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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年03月12日22時44分掲載
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文化
【核を詠う】(33)福島原発の地で詠った佐藤祐禎歌集『青白き光』の原発短歌を読む(1)「いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる」 山崎芳彦
前回までの東海正史歌集『原発稼働の陰に』に続いて、東海さんと同様、福島原発の地で短歌を詠み続け、平成十六年七月に歌集『青白き光』(短歌新聞社刊)を出版した歌人、佐藤祐禎さんの原発にかかわる作品を読んでいく。前回の最後に記したように同歌集は昨年十二月に、いりの舎から文庫版で再版されている。同書には佐藤さんの「再版によせて」が付されていて、佐藤さんの近況を知ることができる。筆者は昨年十一月に、短歌新聞社刊の『青白き光』を国会図書館から、地元図書館経由で借りて、図書館内で閲覧し、全文をノートに書き写しながら読んだが、本稿では、いりの舎版で再読していく。
(ところで、新しい稿に入るのに、冒頭からのお詫びでまことに申し訳ないのですが、筆者の【核を詠う】(番外編)での記述の一部について訂正することをお許し下さい。「朝日新聞(2月29日付朝刊)『シンポジウム 放射線と向き合う』における甲斐倫明氏の『基調講演』への疑問」と題する文中の、「内部被曝が外部被曝よりはるかにリスクが大きいこと・・・」とした部分は、一定の前提条件を置いた上で限られた事象については言うことが許されるにしても、筆者の記述は、一般論と誤解される、極めて不正確な表現であり、誤りであります。「内部被曝のリスクが大きいことを・・・」と訂正させていただきたく、お詫びしてお願い致します。甲斐氏の講演内容についての疑問、不同意については変りません。)
『青白き光』は佐藤さんが75歳にして上梓した第一歌集である。佐藤さんが短歌を始めたのは52歳の時だったというが、精力的に作歌活動をした経歴からすれば必ずしも早い歌集出版ではなかったが、いまにして思えば、東海さんの『原爆稼働の陰に』とともに、歴史的な意義を持つ歌集というべきだろう。このほかにも、原発を詠った作品がまとめられた歌集が、原発にかかわる労働に従事している、あるいはその経験のある作者によって編まれているかもしれない。原発列島であるこの国なのだから、全国各地にあるかもしれない。歌誌や新聞歌壇でしばしば原発にかかわる作品を読んだ経験はある。探索していきたい。
『青白き光』には、佐藤さんが師として仰ぎ、参加している「新アララキ」の創刊者である歌人・宮地伸一氏が、佐藤さんの作品に深く寄り添った「序」を寄せているが、その冒頭で
いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる
を挙げ、「この歌集の最後の一首である。臨界事故と言うのか、その恐怖を詠じている。歌集名『青白き光』はこの一首に基づく。そしてこの歌集の内容と性格を集約的に象徴的に言い表わしている作品である。」と記している。
それに対応して佐藤さんは「あとがき」のなかで「ここに生れ、ここに生を終えなければならない運命の人達の、真率な不安と恐れと無力感とを、私は声に出しそれを歌に詠んで来た。他の歌などはただの骸のごときものではあるが、原発の歌だけは私の心のさけびのつもりである。したがってこの第一歌集は、これらの歌を通して世に訴えたい思いで一杯である。」と書いている。筆者は「他の歌などはただの骸のごときもの」といっていることには首肯し難い思いがある。原発の歌への思いが強いためにこのような自歌にたいする言い方をしたのだろうが、筆者は東海さんの『原爆稼働の陰に』を読みながら、直接原発そのものを詠った作品だけでなく、日常詠、生活・家族を詠った作品、旅詠などを読み、直接原発にかかわる歌だけを本稿に載せることに疑問を持ち続けた。多くの作品に原発の地に生きた東海さんの生活の陰翳が読み取れることが多かったからだ。しかし、「核を詠う」の連載の中であるから、やむなく、直接原発を取り上げた作品のみを記してきた。佐藤さんの歌集の作品についても同じことになる。
佐藤さんは、現在やむなく生活の地を移されているが、ご健詠の由である。ぜひとも、さまざまな歌を詠いつづけて戴きたいと願っている。原発にかかわる歌はもとよりだが、昨年三月十一日から詠み続けた歌はすでに2千首を超えられたとも聞く。「ただの骸の如き」歌などありようはずが無いと思う。大先輩に対して失礼を申上げただろうか。「命の限りと詠い続けた」作品は、後進が必ず世に送り出すと信じて下さい。
