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2012年03月16日14時59分掲載
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核・原子力
足尾銅山鉱毒事件と田中正造〜〜東電原発事故との関連で(その1) 池住義憲
ヤマは閉じても、残る鉱毒。100年経っても、続く公害。莫大な利益は、国策によって保護された古河鉱業会社(現・古河機械金属グループ)へ。鉱毒被害と生態系の破壊は、現世代のみならず、次世代以降の人々へ送り続けられる…。放射能汚染も、同じ。昨年3月福島で起きた東京電力株式会社の原発事故で、大気中に放射性物質(ヨウ素131、セシウム134、137等)が放出された。半分ほどが陸地に、残り海洋に降り注いだ。高濃度汚染水は、東電の敷地内(原発敷地内)から海洋へ直接流出した。(本文から)
1.鉱毒と放射能汚染
“今の利益は企業 負の遺産は民衆と未来世代へ“
この言葉は、足尾銅山が閉山となった翌年(1974年)、鉱毒被害が続く足尾をカメラで捉えた記録映画『足尾74夏 そしてフクシマ原発事故の2011秋』のサブタイトルだ。
ヤマは閉じても、残る鉱毒。100年経っても、続く公害。莫大な利益は、国策によって保護された古河鉱業会社(現・古河機械金属グループ)へ。鉱毒被害と生態系の破壊は、現世代のみならず、次世代以降の人々へ送り続けられる…。
放射能汚染も、同じ。昨年3月福島で起きた東京電力株式会社の原発事故で、大気中に放射性物質(ヨウ素131、セシウム134、137等)が放出された。半分ほどが陸地に、残り海洋に降り注いだ。高濃度汚染水は、東電の敷地内(原発敷地内)から海洋へ直接流出した。
陸地に降下した放射性物質の一部は、河川を経由して海洋に注ぎ込まれる。生態系破壊と、現世代ならびに次世代以降への健康被害・健康破壊は、地域的にも時間的にも計り知れない。東電は、一世紀前の古河鉱業と同様に国策によって保護され、独占状態で莫大な利益を挙げ続けた。そして、責任の所在が曖昧にされ、負の遺産は現世代と未来世代へ送り続けられる…。
古河鉱業と東京電力という二つの加害企業。一世紀の時を挟み、それぞれが起こした事件・事故は、共通点が多い。言い換えれば、過去の過ちが100年経った今、また繰り返されている。同じ過ちを繰り返させないために、一世紀前の足尾銅山鉱毒事件を振り返っておきたい。
2.足尾銅山の鉱毒
古河市兵衛が足尾銅山経営を始めて数年経った1884年暮、近くの山林樹木が枯死した。翌年夏、渡良瀬川の鮎が大量死。1890年夏の大洪水で渡良瀬川流域の田畑や農産物に大きな被害が受け、鉱毒問題が顕在化する。
銅精錬所からの排煙による周辺山林の枯死と山林濫伐によって、洪水の回数と規模が増した(人造洪水)。1896年秋の大洪水では、被害は栃木・群馬・埼玉・茨城の4県に及び、一気に拡大する。
鉱毒とは、鉱山の精錬所等から重金属が多量に含まれた廃水・浸透水、排煙によって生じる害毒。足尾銅山から廃棄された鉱毒(とくに硫酸銅)は、足尾山地を水源とする渡良瀬川を汚染し、下流沿岸の耕地を荒廃させた。被害は足尾銅山の産銅量が激増するのに伴って表面化し、渡良瀬川の魚類が捕獲できなくなった。
冒頭に紹介した記録映画では、鉱毒による被害を次のように表現している。「山が豊かな水を平野に注ぎ、土地を肥やし、植物を涵養し、人に滋養をもたらすことがなくなる。古河の栄華とともに大自然の輪廻は絶たれ、ハゲ山からは鉄砲水、狂奔する水流は近隣に打ち捨てた鉱滓を運び、下流を鉱毒の海と化す」…。
3.鉱毒事件と田中正造
足尾銅山鉱毒問題が初めて帝国議会で取り上げられたのは、1891年12月、田中正造衆議院議員の質問演説だ。正造は、議員時辞職する1899年までの9年間で、鉱毒問題に関して150回を超える質問演説や質問書提出を行った。
明治政府は鉱毒調査委員会を設置(1897年)し、鉱毒予防工事命令を出す。それにより鉱毒全面垂れ流しは多少緩和されるが、古河の操業は続き、被害も続く。政財界と古河鉱業との緊密な結びつきにより、鉱業停止請願は受け入れられず、大雨・洪水の度に被害は大きくなっていく。
渡良瀬川沿岸住民は、足尾銅山の鉱業停止を求めて大同団結し、反対運動を起こす。その拠点として、現在の群馬県館林市早川田の雲竜寺に鉱毒事務所を設置。東京まで何度も請願のため上京した(押出し)。
1900年2月、2,500人余の被害地農民は、足尾銅山鉱業停止を求めて4回目の大挙請願のため東京へ出発。しかし、利根川べりの川俣(群馬県邑楽郡明和町)で待ち構えていた警官・憲兵隊は、彼らに殴る蹴るの暴行を加える(川俣事件)。上京は阻止され、鉱毒反対運動は弾圧される。
古河鉱業の操業とそれによる鉱毒は、継続される。日清(1894年)・日露(1904年)二つの戦争をはさみ、銅生産を国策とした政府によって古河鉱業は保護され続けた。原発を国策として推進し、大事故を起こした後も原発再稼動と原発輸出方針を揺るがさない現代と、共通する。
川俣事件直後、田中正造は議会で事件に関して「亡国にいたるを知らざれば、これすなわち亡国の儀につき」と題する質問書を提出する。この時正造は、日本の憲政史上に残る大演説を行った。しかし当時の政府は実態を認めようとしない。
川俣事件までの正造は、「人民が鉱毒によって殺されつつある事実」を国家が放任している責任を追及するものであった。事件後は、「人民が鉱毒によって殺されつつある事実」を「国家が人民を殺す行為」として捉えるようになった。これがきっかけとなって正造は、人民を代表する「代議士」としてではなく、まさしく「人民」として声を立てていくことになる。 (つづく)
*記録映画(山口豊寧さん撮影・構成)に関する問い合わせは、ヤマプランニングへ。 t-yama@w4.dion.ne.jp DVDデジタル復元版が2011年に制作され、購入可能(送料別3,500円 モノクロパートカラー 102分
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