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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年01月24日10時34分掲載
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文化
【核を詠う】(27)正田篠枝遺稿集『百日紅ー耳鳴り以後』短歌を読む(4)「われ死なばこの目与えんと言いたれば被曝眼球は駄目といわれぬ」 山崎芳彦
ひき続いて、正田篠枝さんの『百日紅』収録の短歌を読みたい。
ひろしまの川 川の潮みちはじめると竿持ちて釣する子らの澄みし声する
澄みし声沙魚(はぜ)釣の子らし聞こえ来る屍体浮かびしかの日の川よ
夕映えの川面にうつる専売公社萌ゆるみどりもゆれゆれゆれる
美くしきみゆき河畔に住まい生き岸辺にたちて夕映えに泣く
焼死せし人の悲しみ大川の畔りに立ちて思いつめいる
月の影流るる水に輝けば沁む思いありひしまの川
つったって川辺で泣きしことの夜もなべてむなしくいまは過ぎたる
ひろしまの川は歴史の川であり詩の川かなし思い出の川
働ける者ら歌いて赤き旗靡かせ渡るみゆきの橋を
愛と死をみつめて生きるわがたつき暁の光りは心にひびく
この病癒ゆると思わず夜の川にアンプル流す今宵石の音
鏡なすたいらな水(み)の面(も)にアンプルを浮かべば波紋円に広がる
ひろしまの川にアンプル流しつつ癒ゆる日なくとも悔いなきおのれ
正田さんが一九四五年一月から二十年余、入院や上京した期間を除いて生活した広島市平野町を京橋川が広島湾に向って流れている。原爆の爆心地から1.7キロの地の自宅で父・逸蔵とともに、ここで正田さんは被爆し、その後、この自宅で歌集『さんげ』の秘密出版の準備をし、それをなしとげ、また再婚、出産、離婚、父の死を経て、生活のために割烹旅館・河畔荘、改築しての下宿業と、死去するまでの彼女の生活の根拠地は、この川の傍にあった。自宅の近くには御幸橋があった。京橋川といい、御幸橋といい、美しい名ではあったが、その地で原爆に被爆し、父をはじめ多くの縁者や知る人を喪い、自身も原爆後遺症との痛苦に満ちた闘病と、生活のための労苦を重ねた正田さんであった。その傍らを流れる川を詠った短歌や詩作品は数多いが、上記の短歌の中の川の表情も、それを眺め詠う正田さんの心情もひといろではなく多彩であった。
こころ通うひとびと 雨漏りの修理ブリキ屋子が欲しと被爆の嫁の死産を告ぐる
ひろしまに生まれ育ちて生き残る被爆者われら死の恐怖持つ
月末の集金人の三人は被爆者なりし蒼白きかお
吹雪ふる己斐の広場に抱きよりし三人の孤児が思われてならぬ
洗い張りにひそと暮らしをたてている被爆者を訪ねていたわるわれ は
原爆にて盲(めし)いとなりし廿才(はたち)の娘(こ)にわれ死なば与え んこの眼球を
われ死なばこの目与えんと言いたれば被爆眼球は駄目といわれぬ
またここに椿一輪落つごとくひとひとり世を去りて逝かせる
原爆被害以来両眼あれどみえぬひとの幾万人ありや思うも無残
これの世は水に絵を描くごとし背の痛み耐えひとり寝につく
正田さんは、原爆被爆後遺症に苦しむ人々とこころを通わせる。歌集『さんげ』発行について「(原爆のために)即死され、また後からなくなられたひとをとむらうつもり、生き残って歎き悲しみ、苦しんでいる人を、慰めるつもりで歌集『さんげ』をつくりました。」(『耳鳴り』)と記した正田さんの作品は具体的でしかも心がこもる。抽象的にはならない。 眼についての歌がある。原爆後遺症の中で外傷性のもののほかに原爆白内障や放射性そこひなど眼球異常が多いことが、被爆後10数年を経ての被爆者調査によって明らかになっている。
大江健三郎氏の『ヒロシマ・ノート』に正田さんについての記述があるが、その中に上記の短歌のうちの眼について詠った二首について触れている。正田さんに関する記述の部分は次の通りだ。
「いま原爆症の病床にある正田篠枝さん、占領下の一九四七年に、沈黙を強制されていた被曝者たちのなかから、原爆ドームをえがいた扉に<死ぬ時を強要されし同胞の魂にたむけん悲嘆の日記>という歌をそえた歌集『さんげ』を非合法出版して、原爆のもたらした人間的悲惨の最初のスケッチをおこなった、この不屈の歌人の詩と歌も、ここに(『ひろしまの河』十一号 筆者注)掲載されている。詩はルメー将軍への叙勲をはげしく批判したものである。そして悲痛な問答体の二種の歌。ここにもられた、一つの論理的な対話は短歌という形式のもっとも凝縮された一典型であろうと思う。そこに漂っている苛酷なにがいユーモアは肺腑をつらぬく。 原爆にて盲目となりし二十歳の娘われ死なば与へむこの眼球を われ死なばこの眼与へむと言ひたれど被爆眼球は駄目といはれぬ」
