アフリカからEメールが届いた。
「僕はここに最低でも月に一度は来ることだろう。よそに移動する前にだね。これから僕はもう一度北に向かって3週間移動する。そこでラクダやヤギを飼っている遊牧民の一家と暮らすんだ。彼らの生活のリズムやデテールをもっと知りたいと思っているのさ。」
Eメールの送り主はスロベニア人の作家アンドレイ・モロビッチ氏。スロベニアでは13冊本を出しているそうだ。モロビッチ氏が「ここ」と書いているのはアフリカ北西の海岸にあるヌアクショット(Nouakchott)という町である。モーリタニアの首都だ。モロビッチ氏は中古の軍用トラック一台を家代わりにしてサハラ一帯で放浪生活を送っている。砂漠地帯と海沿いをさすらうことが心の平和になると言う。ヌアクショットは第二の故郷だという。僕がモロビッチ氏と出会ったのは北アフリカのとある辺境地帯だが、それについてはいつか書くことになるだろう。
「君は僕のことをモダン・ノマドと呼んだらいい。僕には財産もなければ、株もない。子供もいないし、持とうと思ったこともなかったよ。僕は1960年にリュブリャナで生まれた。その頃はユーゴスラビアだった。僕は18歳になると外国生活を始めた。イタリア、ベルリン、ニューヨーク、シドニー、スペイン...その頃僕は都会生活に憧れていた。でも、今はまったく逆だな。僕はトラックに乗り、旅をする。できるだけ金を節約して、自由を維持するんだ。
北西サハラにやってきた理由は、生活費がとびきり安いことを別にすると、僕には砂漠への情熱があるんだ。砂漠は広大で、空虚で、清潔だ。僕にはもう一つ情熱があるんだが、それは海なんだ。残念ながら、僕にはボートを買う金がない。もしあればボートで暮らしたろう。時々僕は海沿いに家を借りてつかのま落ち着いた暮らしをする。
僕はずっとインディペンデントのアーチストだった。インディペンデントのアーチストなるものがもしあればだけどね。今までやってきたことは映画製作者、写真家、劇作家、花火師、そして文化イベントや文化祭りのオーガナイザーなどだ。僕は人生の7年間をリュブリャナにある「AKCメテルコーバメスト文化センター」に捧げた。これはもともと軍の本部があった建物なんだが、1993年に僕らが占拠して使い始めた。ユーゴスラビアが解体して2年後のことだ。
当時、僕はいろんなことをやったけどそこに劇場(Teater Gromki)と集会場(Klub Gromka)を立ち上げた。僕らの哲学は<労働とは面白くあるべきもので、労働者は奴隷ではない>というものだ。制度化された芸術や文化を僕らは拒否した。僕らの活動がユニークだったので、世界各地から著名な文化人たちがやってきて無料でパフォーマンスを披露してくれたよ。彼らの多くは音楽家だった。メテルコーバメスト文化センターが首都のリュブリャナよりも名が知られた時代があったのさ。
楽しむことは別にして、僕らには理想があった。経済的かつ社会的に自立することだ。そしてもう一つ、<平等であること>。たとえば、僕らの文化センターでは掃除人や警備員、修理屋といった地位が低く見られる人々がいちばん高い賃金を得た。決定にはみんなが参加した。僕らは小所帯だったからうまくいった。しかし、2000年ごろから、僕は次第にこの活動から遠のくようになった。AKCメテルコーバメストは今も存在している。多少変わったし、昔のようなクリエイティブで反逆的な精神は多少失われたが、それでも欧州では最も成功している独立した文化センターであることは間違いない。
僕はどんな時も作家だった。本は13冊ほど出した。でもまだ外国語にはほとんど翻訳されていないんだ。僕の文体には実験的なところがあって翻訳しづらいことが大きな理由だが、もう一つの理由としては僕の政治的なスタンスにあるのだろう。僕は中道左派よりももう少し左に位置する。しかし、最近では物事が少しずつ変わりつつあるようだ。」
■メテルコーバメストの集会場
http://www.klubgromka.org/ 寄稿 アンドレイ・モロビッチ(Andrej Morovic) 翻訳 村上良太 (Ryota Murakami)
■モロビッチ氏の紹介文
http://www.kibla.org/en/sections/zamisel-bookstore/archive/2010/andrej-morovic-in-si-tu/
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