野田首相は2011年11月中旬米国(ハワイ)で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議でTPP(環太平洋経済連携協定または環太平洋パートナーシップ協定)への参加方針を表明した。これをきっかけに新聞投書で活発な賛成・疑問の論議が盛り上がった。 賛成派の主張は、やや農業問題に集中した印象で、農業衰退に歯止めをかけるためにもTPPへの参加によって農業改革を進める必要があると唱えた。一方、疑問派は農業に限定しないで、むしろ日本経済や日本人の暮らしのあり方にまで視野を広げて論じている。もちろん意見は自由で、人それぞれでいいが、TPPはアメリカ主導型であることに着目すれば、やはり疑問派に軍配を挙げたい。
新聞投書欄である朝日新聞の「声」、毎日新聞の「みんなの広場」に11月から12月にかけてTPPにかかわる多数の投書が寄せられた。その中からいくつかを投書の見出し付きで賛成派、疑問派別に以下に紹介し、最後に「安原の感想」を述べる。なお掲載新聞名、投書者の氏名は省略した。
(1)TPP参加賛成派の主張
*TPP参加で農業の大改革を(無職 男性 80歳 栃木県) 貿易立国を国是とする日本のTPPへの参加は経済拡大のために当然である。民主党のTPP慎重派は日本農業が壊滅すると強く反対している。慎重派は日本農業の現状を認識しているのだろうか。 農業の主役、コメ作の担い手は高齢化し、後継者も不足し、減反で広大な耕作放棄地が生まれ、農業はすでに壊滅状態にある。今まで農業改革のために巨額の資金が投入されたが、農業の衰退は止まっていない。 慎重派は、農業の現状を認識し、世界の農業を視野に入れ、TPP参加を機に農業の大改革を実施すべきだ。米作の再生には、農地の集約による経営規模の拡大が不可欠だ。日本農業の技術水準は世界の先端にある。経営規模を拡大すれば、競争力が強化され、コメの輸出も展望できる。
*TPP参加、日本経済に必要(会社員 男性 45歳 山形県) 日本は長く低成長とデフレにあえぎ、企業は超円高の影響で海外脱出の動きを見せ、産業の空洞化が起きている。国民は将来への不安から閉塞感を強めている。TPP交渉への参加は、日本の構造改革を進め、経済立て直しには必要であり、今後は交渉を通して日本にとって良いルール作りをしていくことが重要だ。 日本が何を守り、何を譲歩できるのかを考える必要がある。自由化で壊滅的な打撃を受けると言われる農業分野は、特に慎重を期す必要がある。今後は、国際競争力の強化や効率化などの改革を進めていかなければならない。また、自由化で今の医療制度が崩れるといった不安を取り除かねばならない。 10年以上先の日本を見据えながら、強くなる日本の将来に期待したい。
*TPPで大揺れは情けない(無職 男性 84歳 神奈川県) 首相の交渉参加表明を農業関係者や自民党などが批判している。だが、今のままでは高齢化が進む農業に未来はない。若い層に魅力ある農業にするには、より効率的で付加価値の高い農業に変えて競争力をつけることが必要で、それを妨げている様々な規制を緩めることが不可欠だ。そのためにこれまで、行政や農協はどれだけ尽力してきたのか。むしろ規制緩和を妨げ、先駆的な取り組みをしている農家の首を絞めてきたのではないか。 一方、自民党は自由経済支持ではなかったのか。首相の交渉参加表明に反対する国会決議に賛成できないとした小泉進次郎衆院議員を衆院議院運営委員会の委員から外したことは、責任政党としてとても信じがたい。TPPで大揺れする現在の姿は情けない限りだ。
*TPP反対の農業、振興策示せ(無職 男性 67歳 山形県) 農業界は、日本農業が壊滅すると大反対だ。しかし農業を自滅から救う振興策があるなら、農業界は示して下さい。それができなければ負け犬の遠ぼえだ。 2010年度農業白書によれば、、農業生産額は20年で3割減少した。若い人は農業を継がず、農業従事者の半数以上が高齢者で、耕作放棄地が増えている。これでは日本農業は自滅し、国民に食糧供給の責任を果たせない。 戦後、農業以外の産業は大変革を遂げたのに、農業は手厚い補助金に守られ、多くの農業者は経営改革を怠ってきたのではないか。その結果、畜産などを除き、稲作農家の1戸当たりの生産規模は昔と同じで、コメの価格が国際価格と桁違いに高くなった。 農業経営をする意志の強い農業者に農地を集中させるなど、農地解放に匹敵する大改革をしなければ、日本の農地は荒れ地に変わってしまうだろう。
