学校から始めるようだが、以前でも中学、高校の6年、さらに大学に行けば全部で10年も英語に費やした。しかし、ほとんど使い物にならない、と思っている人が9割方ではなかろうか。英語の難攻不落の壁によって日本人は「英語の呪い」にかかっているのである。「英語ですら10年かかって全然モノにならないのに、他の言語なら何年かかるんだ?」そこでもう一つの言語の習得など、遠大かつ不毛さらに無謀な計画に思えるのである。
しかし、それは勘違いなのである。語学を完璧にやろうとするからできないのである。それははなから無理だ。語学と数学の達人、ピーター・フランクル氏は語学の目標を高くしない方がいいと書いている。最初は小中学生レベルでもいい。余裕に応じてレベルを上げていけばいいという考え方である。そして、それ以上に大切なことは何のために語学をやるか、という具体的な目標を持つことだとフランクル氏は説く。僕の場合も目標は高くない。その国の新聞が読めればよい、というところで線を引いているのである。
まず基本的な文法書を買って文法を学ぶ。そうした本はたいがい1カ月程度で全課程を修了できるように書かれている。実際、枝葉末節は省き、基本だけを学ぶにはその程度でよいのである。後は単語や動詞の活用だが、これは時間のある時にコツコツ足していけばよい。だから、最初の一歩を踏み出すのはそれほど難しいことではないのである。そして、必ずしも語学を完成させる必要はないし、レベルを高くする必要もない。自分の目標が達成できたらよいのだから。今の時代、大切なことは語学を学ぶ敷居を低くすることだと思えるのである。その時、「英語の呪い」から解き放たれなくてはならない。
今年8月末に刊行されたばかりのナツメ社「イラストでわかるイタリア語文法」(京藤好男著)はそういう意味で、もっとも敷居を下げてくれる本の1冊だろう。京藤氏はまえがきでこんなことを書いている。
「文法はその言語のルールや仕組みをまとめた、いわば「ことばの地図」です。・・・最初に必要なのは、その言語の全体像、いわば「町の外観」を把握することです。目印となる建物、主要な道路、駅やバスの停留所などをざっと頭に入れておけば、地図なしでもかなり歩き回れると思いませんか」
この小中学生レベルの基本を短期間に頭に入れておくことが大切なのである。後はその人のやる気と時間次第でどこまでも上げていけるのだ。最初に脳の中に基本ソフトを入れておくことが大切だと言っているのである。実際、この本は日曜の朝読み始めて正午には読み終えてしまった。その時、イタリア語はできるな、と思えた。うぬぼれているのではない。最小限の基本ソフトというのはそのくらいの量なのである。この本は無駄なく、無理なく大切なポイントだけを非常にわかりやすく説明してくれるのでありがたい。優れた教師は生徒をやる気にさせるものである。
■京藤好男(きょうとう よしお)氏
NHKラジオ・イタリア語講座講師。現在、複数の大学で非常勤講師をつとめる。東京外大を経て1995年、ヴェネツィア大学へ留学。(ナツメ社の本を参照した)
■ピーター・フランクル氏 (数学者・大道芸人)
ウィキペディアによると、母語のハンガリー語のほか、ドイツ語、ロシア語、スウェーデン語、フランス語、スペイン語、ポーランド語、英語、日本語、中国語、韓国語の計11ヶ国語を大学で講義ができるレベルまで使いこなすことができ、加えてインドネシア語とチェコ語でも日常会話が可能である(『ピーター流外国語習得術』より)。
■《インターナショナルヘラルドトリビューンの論客たち》(2) アフガンからの撤退を説く元CIAカブール支局長グラハム・フラー
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200908130026264 「1988年2月15日付けのニューヨークタイムズによると、「外国語をどう学ぶか」という本を書いています。フラーは16ヶ国語を学び、特にロシア語、トルコ語、アラビア語、中国語は堪能。またフランス語、ドイツ語、ペルシア語もまずまずできるそうです。本当ならすさまじい語学力です。」
僕は語学のうんちくを偉そうに語ってきたが、もしこんなホンモノの語学の達人たちが身の回りに現れたら自分と比べてがっくりするだろう。
|