英国で初の女性の首相で、11年にわたる長期政権を維持したマーガレット・サッチャー(在任1979-90年)の伝記映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(原題「The Iron Lady」)が、1月上旬、英国で公開となった。英国でもっとも著名な首相経験者の一人の伝記、しかもサッチャーを演じるのは、2度のアカデミー賞受賞経験がある、米国の名女優メリル・ストリープとあって、公開前から話題が沸騰した。日本でも3月16日からTOHOシネマズ日劇などで全国上映される。(ロンドン=小林恭子)
これを機会に、月刊「メディア展望」(新聞通信調査会発行)2月号に出した筆者原稿に若干補足したものが以下である。
元首相を知る人々にとって衝撃だったのは、映画がサッチャーを認知症に苦しむ、孤独な老女として描いたことであった。亡夫デニスが登場し、これを現実と錯覚するサッチャーが夫と会話しながらこれまでの人生を回想する設定だ。
数々の政治的業績がフラッシュバックのように流れるが、じっくりとは描かれておらず、政治家の伝記映画であるにもかかわらず、「政治的要素に欠ける、不思議な映画」(ガーディアン紙、1月8日付)と評された。サッチャーがまだ存命中に認知症の老女として登場させるのは残酷とする声も出た。
しかし、サッチャー支持者も非支持者もおおむね認めるのがストリープの名演技だ。「信念の政治家」として、国民や内閣の反対にもかかわらず、自分が正しいと信じる政策を貫いたサッチャーの最盛期や年老いた現在の姿を、発声から顔の表情の一つ一つ、身体の動かし方まで生き生きと再現してみせた。政治映画としての評価はまちまちだが、人間ドラマとしての評価は一様に高い。
ー欧州問題に影落とす
サッチャーが首相の座を降りてから13年近くが経つが、その「遺産」は現在でも政治や社会の様々な局面で顔を出す。
その具体例の1つが英国の対欧州政策である。1980年代、EC(欧州経済共同体、後の欧州連合=EU)は域内での市場統合、さらには通貨統合から政治統合へと向かう動きを議論していた。サッチャーは通貨統合への環境整備となる欧州為替相場メカニズム(ERM)への参加や、その先の政治統合に対し、強く反対の姿勢をとった。その強硬な反欧州の姿勢に加盟賛成派のローソン財務相が辞任し、同じく賛成派で長年サッチャーに忠誠を尽くしてきたハウ外相が実質的な権限がない副首相に更迭された後、90年11月、辞任した。ハウは議会での辞任演説で強い口調でサッチャーの独善的政治手法を批判。その演説から2週間もしないうちにサッチャーは首相の座を失った。
「過激なほど反欧州の右派政党」―そんなイメージが、その後も保守党について回った。サッチャーを引き継いだメージャー政権を経て、1997年、18年間の野党生活の後に成立したブレア労働党政権は、当初、親欧州の姿勢を見せた。しかし、EUの共通通貨ユーロへの参加を見送ったことで、欧州との間に一定の距離を置く、相変わらずの政治姿勢となった。
2010年発足の連立政権で首相となったキャメロン保守党党首は、昨年末、欧州債務危機を収拾するための欧州理事会会議で、財政安定化に向けての基本条約には参加しないことを決めた。ドイツ、フランスの両国はEU27カ国全体の合意となることを望んだが、英国が反対したためにEU条約の改定とはならず、一部関係国間での合意を目指すことになった。
この一件は英国では「キャメロンが(条約改定に向けて)拒否権を発動した」と報道された。交渉に参加した27カ国中一国のみ合意しないという状況は、キャメロンが「国益のために合意しないことにした」と説明すればするほど、反欧州強硬派サッチャーの影が色濃く見えるようであった。サッチャーはEC農業補助金にかかわって割戻金を獲得するなど、自国の利を最優先したからだ。