(2)TPP参加疑問派の言い分
*TPP「経済優先」見直そう(医師 男性 56歳 群馬県) 脱原発か否か、TPP参加か否か。論の対立構造に根深く存在するのは、経済を最優先するかどうかということだ。 原発再稼働をせず、さらに原発輸出の動きも鈍くなれば、日本経済の成長は困難になろうし、国民生活の快適度は後退するだろう。TPPに参加しなければ、輸出依存度の高い我が国の製造業は苦境に立たされ、経済が冷え込む可能性は大きい。しかし国民が最も必要とするものは、果たして経済成長なのか。 TPPに参加すれば、米国流の市場原理主義が我が国の農業や医療分野を席巻する可能性は否定できない。食料安全保障や環境保全といった公益的機能を持つ農業や、国民の生命・健康に直接関わる医療に市場原理はなじまない。先進国の中でも低い食料自給率をさらに減らし、その上、遺伝子組み換えかもしれない輸入食物に依存するような生活になってもよいのだろうか。米国のように貧富によって医療の差が生じることとなってもよいのか。 国民の中には、快適性・利便性ばかり追求する物質的に豊かな生活から決別してもよいと思っている人も多いのではないか。
*TPP、美しい農村守れない(大工・農業 男性 60歳 長野県) 野田首相が交渉参加を表明した記者会見などで「美しい農村を断固守り抜く」と発言していることに、強い違和感を覚える。 参加の理由は、総合的にみて国益になると説明している。しかしいくら貿易全体で黒字になっても、国内の人々の暮らしが壊れては仕方がない。 農業再生の基本方針では「規模の集約化や拡大」に向けての政策を重点目標としているが、大規模化に成功した基幹農家だけが残っても、荒廃する農地はいっそう増えるように思える。大規模農家は効率の良い農地のみを耕作して、耕作されない荒廃した農地が増えるのではないか。 日本の食糧は、中山間地で中小農家が作る農作物に支えられてきた。大きな災害や気候変動が地球規模で起きたら、日本への食糧援助をしてもらえるだろうか。暮らしの基本的な必需品は自給できる力を持っていたい。 TPP参加と「美しい農村」の保全は矛盾しているのではないか。
*TPP 交渉力の落差は歴然(無職 男性 60歳 千葉県) 私は15年前、業界団体の事務局に出向中で、日米協議に内実をつぶさに知る立場にいた。日本に根づく商習慣を非関税障壁と決めつける米国流の交渉術に閉口し、日本の弱腰外交に切歯扼腕(せっしやくわん)したものだ。 米国は、国際ルールより国益を優先し、堂々と内政干渉してくる国だ。今の米国の緊急課題は輸出拡大であり、それによる雇用の拡大だ。そんな状況で日本の参加は、まさに飛んで火にいる夏の虫。現在の日本の外交力をもってTPP交渉に参加したところで我が国益を確保する勝算があるとは思えない。不平等な条件をのまされるだろう。先に米国と自由貿易協定(FTA)を結んだ韓国でも懸念が広がっているではないか。 TPP問題の本質は、貧富の差の拡大を招く市場原理主義的米国型資本主義の是非にある。米国主導の資本主義では、何度も金融危機を繰り返し、格差社会を拡大することは明らかだ。この際、対米追従を脱し、日本独自の資本主義を構築し、むしろ新興国と米国の懸け橋として日本が存在感を出す道を模索すべき時である。
*TPP参加 国民の熟考必要(主婦 53歳 静岡県) 近頃とみに生の声が聞かれない野田首相。泥の中に潜り込んでしまったかと思いきや。ひょっこり世界の舞台上に顔を出し、国際社会にとっては聞こえの良い発言が目立つ。 まさかTPPでも国民が置き去りのまま、事実だけが進行していくのではないかと、私は近頃恐ろしく不安な毎日を送っている。拙速に参加すれば、必ず大きなひずみと後悔が生じよう。 自国の生き残りにかける米国のわなにかかり、都合良くなすがままに吸い尽くされてしまいそうな予感がしてならない。 米国は早く早くとせっつく。セールスマンが質の悪い商品を買わせようとする時、締め切りを設け、もう二度と手に入らないのだからと詰め寄るものだ。 若い世代の雇用はTPPで解決するのか。まず国民にきちんと情報開示し、熟考させてほしい。