『青白き光』は、昭和五十八年から平成十年までの作品を制作順に五百首余を撰んで編んでいるが、最後に平成14年の作品を十五首加えている。東京電力の原発トラブル隠しが明らかになったことへの怒りの作品である。『青白き光』の序に宮地氏が挙げた一首はこの中の最後にある。順序は逆になるが、平成十四年の「東電の組織的隠蔽」から読み始め、その後制作順に原発にかかわる作品を読んでいくことにしたい。
東電の組織的隠蔽 三十六本の配管の罅も運転には支障あらずと臆面もなし
原発の商業主義も極まるか傷痕秘してつづくる稼働
さし出されしマイクに原発の不信いふかつて見せざりし地元の人の
破損また部品交換不要と言ひたるをいま原発のかくも脆弱
原発などもはや要らぬとまで言へりマイクに向かひし地元の婦人
原発の港の水の底深く巨大魚・奇形魚・魔魚らひそまむ
「傷隠し」はすでにルール化してゐしと聞くのみにして言葉も出でず
ひび割れを無修理に再開申請と言ふかかる傲慢の底にあるもの
ひび割れを隠しつづくる果ての惨思ひ見ざるや飼はるる社員
埋蔵量ウランは七十年分あるを十一兆かけるかプルサーマルに
法令違反と知りつつ告発に踏み切れぬ保安院は同族と認識あらた
面やつれ訪問つづくる原発の社員に言へりあはれと思へど
組織的隠蔽工作といふ文字が誌面に踊る怖れしめつつ
原発推進の国に一歩も引くことなき知事よ県民はひたすら推さむ
いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる
東京電力福島第一原子力発電所の第一号機が営業運転を開始したのは1971年3月のことであったが、その後その規模を拡大し続けた福島原発全体が東日本大震災とともに壊滅的破壊状況になり、地元はもとより全国的、世界的に厄災をもたらし、先行きの見えない状況を作り出した2011年3月11日、この間40年間に原発が起した事故は数え切れないほどである。福島に限らず、原発列島の規模で考えれば途方もない数で事故が繰り返され、設備の不具合や故障があり、稼働している限り規制水準には満たない(?)放射能が空中に、海中に、さまざまな経路で放出され蓄積も続け作用しているのである。低レベル放射能の内部被曝による危険性が明らかにされつつある。一つの原子炉から「微量」といえども原子力放射線が原発作業員を被曝させ、あるいは外部にも放出される、それが原発なのであるし、経済性、コスト優先のシステムの下、誤りを犯さないはずのない人間によって運用されているのである。そして、時折り、内部告発などもあって事故やデータの隠蔽が表に出て来る。原発死や、被曝による病者の存在の実態も、洩れ出て来る。
隠し切れなくなったとき、公表され、大きな論議と、規制機関の指導や是正措置の命令や、時には犯罪として処断される。
平成十四年の東電の組織的な事故隠蔽工作・データ隠しが明らかになり、大問題になったのは、その一端であったが、原子力村の安全神話の欺瞞を覆し、原発の存在そのものを否定する国民的な意思を形成するほどの動きにはなり得なかった。
佐藤さんは、身近に福島原発がある地にあって、早くから反原発 を訴え、詠いつづけて来た歌人であるだけに、「いつ爆ぜむ」とまで詠いきったのであろう。
佐藤さんは、いりの舎文庫版の「再版によせて」のなかで、昨年の原発事故に追われて、いわき市に移住している先に、ある歌友から電話があり「『青白き光』を再読しているが、まさに今日に対する予言書だった」といわれたと記しているが、原発や放射能にかかわる科学者・専門家ではなくても、短歌も含む文学には現実が孕むものを、見通す力や役割があるのだと思う。歴史的にみても、芸術、文学の中には優れて先駆的な、先見性を示した作品は少なくない。東海正史さんの短歌作品にも、佐藤祐禎さんの作品にも、あるいは筆者の知らない歌人の作品にも、3・11福島原発事故の起こる危険性を示唆するものがあったのだろう。
少なくない科学者の指摘、警告はいうまでもないが、短歌を詠う人にも、原発の危険性について、現実を見据え、感得し、表現することをなしてきた人々が多くはなかったかもしれないがいた。詠うものの一人として、筆者も学びたいと思う。
原発だけのことではあるまい。何を詠うにしても、社会詠に限らず、浅く表面をなぞるような構えでではなく、あやまたず対象に向かい合うことを大切にしたい。 次回も佐藤さんの『青白き光』を読んでいく。 (つづく)
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