もともと、独立独歩の精神が強い英国民の中にはEUへの不信感が強く、「欧州懐疑派」が少なからず存在する。1対26カ国という結果になったことで、キャメロンの交渉手法は「稚拙だった」という声が政界、メディア界では強かったものの、「拒否権発動」以来、キャメロンおよび保守党の支持率は上がっている。保守系歴史学者ニール・ファーガソンは「英国がEUから脱退しても問題はない」、「むしろその方が経済的、政治的に好都合」と何度となく述べ、一定の支持を得ている。
欧州の債務問題の解決に時間がかかり、フランスをはじめとしたユーロ圏数カ国の格付けが下がる中、ポンド維持の強みが日々、顕在化している。めぐりめぐって、欧州統合には一定の距離を置くのが得策として、「やっぱりサッチャーは正しかった」という結論が出ないとも限らないこの頃だ。
―国を二分した首相
サッチャーの「鉄の女」の映画公開日、イングランド北部ダービシャーで数十人の元炭鉱労働者たちが抗議デモを行った。プラカードの一つには「真の鉄の女たち」と書かれていた。映画は「サッチャーが男性優位の既得権を持つ層に勇敢にも立ち向かい、男女同権運動の主導者であったかのように描いている」が、これが「まったくの虚構だ」ということを訴えたかったという。 サッチャーは国営企業の大規模な民営化を続々と実行し、労働法の改正によって労働組合を改革した。公営住宅の払い下げによる住宅取得を奨励して中流階級の拡大を目指す一方で、採算の取れないビジネスとなっていた炭鉱を閉鎖し、大量の失業者を生み出した。イングランド地方北部、スコットランド、ウェールズ地方は、炭鉱閉鎖や製造業の衰退でもっとも大きな影響を受けた地域である。住民は、サッチャー政権が貧富の差を拡大させたことを忘れていない。
現在、キャメロン政権は政府債務の削減に躍起で、緊縮財政を実行中だ。大幅な公的部門の雇用削減や地方自治体の予算削減で打撃を受けやすいのが、官の雇用の比率が高いイングランド北部だ。ロンドンがあるイングランド南東部と比較して、北部は失業率が高い。英国の中で南北に経済格差がある状況は数世紀にわたって変わらないが、人々の記憶に残っているのは、サッチャーの自由主義的経済政策が失業や貧困などの痛みをもたらしたことだ。
北東部での雇用創出のために、「人権擁護の面では不十分な(外国の)政権」にも、「武器売却を行う」必要性があるー。昨年末、こうした言及がある書類も含め、1981年以降の様々な政府の機密文書が一般公開の運びとなった。
武器売却にかかわる一連の書類を分析したBBCラジオ4の特別番組「UKコンフィデンシャル1981」(昨年12月30日放送)によると、イラン・イラク戦争(1980-88年)時に、英国は戦争には加担せず、中立であること、両国どちらにも弾薬などの殺傷兵器を売却しないなどの取り決めを政府として掲げていた。しかし、「大きな市場となる可能性」(政府筋)から、「殺傷兵器」の定義を「できうる限り狭める」ことを、サッチャーのお墨付きで、政権内で極秘に合意したという。
「中立」の立場から表立って武器売却ができない状態にいた英国に、イラク・フセイン大統領から「英国製戦車を補修してほしい」と依頼が来る。元は英側がイランに売った戦車だったが、これを戦争中にイラクが獲得したのである。しかし、直接イラクに出かけて補修するわけにはいかないので、第3国としてヨルダンを選んだ。ヨルダンでの補修はまもなくイラクでの作業に取ってかわり、武器売却ビジネスが拡大してゆく。
2003年、ブレア首相が米国とともに攻撃を開始したのはフセイン政権下のイラクであった。何とも皮肉なめぐり合わせだ。サッチャーが撒いた種から育った風土や仕組みの中に、現在の英国民の生活がある。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
新聞通信調査会ウェブサイト
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