古代ローマ帝国域内にあった国々の言語は帝国の解体後、ラテン語をベースにしながらもやがてフランス語やイタリア語、スペイン語などになっていった。サッカー日本代表のフィリップ・トルシエ監督の通訳をしていたフローラン・ダバディー(Florent Dabadie,1974-)氏はフランス人だが、「フランス語と日本語、英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、韓国語の7か国語を操る」(ウィキペディア)とされる。この話はダバディー氏の日本滞在記「「タンポポの国」の中の私」の中で読んだ記憶がある。ダバディー氏はこの本の中で、フランス語を母語とする自分から見ると、イタリア語とポルトガル語は覚えやすいが、スペイン語は少し難しいといったことを書いている。
「・・・ちょっとまともなフランス人が、その気になりさえすれば、イタリア語は1年で充分マスターできます。同じラテン系ということもあって、イタリア語とフランス語はすごく近い。・・・ところが、スペイン語になるとまた少し違うのです。イタリア語、ポルトガル語と比べると、フランス語とは少し距離があります。でも、とにかくむずかしいのは英語。もうぜんぜん違いますから。」
同じラテン語系の言語なのに、スペイン語にはイタリア語やポルトガル語とは違う何かがあるらしい。しかし、欧州人ではない日本人から見ると、その違いはよくわからない。
地理的に見ると、スペインとポルトガルは隣り合っているし、フランスから見ればスペインの方がポルトガルよりも近い。それなのになぜポルトガル語の方がフランス語に近いのだろうか。それに、以前この新聞に書いたことだが、ポルトガル語とスペイン語の文法はかなり近いように僕には感じられた。さらに僕にはフランス語とイタリア語の間よりもスペイン語とイタリア語の間の方が近いように感じられるのである。日本語を母語とする僕から見ると、ダバディ氏の書いていることに違和感があった。そもそも、ダバディ氏が感じるスペイン語のフランス語からの遠さはどこに原因があるのだろうか。
フランス語、イタリア語、英語、スペイン語を解するパスカル・バレジカ氏に問い合わせてみた。バレジカさんは「フランスからの手紙」を寄稿していただいている著述家・翻訳家でチェコ系フランス人ある。
「これはちょっと入り組んだことだよ」とバレジカさんは答えを送ってきてくださった。「たとえばフランス語はイタリア語と英語の中間にある。フランス語はゲルマン系言語に近いラテン系言語なんだ。一方、英語はラテン系言語に近いゲルマン系言語。スペイン語が他のラテン系言語と違っているのは、多くのアラビア語がスペイン語の中に入っているところにある。」
アラブ系民族のイベリア半島への侵入によって、スペイン語にはアラビア語が多数含まれることになった。が故に違った風味があり、他のラテン系言語圏の人間には類推がきかない部分があるということのようだ。またバレジカさんはこんな話を教えてくださった。
「青色という色彩を表す言葉について、欧州にはこんな話がある。ラテン語にはcoelestisという言葉があったけれど、言葉のパワーに欠けていたため歴史の中で消えてしまった。かろうじてフランス語の中にはcelesteという言葉が詩的な表現の中でその名残をとどめているだけだ。その代わりにフランスではbleuという言葉を使うようになった。これはゲルマン系言語から来た単語で、英語ではblue 、ドイツ語ではblauという単語に対応している。
一方、スペイン語は青色についてはazulという言葉を採用した。これはアラビア語から来た言葉だ。で、イタリア人はというと、ゲルマン起源とアラビア起源の両方の言葉を使うことにした。bluはダークブルー(暗い青色)、azzurroはライトブルー(明るい青色)という風に使い分けたんだ。だから、イタリア語の青色には二つの単語がある」
イタリア語にはゲルマン系言語に由来する青とアラビア語に由来する青があるという。 念のため小学館の「ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典」を紐解いてみると、ゲルマン系のbluは「濃い青の、紺色の、藍色の」、と書かれている。また、「bluの血を持つ」という慣用表現は「高貴の血である」とか「貴族出である」という意味と書かれている。職種を指す現代語「ブルーカラー」のブルーとは違ったニュアンスを持っているようである。
一方、同じくイタリア語の単語でアラビア語に由来するazzurroは「青い、青の」「青色、青空」という風に一般的な青に近い言葉のようだ。注釈として、celesteは快晴の空の青、bluは「暗い青」「紺」を指すとされる。イタリア語ではラテン語に由来するcelesteもまだ名残をとどめているようである。そこでまとめてみると、明るい方からceleste(ラテン語系) →azzurro(アラビア語系) → blu(ゲルマン語系)となっている。
ところでフランス語だが、仏和辞典を引いてみると、フランス語の中にもアラビア語から由来するazurという単語はある。ただし、ゲルマン語系のbleuよりは出番が少ないのかもしれない。僕が使っている白水社の仏和辞典「Le Dico」でそれぞれ単語の説明に割いているスペースの割合で単純に比較してみると、bleu に54行割かれているに対して、azurはわずか5行である。使用例として南仏のコートダジュール(Cote d’Azur)があげてある。azurは空や海の青、紺碧の青というイメージのようである。しかし、bleuも晴れた青空の青色を表現しているので、やはりフランス語ではbleuがメインになっていると思われる。 またフランス語に残るcelesteには「空の、天の」あるいは「天上の、神の」「天上的な、妙なる」といった意味がある。しかし、青色という意味合いは特にないようだ。イタリア語のcelesteには「青」が残されているに対して、フランス語のcelsteはbleuに色彩的な意味を奪われ、観念上の「天」という意味をとどめるばかりのようである。
ラテン系、ゲルマン系、アラビア系、(それにギリシア系もあるかもしれないが)、これらの言語が歴史とともに入り混じり、欧州言語の相関関係を作っているのである。
【パリの散歩道】(4) 「パリは死につつある」と語るパスカル・バレジカ氏(著述家)http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201003231226212
■フローラン・ダバディー氏 パリ生まれ。アメリカのUCLAに留学したのち、パリ東洋語学校日本語学科に学ぶ(本当は韓国語が学びたかったという)。静岡大学に留学後、1998年、映画雑誌「プレミア」日本語版の編集者となる。同時にフィリップ・トルシエ監督の通訳に採用される。父親は著名な脚本家・映画監督のジャン=ルー・ダバディー(Jean-Loup Dabadie, 1938-)氏。
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/profile_dabadie.html
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