引用されている歌の表記は『百日紅』のものと仮名遣いと、二首目の「言ひたれど」(『ヒロシマ・ノート』)と、「言いたれば」(「百日紅」)に違いはあるが、それぞれに従った。大江氏の言うように、正田さんは「不屈の歌人」であると評価するのに、筆者も同意する。いわゆる歌壇での評価は区々であるが。
後遺症 原爆にあいしお互い病状をつぶやきあいぬ歌会のはじめ
このごろはからだ如何がと問わるればありがとうのみいうて黙しぬ
原水爆禁止運動のあのひとは健やかなるやカンパに立てり
原爆病院で賜わる薬一粒が定量なるに二粒のみぬ
久びさに逢う友むくみとは知らずよく肥えしとわれに言うなり
窓の外の女労務者の頬かむり遠ざかるまで羨しく見つむ
そのむかし創(きず)ひとつなく生まれしをいまは父母なく創(きず)に つつまる
特別の被爆手帳を受けし身の生き残る生命しみじみ思う
「落ち込む」と医師に告ぐれば原爆病院入院を強いらるならんアンプ ルを切る
かがさずにのみて元気になりたしよ厨の棚の薬が匂う
指圧師は血の疾患とつぶやきぬ原爆後遺症とはつゆ知らざりき
細紐のひともとさえも重苦し水玉模様のネグリジェの夏
大声に叫びてもみんこのような躯(からだ)になるな原爆許すな
平和行脚団を迎える 長崎広島間延々七百粁を降りつづく雨を冒して平和行脚団到着す
平和行脚団に交る尼僧のまなこ澄みひたむきの顔おごそかに見ゆ
こうもり傘の杖をたよりの老女あり列のうしろより碑に掌を合わす
十八年前の惨禍を地上に繰り返させじの叫びを聞けば身ぬちじんじ ん応(こた)う
瓶にさす南天の水へるさへも嬉しよ南天生きるしるしと
行脚団にありがとうさまと心に念じ白百合の花を慰霊碑に供う
十八年前は原爆の「ゲ」の字も言われざりきいま平和行脚団迎えて思 う
生命(いのち)あり一念持(じ)してあゆみなばついにとどくと教えられ たり
平和へのねがい 熱烈なる君を尊び慰問品持ちて寄りゆくすわりこむ座に
慰霊碑の前の供花は露ふくみ核実験停止嘆願の座は静か
小雨振る宵のテンとは暗くしてすわりこむ座の筵も濡れぬ
うつぶしてつどいて座せし学生にわが身じんじん引き締めらるる
強き国核実験をきょうそうすこのいきどおり誰に訴えん
被爆者の心理探究リフトン教授アメリカより来るわれはさみしも
放射能ふくむ雪ぞと新聞に告げてあれども子らはたわむる
これの世に原水爆を無くせねばならぬ望みを捨ててはならぬ
白髪のラッセル卿のこと聞かされて偉いとおもう尊しとおもう
嬉しみし平和憲法十五年過ぎて改正と聞けばおののく
武器持たぬわれら国民(くにたみ)ほこりしをそのほこりすら消え失せ んとす
人類の福祉のため平和憲法どこどこまでも守りぬかねば
墓地 つゆ晴れ間来し墓所は静かなり花さすくぼみ水あふれいる
被爆してつみ置かれたる墓碑の石倶会一処の文字もゆがめる
鶏頭が芽吹きて赤く茎のびおり墓に花さすほとりの土に
野仏は葉桜かげに立たしますほのぼの青く足もとに蘭
香椎の家 ひそやかに草抜き小石集め聞く香椎の森の葉のすれる音
草抜きつ小石拾えば珍らしき小石もありぬ捨てがたかりき
あかときにひとり起き出で草抜けば萩の葉の露ゆれて濡らしぬ
色づきしどくだみ草を抜くあしたわがなすしぐさ世に役立たず
散り残る香椎の夜の萩の枝垂るるも哀し秋ふかみゆく
なにをなし名を挙ぐるやと悠二君わが父に似ているが愛(かな)しき
われのためにキャンプファイヤーひらきくるる火の燃える色涙でう るむ
腕時計形見に与えいま何時(なんじ)問わねばならぬ生命があれば 死ぬるとは思わぬゆえに死ぬ話し微笑みはすれど涙がにじむ
死ぬとせばものみな暗し香椎なる並木の椎の葉も黒く冷ゆ
原爆症乳癌検診手術後のしこり独りさわりぬコスモスゆるる
櫛の歯が四本折れぬこの朝(あした)医師の告げたる乳癌にこだわる
ゆく秋の夜に鳴くひとつこおろぎよお前元気か問わずにいられぬ
よこたわり蒲団(ふとん)の下に掌を合わし息止め骸(むくろ)のまねを してみぬ
われの死を思えばなべて沈み込み悲しかれども蒼空きれい
いつまでも生きる生命とおもわねば眺めて過ぎぬ博多人形
来る年の香椎の庭の萩の花見えぬ身なりと思えば悲し
平和を願い、原爆禁止運動に加わりながらさまざまな体験をし、さらに日々の生活の中のいのちを思う作品を読みながら、生きたいと願いつつも迫り来る死を受け止めなければならない心情を詠う正田さんを思えば、原爆・核放射能の人間にもたらす底知れない加害の非道さへの怒りはつのる。そして、正田さんの作品を読むことは、単に、過去のある人の体験やいのちの物語を読むことではなく、人間の歴史の過去、現在、未来を、現在を生きている者として思い、考えを深め広げ、具体的な自らの生のありようをたしかめることだと思う。 そのように思いながら、さらに正田さんの作品を読み続ける。原発をめぐる情勢がここに来てますます危うい状況にあることや、沖縄の米軍基地問題も、政府の許し難い暴挙に直面していることを考えながら。 (つづく)
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