*普通に暮らせる幸せな国に(介護支援専門員 女性 51歳 千葉県) 通信大学で社会福祉を学んでいる。ある先生は子どもたちに「福祉」とは、「ふ・つうの く・らしの し・あわせ」と教えているそうで、特に今年は、この言葉の意味を考えさせられた。 自殺者3万人、貧困率16%、非正規雇用で生活がやっとの人、生活保護受給者の増加など、利益優先で搾取され放りだされた人たちの現状だ。血税はずる賢いキツネのような人たちに奪い取られ、必要な庶民には回ってきていない。タイの洪水や世界情勢の変化など、企業の国外進出が安全とも思えない。それより経済界が見捨てた人たちを大切な消費者の一人と考え、自分たちの給料を減らしてでも正規雇用を増やし、国内消費を増やすほうが良いと思う。 TPPの外圧で、硬直化したシステムをガラガラポンすると考えるのは危ない。日本が他人のことを思いやれる「普通に暮らせる幸せな国」になってほしいと願う。
(3)安原の感想 ― 主張に厚みのある疑問派に軍配
TPP賛成派の主張の要点は以下のようである。 米作の農業はすでに壊滅状態にあり、それは手厚い補助金に守られ、経営改革を怠ってきたためではないか。だから農地の集約による経営規模の拡大が不可欠で、それによって競争力が強化され、コメの輸出も展望できる、と。
新聞投書にうかがえるTPP賛成派の視点は農業(注)に集中している印象がある。しかも経営規模の拡大こそが決め手で、それによって競争力の強化を目指し、工業分野と同じ発想で、輸出を増やそうという意識が強い。 (注)TPPの対象範囲は、農業に限らない。すべての物品の関税撤廃を原則としているほかに金融、保険、公共事業への自由な参入、さらに医療の規制緩和、労働者の移動の自由化なども含まれる。国民生活や社会を守る制度・仕組みは国によって異なるが、例えば日本の食品安全基準を「非関税障壁」として緩和・撤廃をめざすものである。これにはアメリカの農業大国としての地位を守るほか、アメリカ流国内基準を海外に強要しようという狙いがあり、アメリカ主導であることは明確である。TPPが実現すれば、日本の食糧自給率は、現在の40%から10%台へ低下するという農林水産省の試算もある。
一方、TPP疑問派の言い分の大要は次のようである。 ・国民が最も必要とするものは、果たして経済成長なのか。国民の中には、快適性・利便性ばかり追求する物質的に豊かな生活から決別してもよいと思っている人も多い。 ・TPP問題の本質は、貧富の差の拡大を招く市場原理主義的米国型資本主義の是非にある。米国主導の資本主義では、格差社会を拡大することは明らかだ。 ・TPPの外圧で、硬直化したシステムをガラガラポンすると考えるのは危ない。日本が他人のことを思いやれる「普通に暮らせる幸せな国」になってほしい。
TPP賛成派の関心が農業批判にやや特化しているのに比べて、疑問派は多面的で厚みのある主張となっている。それは経済成長への批判であり、市場原理主義的米国型資本主義の是非であり、他人のことを思いやれる「普通に暮らせる幸せな国」への願望である。なぜこのように捉え方が大きく異なるのか。 察するにTPP賛成派が産業や貿易の次元で考えているのに対し、疑問派は経済や暮らしのあり方の根幹にかかわる問題として受け止めようとしているためではないか。言い換えれば疑問派は日本の経済に限らず、日本人の暮らしのあり方を変更して米国流の好みに合わせていいのか、という懸念から出発しているためだろう。私(安原)としては、この疑問派の視点に賛成であり、軍配を挙げたい。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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